(2021.10.13 Vatican News By Christopher Wells)
教皇フランシスコは13日、水曜恒例の一般謁見で聖パウロの「ガラテヤの信徒への手紙」を題材とした講話を続けられ、「主の恵みと愛によって自由にされたキリスト教の信仰は、すべての人々と文化を歓迎し、人々と諸文化をより大きな自由に開かせる」と強調された。
講話で教皇はまず、「キリスト教の自由は、文化や私たちが受けた伝統と対立せず、むしろ、新たな自由、解放された斬新さ、福音の自由を文化や伝統に注ぎ込む役割を果たすものです」とされ、「聖パウロがガラテヤの信徒への手紙に書いているように『キリスト・イエスにあっては…愛によって働く信仰こそが大事(5章6節)なのです。イエスの十字架上の死と復活によって罪と死の奴隷の状態から解放されたキリスト教徒は、すべての人々と文化を進んで受け入れ、人々と文化を さらなる大きな自由に引き合わせます」と語られた。
その一方で教皇は、「すべての人が福音的な自由の「斬新さ」を受け入れた訳ではありませんでした。パウロを批判する人々は、『彼の狭隘な宗教的伝統から受けた要求を最小限に抑えた』と揶揄しました。これに対して、パウロは”parrhesia(ギリシア語・危険を冒しても真理を語る義務)”をもって応えました。『今なお人の歓心を買おうとしているなら、私はキリストの僕ではありません』(ガラテヤの信徒への手紙1章10節)と」。
*すべての文化に開かれている
聖パウロの考えの「霊に触発された深さ」の中で信仰を進んで受け入れることは、「文化や伝統の本質ではなく、福音の新しさと純粋さの妨げとなりうるものを、捨てることを含みます」とされた教皇は、「真のキリスト教の自由は、神の子たちの完全な尊厳を獲得することを可能にし、すべての文化の善で真実であるものに開かれながら、私たち自身の文化的遺産に繋がり続けることを可能にします」と語られた。
そのうえで、「あなたがたは自由へと召されたのです」(ガラテヤの信徒への手紙5章13節)という自由への呼びかけの中に、「私たちは、福音のinculturation(受肉=キリストの教えが非キリスト教文化に対して適応し、展開していく上で、非キリスト教文化から影響を受けること)が持つ本当の意味を発見しますーキリストの良き知らせを、諸文化の中に存在する善と真理に敬意を払いつつ、告知することができるのです」と強調。
*諸文化に敬意を払う
また教皇は、キリスト教会が、福音宣教の歴史の中で、(注:宣教対象とする国や地域、民族に)単一の文化的モデルを押し付けようとする「沢山の過ち」ー文化的な伝統とともにすべての人が持つ様々な表現の豊かさを、福音宣教に生かす可能性を封じる過ちーをいくつも犯した、と指摘された。
さらに、聖パウロの自由についての理想は「すべての人がもつ文化的な源泉」を大切にする義務を明らかにしており、それが、すべての時代の、すべての人々と文化に心を開くことにつながる。なぜなら、キリストは、すべての人の為に、お生まれになり、亡くなられ、そして復活されるからだ、としている、とも語られた。
*文化は変わる、信仰について新たな語り方を考えよう
最後に教皇は、文化は本質的に、絶えず変化していくものであり、「私たちは信仰について語る新たな方法を見つけていかねばならず、それを怠れば、新しい世代の人たちから理解されなくなるリスクを冒すことになります」とされ、自由を所与のものだと主張するのではなく、「常に動き続け、その充実に向けて」自由から挑戦を受けるように、信徒たちに勧められた。「これは、巡礼者ー絶え間なく移動を続ける徒歩の旅人、奴隷状態から解放され、自由を満喫するために歩む人ーに課せられた条件です」と語られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)