(2021.12.15 Vatican News Christopher Wells)
教皇フランシスコは15日の水曜恒例の一般謁見での講話で、福音書の中で描かれる聖ヨセフの沈黙について振り返られ、「彼は沈黙をもって、御言葉のための、イエスのための空間をあけるように、私たちを促しています」と語られた。
*聴くことで満たされる沈黙
教皇は続けて、「ただし、ヨセフの沈黙は、決して“聴こえない”から、ではありません。”聴くことで満たされている沈黙”、”勤勉の沈黙”、”自身の偉大な内面性を引き出す沈黙”なのです」と指摘。
十字架の聖ヨハネ( 16世紀のスペインでカトリック司祭、神秘思想家。アビラのテレサと共にカルメル会の改革に取り組み、『暗夜』などすぐれたキリスト教神秘主義の著作や書簡を残した)の著作を引用して、「父なる神は、永遠の沈黙の中で御言葉を、御子を語る。沈黙の中で、魂によって聴かねばなりません」と説かれた。
さらに、「イエスもまた、この地上での生活の中で、マリアとヨセフの日々の模範とともに、この沈黙の経験をしました。イエスご自身が沈黙の空間を求め… 弟子たちにも、そのような経験をするようにお勧めになりました」とたかられた。
*生活の瞑想的な次元
また教皇は「沈黙によって広く開かれたこの瞑想的な生活の次元を取り戻すうえで、聖ヨセフの模範に倣うことが重要ですが、それは容易ではない。沈黙は、ぞっとするようなものになる可能性があります。それは、沈黙が私たちに、自分の中に入り込み、その最も真理に近いものに反対するよう求める恐れがあるからです」と忠告。
そのうえで、「沈黙のための空間を育てなさい。そこに、もう一つの『言葉』ー私たちの中に住まわれる聖霊の言葉ーが湧き出るように」と説かれ、「そのためには、私たちは話す時も注意して話す必要があります。好き放題にすれば、悪となり、私たちの言葉が”お世辞””自慢””嘘””悪口””中傷”になる恐れがあるのです」と付け加えられた。
*沈黙を養うことを学ぶ
そして教皇は「このように、沈黙ー私たちの日々の生活の中で、聖霊に、私たちを生まれ変わらせ、慰め、正してもらう空間ーを育むために、私たちはヨセフから学ぶ必要があります。私たちの心にもたらされる恵みは、私たちの言語、言葉、そして何よりも選択を修復してくれるでしょう」とされ、次の祈りで講話を締めくくられた。