☩「どのように教会を見るべきか、第二バチカン公会議から学ぼう」教皇、公会議60周年記念ミサで

(2022.10.11 Vatican News  Christopher Wells)

   教皇フランシスコが11日、聖ペトロ大聖堂で第二バチカン公会議開始60周年記念ミサを捧げられ、説教の中で、「イエスが、聖ペトロに言われた言葉ー「私を愛しているか?私の羊を養いなさい」(ヨハネ福音書21章15節)ーは、私たち、教会としての私たちにも向けられています」と語られた。

 説教で教皇はまず、ヨハネ福音書に書かれたイエスのペトロに対する問いかけー「私を愛しているか?」を取り上げ、第二バチカン公会議は、この問いかけに対する「素晴らしい一つの答えだった」と指摘。
2022.10.11 Santa Messa nel 60° anniversario del Concilio Ecumenico VaticanoII

 「教会の主への愛を、再び燃え立たせるために、カトリック教会は、その歴史の中で初めて、自身を点検し、自身の本質と使命を熟考するために、公会議を捧げたのです」と説かれ、教会を見るために、この公会議から学ぶことのできる 3 つの方法を示された。

 

*「まず、愛に満ちた神の目で」

 それは、まず、神の視点で教会を見ることー「高いところから、神の目で、愛に満ちた目で教会を見ること」である、とされ、自分の視点で教会を見ないよう注意するとともに、”進歩主義”と”伝統主義”のいずれもを不信心であり、「自分たちの好みと計画を神の愛よりも優先するペラギウス的な利己主義の様式」として批判された。

 そして、会議開始から60周年の今、「私たちは、第二バチカン公会議が示した情熱を再発見し、この公会議への私たちの情熱を新たにしましょう」と呼びかけられた。

 

*「羊の群れを養う」

 

  公会議から学ぶ、二つ目の方法として、教皇は、イエスがペトロに言われた「養う」に注目され、「このことが、イエスがペトロに求められた愛です」と言われた。

 漁師だったペトロは、イエスによって羊の群れの中で生活し、羊を愛するように呼ばれて羊飼いとなった。この世の中に暮らし、周りに気を配り、他の人々を見下さない…。

 「第二バチカン公会議は、何と時宜を得てものであり続けているのでしょう!… 公会議は、私たちが心地よさと確信の中に自分を閉じ込めてしまう誘惑を退けるのを助け、神のなさり方に倣い、いなくなった羊を探し、囲いに戻すうよう、私たちを導いてくれます」と教皇は語られた。

 そして、「三位一体の心から湧き出る、私たちの聖なる、階層をなす、母なる教会は、愛ゆえに存在しているのです」とされ、教会の指導者たちに、「自己陶酔に陥る誘惑に抵抗する」よう求められ、「神の民は、”羊飼いの民”、羊飼いは、貧しい人と疎外された人を特別に世話する必要があります」と共著された。

*「教会の全たちを視野に置く」

 

 教会を見るために公会議から学ぶ三つ目の方法は、「全体を視野に置くこと」だ。

 説教の締めくくりに、教皇は、教会における一致を強く訴えられるとともに、「神は、私たちが全体を見ることを望んでおられます。そして、これが、教会を見る三つ目の方法です」とされ、教会の指導者たちに、すべての人たちの奉仕者となる代わりに、特定の者をひいきにする傾向があるのを嘆かれた。

 そして、「私たちは神の羊、神の羊の群れ。私たちは一緒になり、一つになることで、そのようになることができるのです。あらゆる分極化に打ち勝ち、自分たちの交わりを持ち続けましょう」と訴えられた。

 最後に、教皇は「第二バチカン公会議の賜物」を主に感謝し、「自分で何でもできるという思い込みと、俗物的な批判の心から、私たちを自由にしてくださいますように。そして、自己陶酔の影から私たちを導き出し、悪魔の業である分極化から私たちを救ってください」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

参考(2022.10.12 バチカン放送)

 11日夕方、ミサが行われた聖ペトロ大聖堂には、多くの枢機卿、司教をはじめ、聖職者、修道者・信者たちが集った。

 ミサに先立ち、聖ヨハネ23世による第2バチカン公会議開会の辞「ガウデット・マーテル・エクレジア」の一部と、同公会議の公文書の中でも最も重要とされる4つの憲章、『典礼憲章』『教会憲章』『神の啓示に関する教義憲章』『現代世界憲章』の数節が朗読され、参列者らは60年前、同じ場所で祝われた同公会議の幕開けを思い起こしていた。

 教皇フランシスコはミサの説教で、ヨハネ福音書21章、復活したイエスがティベリアス湖畔で再び弟子たちにご自身を現わされた時のペトロとの対話を取り上げられた。

 このエピソードで、イエスはペトロに対し、「私を愛しているか」(ヨハネ福音書21章15節)と尋ね、「私の羊の世話をしなさい」(同17節)と命じられた。

 主はその偉大な愛において人々に友として語りかけ、対話され(「神の啓示に関する教義憲章」2項参照)、今も、常に、その花嫁である教会に「私を愛しているか」と尋ねている、と教皇は述べ、「第2バチカン公会議はこの問いに対する一つの大きな答えでした」と話された。

 教皇は、神にその優位を再び返すために、またイエスとイエスが愛した人々を深く愛し、イエスに満ち溢れると共に清貧で、自由でいて人を自由にする教会を取り戻すために、同公会議を再発見するよう招かれた。

 そして、同公会議は福音書におけるペトロのように、「最初の愛の源泉であるガリラヤへ戻り、その貧しさの中に神の聖性を再び見出すように導いています」と話された。

 また、イエスはペトロに「私の羊の世話をしなさい」と命じられたが。イエスはこの「世話をする」という言葉に、「ご自身がペトロに望む愛の形を示されています」と教皇は述べられた。

 漁師だったペトロは、イエスから牧者という使命を与えられたが、「漁師が自分のために漁をするのに対し、牧者は他者の世話をし、彼らと一緒に留まり、彼らを大切に愛するという意味で、彼にとってはまったく新しい生き方でした」と教皇は指摘。同公会議もまた、「神の御国の奉仕者として、世の中に人々と共に留まることを教えています」と話された。

 教皇はさらに、イエスがペトロに世話を託した羊たちを、「私の羊(たち)」と呼んでいることに注目。イエスが「私の」と愛情を込めて呼ばれる羊たちすべてを、一致させて導く牧者の使命を強調された。

 「主は、ご自身の羊、ご自身の群れである私たちの一致をお望みです」と述べた教皇は、分極化を超え、一致を保ち、「すべての人を一つにしてください」(参照 ヨハネ福音書17章21節)という主の願いをより実現できるように、と祈られた。

 ミサの終わりに、教皇が手にするろうそくから、代表の信者のろうそくに火が灯され、他の参加者たちのろうそくへと伝えられていった。

 60年前の公会議初日の夜のろうそく行列をほうふつとさせる無数の光は聖堂全体に広がり、信者たちはそれぞれ信仰を象徴するそのともし火を手に、大聖堂から外の広場へ向かっていった。

(編集「カトリック・あい」)

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2022年10月12日