(2023.4.30 Vatican News Christopher Wells)
ハンガリー訪問最終日の30日、教皇フランシスコが、首都ブタペストのハンガリー動乱記念碑などがある歴史的なコシュート・ラ ヨシュ広場で、復活節第四主日のミサを捧げられた。
ミサの説教で、教皇は、この日読まれたヨハネ福音書の「羊飼いのたとえ話」(10章1-18節)を取り上げ、「私たちを羊を名前で呼び、福音を証しするために私たちを送り出す善き羊飼い」を思い起こされた。
そして、「 善き羊飼いは、自分の羊のために命を捨てます」(同11節参照)とされたうえで、「イエスは、群れを探しに行く羊飼いのように、迷子になった私たちを探しに来てくださいました。羊飼いのように、彼は私たちを死から連れ戻しに来られたのです」と指摘。
「良い羊飼いキリストは、羊たちのために、特に二つのことをなさいます。羊を名前で呼び、柵の中から連れ出します」とされ、「神は、私たち一人ひとりを名前で呼び、私たちを罪と死から救い、豊かな命と終わりのない喜びを与えることを望んでおられます。イエスは、人類の”善き羊飼い”として、私たちを呼び、家に連れ帰るために、来られました」と語られた。
そして、「キリスト教徒である私たちは皆、神である”善き羊飼い”から名前で呼ばれ、その愛を受け入れて広め、神の羊の群れを、誰一人のけ者にせず、迎え入れるよう招かれた。私たちは、人々の間に友愛を築き、分裂を避け、愛を持って互いの心を開くよう、求められているのです」と強調された。
教皇は続けて、「羊飼いは自分の羊を呼び、その羊が新たな命を与えてくださった方の愛を証しするよう、世に出すために、(囲いの中から)導き出される。つまり、イエスは、私たちを教会の”囲い”から導き出し、世に戻される”扉”と言えるでしょう」とされた。
そのうえで、「孤独な、恵まれない、外国人、難民・移民」に対して、扉を閉ざしている例を上げ、 「閉ざされた扉は、私たちの教会共同体にさえ見受けられます… 他の人々に対して…世界に対して…「規定に合わない」人々…神の赦しを切望する人々に対して、扉を閉ざしている」と嘆かれ、「どうか、その扉を開けさせてください! イエスのように、言葉、行動、日々の活動において、開かれた扉、誰の前でも閉ざされることのない扉、すべての人が入り、神の愛の美しさを体験できる扉になるように努めましょう」とミサに参加した人々に呼び掛けられた。
教皇はさらに、司教、司祭、そして教会の「羊飼い」であるすべての人々に向けて「開かれた扉、神の恵みを『促進する者』となるよう求められ、同様に、カテキスタや司牧者を含むすべての信徒に、政治や社会の指導者たちに、「扉を開けてください!… 人々に手を広げ、包み込み、ハンガリーが友愛の中で成長するのを助けてください。それが平和への道です」と訴えられた。
そして説教の最後に教皇は、信徒たちに、気を落とさず、善き羊飼いであるイエスが「私たちを名前で呼び、無限の優しい愛をもって世話してくださる」ことを思い起こすように、と求められた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)