教皇フランシスコ、司祭の生涯育成をめぐる国際会議の参加者らと 2024年2月8日 バチカン・パウロ6世ホール (Vatican Media)
この会議は「『あなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように』(テモテのへの手紙2・1章6節)今日、弟子であることの素晴らしさ。唯一の、統合的、共同体的、宣教的な育成 」をテーマに6日から10日までバチカンで開かれている。
パウロ6世ホールで行われた集いで、教皇は「司祭職」という恵みを再び生かす道として、「福音の喜び」「民への帰属」「生み出す奉仕」の3つを示された。
そして、まず、「神から愛されている」という自覚から生まれる「喜び」が、司祭たちを「師である前に、神の愛の証し人」にする、と語られ、「福音の喜びを受け入れ、それを大切に守ってこそ、私たちはこの『喜び』を他の人々にもたらすことができるのです」と説かれた。
二つ目の「民への帰属」について、「キリストの弟子であることは、同時に宣教者でもあること。私たちは民の中に深く入り込み、自分もその同じ民に由来していることを自覚してこそ、司祭としてより良く生きることができます」とされた。そして、「民への帰属」は、「司祭を守り、その苦労を支え、司牧上の心配ごとに寄り添い、現実から離れて自分を万能と感じる危険を防いでくれるもの」と語られた。
三つ目の「生み出す奉仕」については、「『奉仕』は、キリストの使命の本質である」と強調され、「イエスは、生涯を通して『奉仕の師』としての姿を示されましたが、それを象徴するのは、イエスが最後の晩餐で弟子たちの足を自ら洗った時のことでした」と述べられた。
そして、「司祭の育成を奉仕の視点から見つめる時、それは付け足し的なものでも、単なる教えの伝達でもありません。それは、他者を中心に置き、その人が内面に持つ素晴らしさや良いものを引き出し、その人の賜物や、また同時に傷や希望に光を当て、その道のりを励ます”技術”です」と指摘。
「そのようにして育てられた司祭は、今度は自らが神の民に奉仕し、人々のそばに留まり、イエスが十字架上でそうされたように、すべての人々を自分の上に背負うのです」と説かれた。
最後に教皇は、この十字架を学び舎として見つめ、「人々を最後の最後まで愛し抜き、その十字架から新しい民を生み出したイエス」を観想することで、「生み出す司牧」とは何なのかを深く考えるよう、司祭たちに求められた。
(編集「カトリック・あい」)