(2022.11.30 Vatican News Christopher Wells)
教皇フランシスコは30日の水曜恒例の一般謁見で、「識別について」の連続講話をお続けになり、識別における真の慰めは、「神が望んでおられることを私たちが行っていることの一種の確認」にある、と語られた。
この日の講話で、教皇はご自身が出身のイエズス会の創始者、ロヨラの聖イグナチオの霊操に注目された。そして、「すべてが善なるものに向けられているなら、それは守護の天使のサイン」とされる一方、「考えや意図するところが悪しきものに向けられていたり、心を弱めたり、気を散らしたりする場合、それは、私たちの利益や永遠の救い』の敵である悪霊のサインです」と指摘された。
*自分の祈り、思い、行いを吟味する
さらに、祈りを例にとられ、「祈りの行為は、神と隣人への愛に向けられているなら、好ましいことですが、自分に与えられた義務を回避するためになされるなら、悪い行為になります。同じように、祈りが自身への誇りと他者への軽蔑をもたらすなら、初めはこの好ましくても、途中で悪い行為になることがあります」と注意された。
そして、行いについても、「自分がせねばならないことから気をそらしたり、攻撃的になって怒ったり、神への信頼をなくすほど自分自身に気を取られたりすれば、悪い結果を生むことになる」とも語られた。
*日々の良心の糾明の重要性
また教皇は、「人の心の敵は、しばしばひねくれており、私たちの心に侵入して、思いや行いを堕落させる方法を探しています… ですから、私たちの考えの元と真実を辛抱強く吟味することが欠かせません」とされ、 「それば、日々の良心の糾明ー特定の視点から経験したことを読み直す努力ーがとても重要であることの理由です」とされ、「私たちの中で何が起こっているか、に気づくことは重要です。それは、神の恵みが私たちの中で働き、私たちが自由と自覚の中で成長するのを助けてくださっているサインなのです」と説明。
真の慰めは「私たちが神が私たちに望んでおられることを行っていること、私たちが正しい道を進んでいることの一種の確認」として役立つ可能性がある、と付け加えられた。
*今ここで、私にとって善は何か
最後に教皇は、識別とは、単に何が善か、あるいは何が最も大きな可能性のある善がを見分けることではなく、「今、ここで、私にとって何が善かを判断すること」だということを確認され、「識別力は、今の時点で、神が私たちに何を期待しておられるかを理解するのに役立ち、さまざまな可能性の中から真の善を選ぶのに役立つのです」と強調され、講話を締めくくられた。