(2023.2.1 Vatican News Christopher Wells)
アフリカ二か国歴訪中の教皇フランシスコは1日午後、コンゴ民主共和国の首都キンシャサで、紛争や自然災害が続く同国東部の犠牲となっている人々とお会いになり、大量殺戮や手足の切断、誘拐や親族の行方不明、連続レイプや性的奴隷制、過密で不衛生な難民キャンプに住む避難民など、残忍な暴力の実態を直接お聞きになった。
*「私はあなたがたのそばにいる」
彼らが訴えた惨状に、教皇は「あなたがたが自分の目で見、実際に経験された非人道的な暴力を聞いて、強いショックを受けています。言葉を失いました。 私たちは黙って泣くしかありません」と強い共感を示された。
教皇は、この国の東部を訪問することを希望されていたが、安全上の理由から実現しなかったが、「 あなたがたの痛みは私の痛み。 神の慈しみと愛をあなたがたにお届けしたい」と語られた。
そして、「神の名の下において弾劾します… 武器による暴力、虐殺、強姦、村の破壊と占領、畑と牛の略奪… そしてこの国の地の富の、殺人的で違法な搾取。 国、そして支配するために国を断片化しようとする試みを」と強調された。
*「戦いを扇動する者たち、武器を捨てよ!」
さらに、すべての人々、特にコンゴ民主共和国で戦いを扇動している人々に対して、「 武器を捨てなさい。戦いを終わらせなさい!もう沢山です! 貧しい人たちを犠牲にして金持ちになるのをやめ、血に染まった資源とお金で金持ちになるのをやめなさい!」と強く訴えられた。
*「暴力と”あきらめ”に『ノー』と言おう!」
また教皇は、会衆に、「平和を促進するために私たちに何ができるでしょうか」「どこから始めればいいでしょうか」と問いかけられ、その答えとして「『ノー』と言う2つの方法と『イエス』と言う2つの方法からやり直す」ことを提案された。
「ノー」について教皇はまず、「いつでも、どこでも、暴力に『ノー』と言わなければならない」とされたうえで、「暴力に『ノー』と言うということは、暴力行為を避ける以上のことを意味します。貪欲,ねたみ,そして何よりも憤りを含む暴力の根源を断つことが含まれます」と指摘。
この出会いに出席した暴力の被害者に対して「あなたがた勇敢な証人」と述べ、彼らが提案したように、振る舞うことを皆さんにもにお願いしたい」と希望された。
もう一つの「ノー」について、教皇は、「『あきらめること』に、『ノー』と言うように」と、全ての人に向けて呼びかけられ、 「特に、コンゴ民主共和国に住むすべての人に、諦めずに、より良い未来を築くことに全力を尽くすよう、改めて呼びかけます」として次のように呼びかけられた。
「この国の東部地域でも、平和は可能です! このことを信じましょう! そして、平和の実現を他の人に委ねず、共に働きましょう」。
*「和解と希望に『イエス』と言おう!」
次に「イエス」について、教皇は、まず、「『和解』に対する『イエス』」から始められ、出会いに出席した被害者に向けて、互いを赦し、「違いを解決する手段としての戦争」を拒否することに努めたい、という強い願いもっていることを称賛された。
そして、「キリスト教の預言的な声とは、悪には善で、憎しみには愛で、分裂には和解で対応することを意味します」とされ、「 これらすべては、悪よりも強力です…なぜなら、現実を外側から破壊するのではなく、内側から変えるからです。イエスが十字架上でなさったように、自ら進んで悪の責任を負い、その愛によって悪を変容させることによってのみ、私たちは悪を打ち負かすことができるのです」と説かれた。
最後に、教皇は「決定的な『イエス』、希望への『イエス』」を強調。「 希望には、源泉がある。それはイエスです。 イエスのおかげで、悪はもはや命に勝るものではありません」とされ、イエスが死と墓に打ち勝ったことを、改めて指摘され、次のような、コンゴ東部地域の人々への呼びかけと激励で締めくくられた。
「コンゴ東部の兄弟姉妹の皆さん、希望は皆さんのためのものであり、皆さんにはそれを得る権利があります。 しかし、それはまた、平和の種を日々、根気強くまくことによって獲得しなければならない権利でもあります。 平和の種をまくことは、私たちにとって良いこと。それは個人的な利益を求める心の狭さから私たちを解放し、日々の人生に意味を与えてくれます。 それは私たちの人生に自由を加味し、希望の種をまく忍耐強い神に、もっともっと似せてくれるのです」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)