(2022.8.10 Vatican News Devin Watkins)
教皇フランシスコは10日、水曜恒例の一般謁見で、「老年の価値と意味について」をテーマにした連続講話を1か月半ぶりに再開され、「人生が終わりを迎えつつあるときの、キリストの約束への心静かな信仰と信頼は、福音への実り多い証しを提供する」と語られた。
教皇はこの講話でまず、ヨハネ福音書の最後の晩餐でイエスが弟子たちに別れの言葉を述べられる場面(14章1‐3節=「心を騒がせてはならない。神を信じ、また私を信じなさい… 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える…」)を思い起こされた。
そして「たくさんの人が最終的に、老年期の脆弱さと困難を経験しますが、それは『信仰のワクワクする祝福の時』でもあるのです」と語られ、「老年期に、自分と他の人たちと神の国に近寄せる信仰の働きは、青年期と壮年期のエネルギー、言葉、勢いの力を超えるものとなります」と強調された。
教皇はまた、「私たちが晩年を迎え、人生の長い年月を振り返り、逃してしまった機会について考えるとき、苦々しい思いにとらわれることがあるかもしれません」とされたうえで、「優しさと実生活への敬意をもって老いを生きることは、世俗的な条件に合わせることで、完全で満ち足りたものにすることができるという、教会についての誤解を確実に解きます… なぜなら、老いそのものが神がくださる祝福であり、私たちの人生が死を経て永遠の命に行くように運命づけられていることを教えるからです」と説かれた。
そして、「私たちの安定した場所、私たちの目的地はここにはありません… その場所は、主のおそばにあり、そこに主が住んでおられます」と語られた。
さらに教皇は、「私たちの地上での人生は『見習い期間』であり、その期間に、様々な困難が私たちに神の賜物を感謝し、それを他の人たちと分かち合うことを教えてくれます… 私たちが地上に存在する期間は、人生の始まり、神においてのみ成就される人生の始まりの時。私はこの地上に生を受けた初めから不完全であり、(地上での人生の)最後まで不完全なままです」とされ、また「老年は、『見習い期間』の終わりが近づき、私たちが直面する自分の時間の意味と限界を理解するのに役立ちます」と指摘された。
講話の最後に教皇は次のように締めくくられた。
「老いを迎えた人は、周囲の人たちにキリストへの希望と信仰を証しする特権を持っています。イエスの約束を容易に分かるようにします… 老齢期は『人生は最終的な成就への始まり』という喜びに満ちたメッセージを広めるのに最も適した人生の段階です。そして至高のものの到来はこれからです」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)