(2021.8.11 Vatican News Devin Watkins)
教皇フランシスコは11日水曜恒例の一般謁見で、「ガラテヤの信徒への手紙」をテーマにした講話をお続けになり、その中で、「聖パウロは、キリスト教徒たちに、モーセの律法がキリストにおいて成就されたことに目を向けるように、強く促されている」ことを強調された。
教皇はこの日の講話を、「では、律法とは何でしょうか」という、ガラテヤの信徒への手紙3章19節の冒頭でのパウロの問いかけから始められ、この日の講話の狙いが、「聖霊によって活気づけられたキリスト教徒の人生を認識することにある」とされた。
聖パウロはガラテヤの信徒たちに手紙を書き、「異邦人(非ユダヤ人)のキリスト教徒たちは、モーセの律法のすべての戒めに従わねばならない」とする主張に反論しようとする(使徒言行録15章28-29節参照)。
旧約聖書巻頭のモーセ5書に含まれている律法は、ユダヤ人が神との絆を維持し、契約を尊重する手段だった。教皇は、律法について、「神がご自分の民と結ばれた契約に関連しています。特に預言者の書物では、何度か、律法の戒めを守らなかったことが、契約の真の裏切りとなり、結果として神の怒りを引き起こしたこと」に注意を向けられた。
そして、このことは、神と民との契約と律法の二つが、しばしば不可分なものとして理解されたことを意味していたが、「聖パウロは、これはキリストの弟子たちには当てはまらない、と一貫して主張しました。彼は、ガラテヤの信徒たちに、『契約と律法は、分かち難く結び付いてはいない』と説明しました(3章21節参照)」と教皇は指摘。「聖パウロは、アブラハムと神の契約は、神がモーセに律法を授ける430年前になされた、という事実の基づいてそう言ったのです。彼にとって、契約は『約束の成就への信仰』に基ずくものでした」と説かれた。
さらに、教皇は、「聖パウロはモーセの律法そのものには反対しておらず、彼の手紙のいくつかの中で、律法の神聖な起源と、救いの歴史における明確な役割をしばしば擁護しています」としたうえで、「しかし、律法は命を与えません。それは神の約束を成就することにならない。それは約束の成就を可能とはしないのです」と指摘され、 「命を求める人は、神の約束と、それがキリストにおいて成就されることに、目を向ける必要があります」と強調された。
講話の締めくくりに教皇は会衆に向かって、「キリスト教徒の人生の革新性」を進んで受ける入れるように強く促された。「イエス・キリストを信じるすべての人は、聖霊のうちに生き、律法から自由になると同時に、同時に愛の戒めに従って律法を成就させるように、求められています。戒めと律法が私たちをキリストに向けさせるのです」。
そして、次のように祈られたー「私たちがキリストの愛に目を向け、イエスとの出会いがすべての戒めよりも重要であることを知る中で、(愛の)戒めの道を旅するのを助けてくださいますように」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)