☩「キリスト教徒の交わりの場は、分け隔てなく、受け入れることで作られる」年間第26主日正午の祈り

File photo of Pope Francis at the AngelusFile photo of Pope Francis at the Angelus  (Vatican Media)

 

*教会においても”閉鎖””偏見”に注意を

 そのうえで、教皇は、現代の教会においても、これと同じような閉鎖的姿勢、偏見に陥らないように警戒するよう、促された。

 「悪魔は、他者をより分け、排除するために疑惑を引き起こそうとする”分割者”です。彼は狡猾に人々を誘惑し、弟子たちと同じように、悪魔を追い出した人たちさえも排除するところまで行かせようとするのです」と語られた教皇は、教会にも、「謙虚で開かれた共同体」ではなく、「自分自身を他者よりも大切に考え、他者を追い払うという罠に陥る可能性がある、と警告。「皆と共に歩く代わりに、他者を判定し除外するための”信徒免許”を持ち歩く」ことを嘆かれた。

 

*イエスは、私たちが何を切り落とすのを願っておられるか

 さらに、教皇は信徒たちに、”巣ごもり”のメンタリティ、”判定”と”仕分け”への誘惑に打ち勝つために、神の恵みを求めるように勧められた。そして、”巣ごもり”の姿勢は、「キリスト教共同体を”交わり”ではなく”分離”の場に変えてしまうことになりかねません。聖霊は”閉鎖”を望まない。誰に対してもオープンで、喜んで受け入れる場を望んでおられるのです」と説かれた。

 また、今日の福音で、イエスは「すべての人を裁いてはならない。自分自身に気をつけなさい」と勧めておられる、とされ、「イエスはこの箇所で、罪を絶つという呼びかけの本質を説明するために、体の部分を切り落とすという印象的な例え(42‐48節)を語られます。イエスの要求は、たしかに、過激で厳しいですが、私たち自身のために、よき医者のように話されている。つまずかせるもの全てを切り捨てることは、私たちがより良く成長し、愛の実を結ぶことができるようにするためなのです」と強調。

 最後に、教皇は私たちの生活をより良くするための招きで、説教を締めくくられた。「最後に質問です。私の心の中で福音に反するものは何ですか?イエスは私の何を切り取るように願っておられますか?」

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2021年9月26日