(2022.5.4 Vatican News Devin Watkins )
教皇フランシスコは水曜恒例の一般聴衆で、「老年の意味と価値について」の講話を続けられ、「信仰を証しすることが、若者たちを決意と勇気で満たすことができる」と年配者たちに向けて語られた。 この日の講話で、教皇は、旧約聖書のマカバイ記2・6章18-31節で語られている高齢の律法学者、エレアザルの物語を取り上げられた。
*エレアザルは90歳になっても信仰に命をかけた
(平均寿命が40歳前後だった当時(紀元前170年頃)、既に90歳の高齢だったエレアザルは、ユダヤを支配していたシリアの王、アンティオコス4世エピファネスから、ユダヤの律法で禁じていた豚肉を食べるように命じられた。その係に任じられた者たちは、旧知の間柄だったので、彼を連れ出して適法に食べることのできる他の肉を持ち込ませ、豚肉だと偽って食べるように、と彼に頼んだが、「この年になって演技するのはふさわしくない。それを若者たちが見て、道を誤るのはよくないこと」と述べ、「神がお造りになった聖なる法規範」に従い、死を選んだ)
教皇は、年配者だったエレアザルが立派に証ししたことに注目され、「老年における信仰への忠実さと誉れ」について、こう語られた。
「信仰の誉れは、それを、考古学的冒険、古い迷信、あるいは時代遅れの慣習として扱うことで弱体化しようとする”支配の文化”からの圧力ー時には暴力的な圧力ーにさらされることがあります… しかし、エレアザルは、偶像の犠牲にされた肉を食べることを拒否することで、信仰を強く証ししました… 高齢の人が、あとほんの何日か生きながらえるだけのために、信仰の誉れを失うよりも、若者たち、これからの何世代の人たちすべてに遺産を残すことは、はるかに大事なのです」
さらに教皇は、高齢のエレアザルは、老境にあっても、一貫して信仰を実践し続けていた、とし、「信仰の実践は極めて重要。人生で不都合が生じた時に”脇に置く”ことはできません… もし心身の弱った高齢者が、信仰の実践を諦めてしまったら、「若者たちに、『信仰は人生と実際の関係がない』と思わせてしまうでしょう」と述べられた。
*グノーシス主義の誘惑
教皇また、今日でも若者を誘惑し続けている異端思想、グノーシス主義(1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った。『グノーシス』は、古代ギリシア語で『認識・知識』を意味し、自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める。物質と霊の二元論に特徴がある)に言及された。
「グノーシス主義は、信仰を霊性、あるいは知性の力だけのものと考え、日々の生活の現実との関係を持たない… 確かに、これは非常に人を惹きつける思想です。『信仰は、食事規定や社会的慣行などに帰着できない』という明白な解釈をするからですが、グノーシス主義は、キリスト教の信仰を刹那的な信念にしてしまうか、あるいは真の証しを無いものにしてしまいます」と警告。「私たちのキリスト教の信仰は、常に、神の子の顕現を経験せねばなりません」と説かれた。
*年配者の使命は、信仰の誉れと取り戻すこと
最後に教皇は、「現代社会は、信仰の実践を過小評価しています、『信仰は、年寄りがやっているものだ』というような”文化的”なあてこすりする」が、「年配者には、『信仰の名誉を取り戻す』という重要な使命があります。なぜなら、信仰は『弱さ』ではなく、『強さ』のしるしだからです」と強調され、次のように締めくくられた。
「信仰は尊敬と名誉に値するものです。私たちの人生を変え、考え方を清め、神を崇敬し、隣人を愛することを教えてくれます。信仰はすべての人にとって恵みなのです!」