(2022.2.17 Vatican News By Christopher Wells)
バチカン司教省主催の司祭職に関する神学シンポジウムが17日から3日間の日程で始まり、教皇フランシスコが17日、冒頭に基調講演をされ、参加した司祭たちに対して、「神の、自分の司教の、同僚の司祭たちの、そして奉仕の対象である信徒たちのそばにいるように」求められた。
講演で教皇はまず、「聖霊が与えたいと望む平和と豊かな実りを、司祭たちが経験するのを助ける」ために、ご自身の半世紀以上にわたる司祭たちとの出会いについて語られた。
その中で教皇は、まだ司祭になりたてのころからの長い司祭職の中で、自分たちの人生と証しによって「よき羊飼い」とは何を意味するのか教えたくれた司祭たちだけでなく、共に歩まねばならなかった”兄弟”である司祭たち、叙階した時の情熱を失ったために司祭としての務めが不毛で、単なる繰り返しで、無意味なものになった司祭たちにも出会った、と話された。
さらに、「司祭職への召命を含むあらゆる召命には、神が私たちをどこに導いていくかを識別する洞察力への信頼がすることが求められます。そこで、多くの疑問と誘惑に直面している、今日の私たち司祭の生活にとって決定的なもの、司祭としての私たちを支える姿勢に焦点を当てたいと思います」と語られ、「司祭の生活の四本の柱」として、親密さの四つの形ー神との親密さ、司教との親密さ、同僚司祭との親密さ、そして”神の民”との親密さーを挙げられた。
*神との親密さ
そして、教皇は、司祭たちには、何よりも、「神との親密さ」が求められている、とされた。
それは「司祭としての使命を果たすために必要なすべての力を引き出すのを助けてくれるからです」とされ、「イエスに近づくことで、司祭たちは彼と共に、喜びと悲しみを経験します。それは、自分自身の力ではなく、イエスの力に頼っているからです。こうした親密さは、祈りと神について黙想することによって養われねばなりません。同時に、そうすることで、司祭たちを自分が担当する人々に近づけ、そのことが司祭たちを神に近づけるのです」と説かれた。
*司教との親密さ
続いて、二つ目の柱である「司教との親密さ」について、「自分の上司である司教に近づくことは、耳を傾けることー他者への従順さの中で、他者との関係の中で、神の意志を確かめることーを意味します」とされた。そして、司教たちを「一致した教会を作り上げ、保つ絆」とし、彼らのために祈るよう促され、「私たちがこの絆を保つことができれば、私たちは道に沿ってしっかりと前に進みます」と言明。
*同僚の司祭たちとの親密さ
三つ目の柱は、「同僚の司祭たちとの親密さ」だ。教皇は「兄弟同士の親密さは、交わりを基礎にします。この司祭の『友愛』には、『自分一人ではなく、他者と共に聖性を追求することを、意図的に選択する』ことが含まれます。それは、他者に対して心を開き、率直であることともに、謙虚であることをも意味します」とされる一方で、「他者と友愛を生きることの難しさ」を認めつつ、相互愛に基づいた友愛を高く評価した。
これに関連して、教皇は、司祭の独身制の価値について言及され、「ラテン教会が保持している贈り物」とされつつ、「それは健全な関わり合いに根ざしたものでなければなりません」と語られた。
*人々との親密さ
四つ目の柱、「人々との親密さ」ー司祭と神の聖なる民との関係ーについて、教皇は、「『人々との親密さ』は司祭にとって『義務』ではなく、『恵み』です。それゆえ、どの司祭にとっても相応しい場は、人々の中にあり、他者との親密な関係の中にあります」と語られた。
ただし、「これが意味するのは、人々の”現実の生活”に関わる、ということで、人々の困難や悲惨さから自分の身を守ることではありません」と強調。「善き羊飼い」であるイエスのなさり方ー親密で、思いやり深く、優しい振る舞いーに倣うよう、司祭たちに求められた。
また教皇は、多くの人々が、皆とつながっていながら「孤独」を感じる現代にあって、帰属意識を育むように司祭たちに促された。そして、羊飼いの祈りが育てられ、神の民の心の中で肉となるがゆえに、(司祭の)人々との親密さと神との親密さには結びつきがある、と改めて指摘された。
*重荷ではない、賜物だ
講演の最後に教皇は、参加した司教たち、司祭たちに対して、「この四つの親密さを、自分はどのように実践しているのか」自問するように呼びかけられた。そして、次のように締めくくられた。
「司祭の心は、親密さについて知っています。なぜなら、親密さのうち最重要なのは、主との関係だからです… 主が求められる親密さの形は、重荷を加えることではありません。私たちの召命を生き生きと実りあるものに保つために、与えてくださる賜物です。召命を果たそうとする熱意を高く評価し、再び燃え立たせる道を指し示す道標です。司祭の親密さは、思いやりと優しい愛をもって常に私たちのそばにおられる神ご自身の振る舞いの中にある親密さなのです」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)