(2021.10.27 Vatican News By Christopher Wells)
教皇フランシスコは、27日の水曜恒例の一般謁見で、聖パウロの「ガラテヤの信徒への手紙」を題材にした講話を続けられ、「霊が結ぶ実」(5章2節)を中心に語られた。
まず、教皇は、「パウロは、ガラテヤの信徒たち、そして私たちに、救いと信仰の中心にあるのは、主の死と復活だ、ということを教えてくれている」と語られ、それにもかかわらず、現代では、多くの人々が「『生きている真の神』ではなく『儀式と戒律』を重視し、神の愛を自身の全存在で受け入れるかわりに、宗教的保証を求めています」と警告。
*重要なことに回帰する
そのうえで、聖パウロはガラテヤ人に「十字架につけられたキリストを通して私たちに命を与えてくださる神に従うように」(3章1節参照)とされ、「私たちが霊的生活の筋道が分からなくなっている」と感じたとき、聖体拝領を含め、「十字架につけられたキリストの前に身を置く」ことを勧められた。
そして、「このようにすることは、さらなる一歩につながります。私たちが十字架につけられたキリストに出会う時、彼は私たちの心を変えます。 そして、聖霊を通して、私たちのキリスト教徒としての生活が新たにされ、私たちは『霊的な戦い』を続けることができるのです」と説かれた。
*「肉の働き」と「霊の結ぶ実」
さらに、教皇は「ここで聖パウロは、『肉の働き』『霊の結ぶ実」の間の二分法を示しており、肉の働きは、『神の霊に反する行動』としているが、肉それ自体が悪である、と言おうとしているのではない。このような表現をもって、聖霊が私たちに命を与えてくれようとしているにもかかわらず、私たちは聖霊に対して心の扉を閉ざし、この世の者たちは老いて死んでいくことを、思い起こさせてくれます」と述べた。
また教皇は、私たちキリスト教徒は、「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制忍耐、優しさ、善良さ、忠実さ、優しさ、自制心」という霊の実を結ぶことができるように、召されている、とされ、「聖パウロの手紙を読み、私たちがこのような霊の実を実を結んでいるかどうか、自分自身の行動を振り返り、確かめるように」と勧められた。
*私たちの共同体にとっての課題
「聖パウロの教えは、私たちの共同体にも多くの課題をもたらします」と語られた教皇は、「イエス・キリストへの信仰の素晴らしさは、数多くの掟や多くの積み重ねで作られた道徳的ビジョンに基づいて捉えることはできない。そのようなものは、平安で喜びに満ちた証しの源である祈りによって育てられた愛の根源的な豊かさを、私たちに忘れさせてしまいます」と忠告。さらに、「聖霊の命は…心の回心をもたらす聖霊の恵みに近ずくことを妨げようとす”官僚機構”によって窒息させられることはありせん」と言明された。
*「十字架につけられたキリスト」を宣言する
そして教皇は最後にこのように言われたー「私たちは、聖霊の愛の息吹で力づけられ、十字架上で死に復活されたキリストを宣言する、という大きな責任を持っています。人間の心を惹きつけ、変える力があるのは、この愛だけだからです」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)