(2021.6.30 Vatican News Devin Watkins)
教皇フランシスコは30日の水曜恒例一般謁見で、前週から始められた聖パウロの「ガラテヤの信徒への手紙」をテーマにした講話をお続けになり、この手紙でパウロが強調しているのは「自分の説教を通してガラテヤの人々が受け入れた『彼らの存在の基礎となる真のアイデンティティを作り上げる福音』の新しさ」だと語られた。
*パウロの手紙が指摘する問題の核心は
教皇は、聖パウロが自分を批判する人々の中身のない議論を脇に置き、教会共同体の紛争を克服する道を示すことに熱弁を振るった、と述べ、ガラテヤの信徒への手紙の「結びの言葉」にかけて、議論の核心がすべてのキリスト者に割礼が必要かどうかにある、ということを明らかにしている、とされうえで「パウロはそれをさらに深く追求します。それは、ガラテアの教会共同体で危機に瀕しているのは福音の真理とそれに不可欠なキリスト者の自由だ、と考えたからです」と説かれた。
*神の憐れみの素晴らしさを強調
続けて教皇は、パウロが、自分の功績ではなく、「イエス・キリストと父なる神とによって使徒とされた」1章1節)ことをこの手紙の冒頭にもってきていることに注目された。
そして、パウロは「自分がかつて、神の教会を徹底的に迫害し、破壊しようとしていた」(1章13節)こと、「同世代の多くの同胞よりもユダヤ教に精進し、先祖の伝承に対して極めて熱心だった」(1章14節)ことを強調しているが、これは「彼が、神の憐れみの素晴らしさを強調するために、そのような語り方をしたのです」と言われた。
「パウロは、自分の人生における強く印象に残る過去を対比させることで、自身が受けた召命の真理を強調しています。ユダヤ教の伝統と律法を守らないキリスト者を迫害していた彼が、イエス・キリストの福音を宣言する使徒になるように召された、ということを」と語られた。
*神は、弱く罪深い者をお使いになる
パウロの波乱万丈の過去にもかかわらず、神は、復活された御子を彼に表すことを選ばれた。それは彼が異邦人に福音を伝えるためだった。教皇は「主の示される道は、私たちにとって、何と不可解なのでしょう!私たちもこのようなことを、毎日のように、そして特に、主が私たちをお呼びになった時に、経験しています」とされたうえで、「イエスが私たちの人生に入って来られた時のことを決して忘れないように、神が私たちの存在を変えられた恵みとの出会いを心と頭にしっかりと繋ぎとめておくように」と信徒たちに強く促された。
そして、教皇は、神が、ご意思を述べ伝えるために、しばしば、罪人たち、弱い者たちを活用されることに注目され、「しかし、そうしたことが偶然に起こることはありません。全てのことは、神のご計画の中に用意されいるからです。神は、私たちの歴史を織り上げられ、神の救いの計画に私たちが信頼をもって応じることで、それは実現されるのです」と説かれた。
*神の恵みは、私たちを福音の奉仕者にする
最後に、教皇、神が私たちを呼ばれるとき、私たちに使命ー私たちが熱心に準備しなければならないものーが吹き込まれる、とされ、「それを自覚して導かれるようにしましょう。このことに私たちが気づきに導かれることを許しましょう。恵みの筆頭にあるものが存在を変換し、福音の奉仕のおいて置かれるに値するものとされるのです」
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)