◎教皇連続講話「悪徳と美徳」⑮世界の課題の”海”と真剣に向き合うのに必要な徳は『勇気』」

教皇フランシスコ 2024年4月10日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場

(2024.4.10  バチカン放送)

 教皇フランシスコは10日、水曜恒例の一般謁見で、「悪徳と美徳」をテーマとする連続講話を続けられ、今回は、「勇気」の特について話された。

 連続講話の要旨次の通り。(バチカン放送訳、「カトリック・あい」編集)

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  今日のカテケーシスでは、基本的徳目の三つ目、「勇気(剛毅)」を取り上げたいと思います。『カトリック教会のカテキズム』は、勇気の徳を次のように定義しています。

 「勇気とは、困難にあっても断固として粘り強く善を追求させる倫理徳です。誘惑に抵抗したり、倫理生活の障害を克服したりする決心を固めさせてくれるものです。勇気の徳は、死の恐怖さえも克服し、試練と迫害とに耐えることができるようにしてくれます」(1808項)。

 このように、「勇気」は徳の中でも最も「闘う徳」です。基本的徳目のうち、「賢明」が「人間の理性」と結びつき、「正義」が「意志の中に宿る」とすれば、「勇気」は、古代の人が「激情」と呼んだものと関係づけられてきました。古代思想にとって、情熱のない人間など石のようなものであり、想像できないものでした。情熱は、必ずしも「罪の名残りだ」とは言えませんが、教育され、方向づけられ、洗礼の水、あるいは聖霊の火によって清められねばなりません。

 勇気のない、自分の力を善に従わせることのできない、誰にも迷惑をかけないキリスト者は、「無用なキリスト者」です。イエスは、人間の感情をご存じない、禁欲的な神ではありません。ご自分の友であったラザロの死を前に涙を流された方です。

 そして、イエスの言葉や振る舞いから、ご自身の情熱的な心が浮かび上がってきます。たとえば、こう言われます―「私が来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか」(ルカ福音書12章49節)。また神殿から、厳しい言葉で商人を追い出された場面@(マタイ福音書21章12-13節)もそうです。

 それでは、人生に実りをもたらすのを助ける「勇気」の徳の実存的な説明を試みましょう。古代の人々、ギリシャの哲学者、あるいはキリスト教の神学者たちは、「勇気」の徳に、受動的、そして能動的な二つの動きを認めていた。

 「受動的」な勇気は、私たち自身の心に向けられています。不安や、苦悩、恐れ、罪の意識など、私たちには打ち負かすべき内的な敵がいます。これらは私たちの心を乱し、場合によって、私たちを動けなくさせる力です。どれほど多くの運動選手が挑戦を始める前にくじけてしまうことでしょう。勇気とは、何よりも自分自身に勝つことです。私たちの心に生まれる恐れの大部分は、非現実的なものと言えます。そうであるなら、聖霊に祈り、忍耐強い勇気をもって立ち向かいましょう。できることから一つずつ、一人ではなく、協力して問題に対処しましょう。主は私たちと共におられます。主に信頼するなら、私たちは誠実に善を追求することができます。すべての状況を、盾となり、鎧となってくださる神の摂理に委ねることができるようになるのです。

 「勇気」の徳のもう一つの動きは、より能動的な性格を持っています。内的な敵のほかに、人生の様々な試練、迫害、私たちを脅かす想定外の困難など、外的な敵があります。私たちは起こるかも知れないことを予測しようとしますが、現実の大部分は不確定な出来事から成っているのです。その”海”の中で、私たちという”船”は波に翻弄されます。それに対して、「勇気」は私たちを、驚いたり、気落ちすることのない、耐久力のある”船乗り”にしてくれます。

 「勇気」は、世界の課題の”海”と真剣に向き合うために、不可欠な徳です。このような多くの問題を無視し、「すべては順調で、歴史の中で死をもたらす闇の力が働くことなどない」と言う人もいますが、歴史の本を紐解けば、あるいは日々のニュースに接すれば、私たちが被害者、あるいは主役として多少は関わっている非道な出来事、たとえば、戦争、暴力、奴隷制、貧しい人への抑圧、血を流し続け、癒されない傷などを知ることができるでしょう。「勇気」の徳は、私たちをこれらすべてに対して反応させ、はっきり「ノー」と叫ばせます。

 私たちの周りの一見、快適な世界では、すべてが水で薄められ、同じに見え、闘う必要もないように思わせられます。しかし、そこに良い意味での「預言者」の必要を、私たちは再び感じているのです。居心地のいい、ふわふわするような場所から、私たちを引きずり出し、悪に対して、また私たちを無関心に導くすべてに対して、はっきりと「ノー」を繰り返すことのできる人、そのような人が求められているのです。

 福音書の中に、イエスの「勇気」を再発見しましょう。そして、聖人たちの証しから「勇気」を学びましょう。

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2024年4月12日