(2023.6.7 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは7日、水曜恒例一般謁見で毎週の一般謁見で「使徒的熱意について」の連続講話を続けられ、今回は、幼いイエスの聖テレジア(リジュ―の聖テレジア)をその模範として取り上げられた。
教皇は彼女を特徴づける「小さき道」を称賛され、「病気と早世にもかかわらず、並外れた愛を持ってどんな小さなことでも行う道を示しました… その『小さき道』に倣い、主がなさったように、どんなに小さなことでも大きな愛を持って行いましょう」と信徒たちに呼び掛けられた。
教皇は、聖人が150年前の1873年1月2日に生まれたことを思い起され、教皇はその記念日に使徒書簡を彼女に捧げる計画を表明された。そして、「彼女は福音宣教の後援者ですが、実際に福音宣教に派遣されたことはありませんでした」と述べ、「宣教者」についてのこれまでの”常識”に異議を唱えられた。
*最後まで『宣教者』となることを望んでいた
そして、彼女はカルメル会の修道女として、「小ささと弱さに従って人生を送りました」とされ、彼女が自分自身を「小さな砂粒」と定義していたことを思い起され、「 彼女は健康状態が悪く、若干24歳で亡くなりました。でも、体は病弱でしたが、その心は生き生きとした宣教者でした」と語られた。
さらに教皇は、彼女が「日記」の中で、「自分の願いは願望は宣教者になることでした」と述べていることを指摘され、「宣教者になりたいと思ったのは、数年だけではなく、残りの人生を通して、最後まで宣教者になることを望んでいたのです」とし、彼女の日々の決意は「イエスを愛してもらうこと」であり、「他の人のために執り成すことでした」と強調。
聖人が、手紙で「私は人々の魂を救いたい、そして彼らのために自分を忘れたい。私は自分の死後も彼らを救いたい」と書いていたことを挙げ、「彼女は何度も言っています。『私は、天国で、地上で良いことをして過ごすつもりです』と。彼女の使徒的熱意は、良き羊飼いイエスを模範に特に罪人、つまり『遠くにいる人たち』に向けられていました」と指摘。聖人が数人の宣教師の「霊的姉妹」として奉仕し、修道院からの手紙や祈りを通して”共に歩み”、継続的な犠牲を捧げたことも思い起こされ、 「姿を見せず、隠れていながらも『車に前進の力を与えるエンジン』のように働いたのです」と語られた。
*同僚の修道女から『バラよりも棘』を受けたが
「ただし、そのことが同僚の修道女たちには理解されないことが多かった」と教皇は嘆かれ、「彼女は彼らから『バラよりも棘』を受けた… しかし、病気に加えてこれらの批判や誤解さえも、すべてを愛情を込めて、忍耐強く受け入れました。教会が必要としていることのために喜んでそうしました。 彼女が言ったように、『バラは誰にでも、特に最も遠くにいる人に落ちるかもしれない』のです」と説かれた。