☩「”シノドスの道”で、女性の声に十分耳を傾けていないことに気づいた」新刊本の序文で

(2024.2.6 Vatican News)
 教皇フランシスコが、このほど出版された「“’Smaschilizzare la Chiesa’? Confronto critico sui ‘Principi’ di H.U. Von Balthasar” (Making the Church Less Masculine? A critical evaluation of the ‘principles’ of Hans Urs von Balthasar)」に序文をお書きになった。この本は、2月5,6日の枢機卿顧問会議(C9)に招かれた神学者のシスター・リンダ・ポッチャーなどの共著。
 以下に、その序文を掲載する。
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教皇フランシスコより
 祈り、熟考、行動を通じて教会共同体の生活と成長に対する「女性の存在と貢献」が、常に教会を豊かにしてきたのは現実であり、教会のアイデンティティを構成しています。 しかし、特に、現在の”シノドスの道”の歩みで、私たちは教会において女性の声に十分に耳を傾けていないこと、そして教会が女性たちから学ぶべきことがまだたくさんあることに気づきました。
 教会を”smaschilizzare(脱男性化する)”ために、お互いの意見に耳を傾ける必要があります。なぜなら、教会は「男性と女性の交わり」だからです。 同じ信仰と同じ洗礼の尊厳を共有しています。 女性の意見に真剣に耳を傾けることで、男性は、現実を別の視点から見る他者の意見に耳を傾けることになり、自分の計画や優先順位を見直すようになるのです。
 時々、私たちは戸惑うことがあります。時々、私たちが聞いたことがあまりにも新しく、私たちの考え方や見方と大きく異なるため、馬鹿げているように思え、怖気づいてしまうことがあります。 しかし、この当惑は健全です。 それは私たちを成長させます。 お互いから本当に学び、違いは多いものの、共に歩む一つの神の民として前進するには、忍耐、相互尊重、傾聴、そして寛容さ、が必要です。
 まさにこれが、私が女性の神学者に、「教会における女性の存在と役割について考える道」を枢機卿顧問会議に提供してくださるように求めた理由です。
 この道の出発点は、教会におけるマリアとペトロの原則に関するハンス・ウルス・フォン・バルタサルの考察であり、この考察は、男性と女性の異なる教会的存在を理解し、評価しようとする最近の教皇職の教導職にインスピレーションを与えました。ただし、最終的な目的地は神の手の中にあります。
*注*ハンス・ウルス・フォン・バルタサル(Hans Urs von Balthasar, 1905年8月12日 ‐ 1988年6月26日)。教皇フランシスコと同じイエズス会士で、著名な神学者。スイスのルツェルンに生まれ、オーストリアのフェルトキルヒで神学を学び、ウィーンベルリンドイツ文学の博士号を取得。1929年イエズス会に入会し、司祭叙階、イエズス会士のカール・ラーナーや、プロテスタント神学者カール・バルトとの対話が注目を集めた。教皇ヨハネ・パウロ2世の時代に枢機卿に推薦されるが、実現しないままこの世を去った。
 私たちを啓発し、今日の女性と男性、教会と世界に関与するための効果的な言語と考え方を見つけ、互恵性の認識と実践ができるように助けてくださるように、聖霊に祈りましょう。 そうすることで、男女間の協力が増えるように。
 この出版物を通じて、共著者のルチア・ヴァンティーニ、ルカ・カスティリオーニ、リンダ・ポーチャー3人が枢機卿顧問会議に提供してくださった考察が、世界代表司教会議(シノドス)総会において、男性そして女性の参加者に提供されることをうれしく思います。
 私が、”シノドスの道”の歩みの今の時点で、強く希望していること、それは、共に歩むことにくたびれないことです。なぜなら、私たちは歩いている時だけ、本来のあるべき姿―恐れることなく、動き、前に進み、世界の街角で私たちの兄弟姉妹と出会う、復活された方の生ける体―になるからです。
 
  信仰の母マリアがこの旅に私たちと共にいてくださいますように!
(イタリア語原文からVatican Newsが英訳した文章を「カトリック・あい」が翻訳・編集)

 

 

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2024年2月9日