File photo of Pope Francis at the Angelus (Vatican Media)
(2021.9.26 Vatican News By Devin Watkins)
教皇フランシスコは26日、年間第26主日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマルコ福音書の箇所(9章38‐41節)を取り上げられた。
この箇所で、弟子たちを代表する形で使徒ヨハネが、ある人が正式にはイエスの弟子ではなかったにもかかわらず、イエスの名によって悪霊を追い出しているのを見たので、やめさせようとしました、とイエスに報告する。
「これに対して、イエスは『弟子たちに、自分の名において善を行っている人々を制限しないように』と言われます。『人々を善と悪に分ける』ことのないように忠告し、悪に屈しないように自分たちの心をしっかりと監視するように、弟子たちに求めるのです」と教皇は説かれた。。
*”集団思考”の誘惑
教皇は、弟子たちが陥ちりそうになる「誘惑」は、「閉鎖的な、”集団思考”」とされ、「弟子たちは自分たちが、イエスに対して”排他的な権利”をもち、神の王国のために働くことを許可されているのは自分たちだけだ、と考えます。こうした考えの結果、彼らは、自分たちは『特権』を与えられたもの、他の人を『部外者』と見なし、敵対的になってしまいます」と指摘。
「あらゆる種類の閉鎖的な姿勢が、『自分たちのように考えない』周囲の人たちとの間を隔てるように作用する。これは、私たちが知っているように、人間の歴史における多くの大きな悪の根源となってきました。しばしば独裁政権を生み出し、異なる人々に対する、数々の暴力を生み出す絶対主義の根源です」と強調された。
*教会においても”閉鎖””偏見”に注意を
そのうえで、教皇は、現代の教会においても、これと同じような閉鎖的姿勢、偏見に陥らないように警戒するよう、促された。
「悪魔は、他者をより分け、排除するために疑惑を引き起こそうとする”分割者”です。彼は狡猾に人々を誘惑し、弟子たちと同じように、悪魔を追い出した人たちさえも排除するところまで行かせようとするのです」と語られた教皇は、教会にも、「謙虚で開かれた共同体」ではなく、「自分自身を他者よりも大切に考え、他者を追い払うという罠に陥る可能性がある、と警告。「皆と共に歩く代わりに、他者を判定し除外するための”信徒免許”を持ち歩く」ことを嘆かれた。
*イエスは、私たちが何を切り落とすのを願っておられるか
さらに、教皇は信徒たちに、”巣ごもり”のメンタリティ、”判定”と”仕分け”への誘惑に打ち勝つために、神の恵みを求めるように勧められた。そして、”巣ごもり”の姿勢は、「キリスト教共同体を”交わり”ではなく”分離”の場に変えてしまうことになりかねません。聖霊は”閉鎖”を望まない。誰に対してもオープンで、喜んで受け入れる場を望んでおられるのです」と説かれた。
また、今日の福音で、イエスは「すべての人を裁いてはならない。自分自身に気をつけなさい」と勧めておられる、とされ、「イエスはこの箇所で、罪を絶つという呼びかけの本質を説明するために、体の部分を切り落とすという印象的な例え(42‐48節)を語られます。イエスの要求は、たしかに、過激で厳しいですが、私たち自身のために、よき医者のように話されている。つまずかせるもの全てを切り捨てることは、私たちがより良く成長し、愛の実を結ぶことができるようにするためなのです」と強調。
最後に、教皇は私たちの生活をより良くするための招きで、説教を締めくくられた。「最後に質問です。私の心の中で福音に反するものは何ですか?イエスは私の何を切り取るように願っておられますか?」
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)