・駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」(6)ハーフェズの偉業

 私の退職後の人生の楽しみともなり、指針ともなったペルシャの詩歌を、ハーフェズとモウラナーという2大巨星の詩句を中心に、いよいよ具体的に紹介する段になった。

 最初はハーフェズである。

 背景説明として、まず彼の生きた時代を概観し、次にその宗教観と人生観、すなわち生き様を具体的な詩句を挙げながらお話ししたい。

 ハーフェズが詩人として活躍したのは、14世紀の後半である。13世紀のモンゴルの西征により、世界を席巻したイスラーム帝国も終わりをつげ、東方のイスラーム圏は徹底的に破壊されその支配に服する。バグダードを首都とするアッバース朝カリフの崩壊(サラセン帝国)、すなわちイスラーム世界のシンボルの消滅も13世紀の半ばである。

 チンギス汗の後裔フラーグはサラセン帝国を滅ぼすとともに、イランを中心としてイルカン国を設立する。この政権はのちイスラームを受け入れ土着化していくが、その衰退後も、東方イスラーム世界では、今度はモンゴル帝国の復活を目指して中央アジアにチムールが出現、ハーフェズが生きたシラーズもその支配下に置かれた。

 ハーフェズはモンゴルによる世界の大変動の余波冷めやぬ戦乱の時代に生きた。ハーフェズは故郷シラーズをこよなく愛し、終始シラーズにとどまり近辺の大きな町ヤズドやケルマンのほかには旅していない。

 「なんと気持ち良い、シラーズは比類なきところ 神よ シラーズがいつまでもこのままでありまよう」(以下いずれもハーフェズの詩)

 シラーズの人のみならずイラン人なら誰でも承知の一句である。外務省入省後、ペルシャ語専門家の第一歩として、私は邦人のほぼいないシラーズでペルシャの言葉と文学の研修に励むことになる。

 ハーフェズから600年後のシラーズは、現在の大都会化したシラーズから見ればはるかにハーフェズの時代に近かったであろう。当時未だ20代前半の異邦人にとって、シラーズはこの上なく退屈な社会であった。

 ハーフェズは、一度インドに招かれて、ペルシャ湾岸の港まで行ったものの大嵐に遭遇し、引き揚げてきている。彼の名声が生存中すでに、ペルシャ文化世界に広く知れ渡っていたことが知られる。第一回目に紹介した、「(世界を見透かす杯を)海(道)にさまよった者に求めた」との比喩も、港で大嵐に遭遇した経験に基づこう。

 不安定な時代を背景に、詩人としてのハーフェズも、詩人の常として宮廷の庇護を得ようと願うが、権力の抗争は、詩人の身分の安定を許さない。うまく取り入ることができる時もあれば、そうはいかない時も多い。ハーフェズも王や宮廷の有力者を讃嘆する詩歌を読みはしたが、数も限られれば自らをまげて卑しく媚びることはない。

「ハーフェズよ 王に伺候の機会を得ようというのか 何もしないで なんの望みがあるというのか」

 世情は落ちつかず、有力者の庇護もままならない中で、ハーフェズは敬虔なムスリムとして、神への愛の道を真摯に生きようとする。ハーフェズの生きた社会は、神の命ずるがまま(聖典「コーラン」)を信じ実践する、とのイスラームの宗派が優勢、ハーフェズも、それを神への絶対的な愛(自己滅却)という形で実践しようとする。ハーフェズという名前自体が「コーランを暗唱するもの」という意味である。

 神の道は、手に入れたと思えばすぐに逃げてしまう茨の道、その愉悦と苦痛を詩的に昇華することがハーフェズにとって生きることであった。

 「汝とともにある瞬間は 1年が一日 汝のいない瞬間は 一瞬が一年」

 1年が一日にも思える程さっと過ぎてしまう至福の時、時間が全く進まない苦痛の時、だれにも経験があろう。

 また、社会には神への道の修行を説きながら、自らは自己の欲望に汲々としている同道の輩が少なくない。ハーフェズの信条からすれば、何とも我慢がならない欺瞞である。そうした不義・不誠実への怒り・批判を、ハーフェズは詩的に表現することで自らの人生を生きた。

 「ハーフェズの語るべきことは長い 短くはできない」

 もっとも、ハーフェズの人となりや人生はあまりよく知られていない。何しろ、主としてガザルという詩形式の作品が、500編あまり残っているだけだからである。これも、彼の死後友人のガランディルがまとめたものなどが原典である。ハーフェズ自身がまとめて発表したわけではない。詩作に大変な自負を持ちながら、それを自ら積極的に広めたわけではない。何しろ、詩は支配者から不満・抗議と受け取られれば、そのために殺されかねない時代である。作品は人づてに伝え回わされたものである。

 それにしても、伝えられる500編余の詩句で、世界を魅了できるとはとてつもない偉業である。

(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)

(駒野欽一=国際大学特任教授、元イラン大使)

・Dr.南杏子の「サイレント・ブレス日記」⑯ 親愛なる患者さんへ

またもや胸の痛む出来事が起きた。名古屋市の大学病院で1月25日午後、外科診療室にいた男性医師(42)の首を何者かがナイフで刺して重傷を追わせ、逃走するという事件が発生した。

 約1時間半後に殺人未遂容疑で逮捕された犯人の男性(68)は、この病院に通院する患者だった。男は「診察の待ち時間が長い」とクレームをつけて、病院側とトラブルになったことがあったという。

 類似の事件は少なくない。

 ・2017年1月、岐阜市の歯科医院で、院長の歯科医(50)が患者(58)に襲いかかられ、包丁で刺殺される。
・2015年5月、大阪府門真市の耳鼻科医院で、受付の女性職員(58)が元患者(45)に顔や首を大型の包丁で切りつけられて重傷を負う。
・2014年8月、札幌市東区の総合病院で、診療中の消化器内科医(50)が患者(67)に刃物で脇腹など5か所を刺される。

 ・2013年8月、北海道三笠市の市立病院で、精神科医(53)が患者(55)に胸を包丁で刺さされて死亡する。
・2012年5月、福岡市東区の大学病院に、「明日朝に爆発させるぞ」と爆発予告の電話が入り、元患者(45)が威力業務妨害容疑で逮捕される。

 ・2011年11月、沖縄県西原町の大学病院で、耳鼻科医(36)が患者(70)に左脇腹を刺される。

 医療従事者向けの情報サイトを運営する「ケアネット」が昨年3月、会員医師1000人を対象に行った調査によると、患者・家族からの暴言や暴力、過度のクレームや要求を受けた経験がある、と答えた医師は、55・1%に達した。全日本病院協会が2008年に発表した調査結果でも、全国1106病院の52・1%が、患者からの暴力・暴言を経験したことがある――と回答している。

 いわゆる「モンスター・ペイシェント」や「クレーマー患者」の問題ばかりではない。過労死ラインを超える長時間労働で、大勢の医師が疲弊している。診療の場に立つ者のひとりとして、私たちの医療が直面している厳しい状況から目を背けてはならないと感じる。

 医師と患者の信頼関係をテーマにした医療小説を書きたい――。そうした思いから、このたび書き下ろし長編『ディア・ペイシェント』(幻冬舎)を上梓した。

 医師や患者、そして医療に関わるすべての人の「本音の叫び」を拾い上げて小説にまとめるのは、筆者にとって苦しみを伴う作業でもあった。きれいごとで済まない現実の重みを受け止める必要があったからだ。

 患者と医師が歩み寄るには、どうしたらよいのか? そのために医師は何をすればよいのだろうか?

 「どうぞお大事に――」。患者さんひとりひとりに声をかけながら、医師として、作家として、今日も考えている。

(みなみきょうこ・医師、作家: 「クレーマー患者」と医療崩壊などを主なテーマに据えた長編小説『ディア・ペイシェント』=幻冬舎=を1月25日に刊行しました。https://www.amazon.co.jp/で。終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』=幻冬舎=は5刷出来。日本推理作家協会編『ザ・ベストミステリーズ2017』=講談社=に短編「ロングターム・サバイバー」収録)

2018年1月26日 | カテゴリー :

 Sr.岡のマリアの風 ㉒パパ・フランシスコと共に… 独り言アラカルト…(新)

 また、土曜日、「マリアと共にお手紙デー」が来た。他の日より、「ちょっぴり」、違う日。

***

 この「ちょっぴり」という言葉。わたしは、けっこう、使うらしい。意識していなかったが、ある時、ポーランドからここ、本部修道院に派遣され、日本語を勉強しているSr.Tから、「シスター、『ちょっびり』って何ですか?」と、聞かれた。

 (わたしが思うに)「ちょっぴり」は、「少し」とは、まさに「ちょっぴり」違う(あくまで、わたしのこだわりだけれど)。わたしが、昨日よりも、今日、もうちょっとだけ、イエスさまに近づきたい、昨日よりも、もうちょっとだけ、目覚めて、ミサに行きたい、イエスさまに、姉妹たちに会いに、出て行きたい。昨日よりも、もうちょっとだけ、「みことば」に留まりたい。…「ちょっぴり」だけ…

***

 それは、「どーせ、たくさんは出来ないから」…という、「あきらめ」とも、違う。「あきらめ」は、パパ・フランシスコが何度も言うように、「停止してしまう」こと、さらには、自分だけでなく、周りの人の善意も「ストップさせてしまう」こと。

 だから、パパ・フランシスコの中で、「あきらめ」はすでに「罪」である。人々の希望を摘み取ってしまうから。さらには、次の世代の人々に何も残さないどころか、自分が歩いた跡に、「不毛」、「荒廃」を残すから。

 「あきらめ」は、「ちょっぴり」進むことも拒否する。「ちょっぴり」前に進む、とは、(わたしによると)自分の弱さ、限界という現実に気づき、それをありのまま受け止めながら、周りの姉妹たち兄弟たちの弱さ、限界という現実に、ちょっぴりやさしくなって、どうにかして一緒に前に進みたい、という望み、希望から生まれる、「現実の一歩」だ。

 パパ・フランシスコは、「…したい」の状態で留まっていてはだめだ、と繰り返す。

 心の中の希望を消さない、とは、あきらめずに、小さなことを、普通の日々の中で、信じてやり続ける、具体的に「出て行く」、手を差し伸べる、声をかける、ほほえむ、善いことのために「手を汚して」働く…ということである。

***

 パパは、今年の1月1日、神の母マリアの祭日に、神が「本当に」人となったことの神秘を思い巡らす。本当に人となったイエス・キリストに従うとは、「具体的に」この世界を、より「美しく」「住みやすく」するために、出て行くことだ、と(そのような内容のことを)訴えた。

 パパは、神が、真実に、マリアの胎の中で人間の肉を取り、「人となった」、その時から、もはや、神と人とは切り離せない、「もはや、人間なしに神はいない」とまで言い切る。

 この地の、苦悩の中にも希望する民を前にして、パパは、神が人となったのは、「わたしたちと共にいる」ためだけでなく、「わたしたちのように」なるためだ、と言う。神が、わたしの痛み、涙を、ご自分の痛み、涙として「経験する」ことが出来るように…。わたしたちを絶えず驚かす、神の心!(以下、試訳)

 「マリアが「神の母」であるということは[…]主がマリアの中で受肉したときから、その時から、そして永久に、主は、ご自分がまとったわたしたちの人間性を運んでいるという真理です。もはや、人間なしに、神はいません:イエスが、母から取った肉は、その時も、そして永久に、彼のものであるでしょう。「神の」母と言うのは、わたしたちに次のことを思い起こしています:神は、人の近くにいる-幼子が、彼を胎の中に運ぶ母の近くにいるように-。

 用語「母」(mater)は、用語「物体」materiaにも関連しています。天の神、無限の神が、彼の母の中で、自分を小さくした、自分を物体とした―「わたしたちと共に」いるためだけでなく、「わたしたちのように」なるために-。これこそ、奇跡、これこそ、新しいことです:人間はもはや一人ぼっちではありません;もはや、決して、孤児ではありません。永遠に、子です。そしてわたしたちは、マリアを、「神の母」と呼んでたたえます。わたしたちの孤独が打ち負かされたことを知るのは、喜びです。わたしたちが、愛されている子であると知ることは、このわたしたちの幼年期(子であること)は、決して取り除かれないと知ることは、美しいことです。… 」

 復活のイエスが、その体に、「傷」-十字架の傷―を運んでいた、という神秘を思い巡らすたびに、みじめな罪びとであるわたしたちは、ありがたさのあまり、涙を流さないではいられない。イエスは、「強い」「健康な」わたしたちに会うために、出て来たのではない。イエスは、「この」、弱い、罪に傷ついたわたしたちに会うために、出て来て、降りて来て、降り尽くしてくださった。この、疑いもない「真実」は、何という大きな慰めであることか。

 慰め…なぜなら神は、人間の、わたしたちの、わたしの罪に「つまずかない」「驚かない」から。神は、わたしたちの弱さ、傷つきやすさを知っているから。神は、わたしたちの疲れ、渇き、苦悩を、「生きて」「経験して」知っているから。

***

 今週は、わたしにとって、チリ、ペルーを司牧訪問中のパパ・フランシスコの、「強烈な」言葉の一つ一つに触れ、心打たれ、涙を流した時期だった。自分のみじめさを思い、足りなさを思い、その「みじめなまま、足りないまま、傷ついたまま」で、「出て行ってください」、と懇願するパパの言葉をかみしめた。

***

 パパは、チリで、司祭、修道者たちに話しかけた。司祭による未成年の性的虐待事件という、何か内にくすぶっていたものの「現れ」でもあった事実を前に、信頼を失いつつあるチリの教会、道を歩いていたら人々に中傷されることさえある司祭、修道者たちに。

 パパは彼らと共に、聖書の言葉を味わう。パパは彼らと共に、聖書が示す、ペトロと共同体の「信仰の歩み」を辿った。
自信のあったペトロ…世の常識を知らない「先生」(イエス)を守ってあげなければ、と頑張っていたペトロ、「先生」が弟子の足なんか洗うもんじゃない、と抵抗したペトロ、「先生」のためなら命も捨てる、と宣言したペトロ… 落胆したペトロ… それなのに、「先生」を裏切った。「先生」を見捨てた。自分の弱さ、限界を経験して、打ちのめされたペトロ。

 そして、ゆるされたペトロ… 復活したイエスはペトロに、「この人たち以上に、わたしを愛しているか」と問いかける。ペトロは、「はい、愛しています」と言うが、イエスは、さらに同じ質問をなげかける。最後にペトロは、「あなたは何もかもご存知です…わたしが、あなたを愛していること、それでも弱さに負けて、恐れて、あなたを裏切ってしまったこと。それでも、それにもかかわらず、あなたを、何にもまして愛したいことを…」。

 この、ペトロの、ありのままの、「へりくだった」告白を、イエスは聞きたかった。教会の頭(かしら)であるペトロが、自分の弱さ、限界を受け入れ、それでもイエスに従いたいという告白を。イエスは、その告白を受け入れ、彼にご自分の教会を託す。そして、まさに、イエスの、この「いつくしみに満ちあふれる心」によって、「変容される」ペトロ。

 ペトロは、初めて理解する。

 自分は「先生」に、「偉い人」が弟子の足を洗うなんて非常識だ、止めてください、と抵抗した。自分たちは、「先生」が受難に向かって歩いているときに、「自分たちの中で誰が一番偉いか」と、話し合っていた。

 ペトロは、初めて理解する。

 「偉くなりたい」なら、「小さく」なり、「低く」なり、「仕える」者となりなさい、という「先生」の言葉を。「先生」は、小さくなり、身をかがめ、自分たちの足を洗ってくれた。それは、「先生」の尊厳を低めることではなかった。イエスは、まさに、「そのために」世に来たのだ。

***

 パパは、チリの司祭、修道者たちに言う。民が求めているのは、「規律」を厳格に守る司祭、修道者でも、高い所から命令する軍の司令官のような司祭、修道者でも、ない。

 民が求めているのは、自分たちのところに来て、自分たちの目を見て、自分たちと共に歩み、転んでしまったら、指さして非難するのではなく、黙って手を差し伸べ、また一緒に歩く司祭、修道者。苦悩のあまり涙を流すとき、弱さを見せるとき、自分たちのそばで、何も言わずに共に泣いてくれる司祭、修道者。イエスの「傷」を、自分の傷として運び、人々の傷、世界の傷の中に、イエスの傷を見ることが出来る司祭、修道者。そして、人々の傷、世界の傷を、唯一、それを癒すことが出来る方―イエス・キリスト-に運ぶことのできる、司祭、修道者である、と。

***

 昨日の夜、本部修道院での月一度の「ルカ(わたし)の勉強会」があった。「勉強会」の前、いつも祈る。

 イエスさま、あなたが、このあなたの民に語りたいと望むことだけを、わたしに語らせてください。

 マリアさま、わたしが、主が望むこと以外を語るのを、決してゆるさないでください―どんなに美しい言葉であったとしても、理屈の通った教訓であったとしても―。ただ、主が、今、ご自分の民に語ることを望んでいる言葉だけを、わたしに運ばせてください。

 わたしの中に、善意ではあっても、よい意図ではあっても、「姉妹たちに、この人たちに、こういうことを分かってもらいたい。こういう状態だから、こういうことを言う必要がある」…と、「わたしの」欲が入ると、それはまさに、「高い所からの話し」になる。

 イエスが、受難に向かいながらエルサレムに入ったとき、民衆は歓呼して迎えた。その流れて神殿に入り、司祭や律法の先生たちの前で、何か「偉大なレクチャー」をすれば、ひじょうにインパクトがあったはずだ。でも、イエスは何をしたか…。神殿に入るなり、境内で商売している人たちを追い出し、机やいすを倒した。「神の家」は「祈りの家」だ、と言いながら。

 もっと「賢明に」、その辺のところは妥協して、神殿の中で、エルサレムの権力者たちに、当たり障りのない「良い話」をすることだって出来たはずだ。
でも、イエスは、そうしなかった。

 イエスは、だんだん、受難の「沈黙」に入っていく。神のみ心の中の、すべての人々の救いは、受難の沈黙の中で実現する。
永遠から、神とともに在った「みことば」は、わたしたちの救いのために降りて来て、その「誕生」のとき、「語らない」「みことば」-生まれたばかりの乳飲み子―となった。

 そして、その生涯の最後、「受難」のとき、再び、「みことば」は黙する。わたしたちの救いの、決定的な「時」は、沈黙の時である。神の「みことば」は、沈黙の中で、わたしたちに「語りかける」。

***

 「沈黙」の中で語りかける神の「みことば」を運ぶ者となる。この、神のパラドックス(逆説)の中で、わたしたちも、沈黙に留まって、思い巡らさなければならない。マリアのように。十字架のもとに立つ、マリアのように。

***

 わたしたちは何としばしば、「わたしはこう思う!」「そんなこと、あり得ない!」…と、主張したがることか。
パパは、今年の世界平和の日、世界難民移住移動者の日、バチカン駐在各国大使たちへの新年の挨拶…の中で強調する。「互いに受け入れ合う」ことは大切だ。でも、それでも十分ではない。「互いに認め合う」ことがなければ、と。

 「認め合う」とは、まさに、目の前の相手の、一人の人間としての尊厳、神の御手で造られた人間としての尊厳を認める、ということであり、それもどちらかが一方的にではなくて、相互に、ということだ。

 「そんなのキリスト者として当たり前」、と思うだろうか。そう、確かに「当たり前」。でも、この当たり前のことを、普通の日々の中で、自分の良心に照らしながら、神の「みことば」に照らしながら生きるのは、そんなに簡単ではない(少なくとも、わたしにとっては)。

 相手は、わたしにとってなくてはならない存在である、相手は、わたしが「総合的に」成長するために、絶対必要な「賜物」である、と互いに認め合う。この地を、この世界を、美しくするために、わたしたちは互いを、必要な「賜物」として受け入れ、認め合う。

 そうしないと、神の織りなす「唯一の作品」は、出来上がらない。この世界を、美しくするために、わたしたちは互いを、必要な「賜物」として受け入れ、認め合う。そうしないと、神の織りなす「唯一の作品」は、出来上がらない。

 救いの歴史の、唯一の織物。さまざまな材質、色が、それぞれの場所に織り込まれた、織物。神の御手による織物。しかし、人間の協力なしには、決して出来上がらない織物。神が人となった、その時から、神のわざは、人間なしでは完成しない。
神の唯一の望みは、全被造物が、創造の目的―「エデンの園」の調和、神のいのちの共有―に達することであり、神の姿、神に似た者として造られた人間は、全被造物を完成へと導く協力者としての任務を託されている。

 使徒パウロは言う。全被造物が、その完成の時を、呻きながら待っている、と。

 「現在の苦しみは、将来、わたしたちに現されるはずの栄光と比べると、取るに足りないとわたしは思います。被造物は神の子らが現れるのを、切なる思い出待ち焦がれているのです。被造物は虚無に服従させられていますが、それは、自分の意志にあらず、そうさせた方のみ旨によるのであり、同時に希望も与えられています。すなわち、その被造物も、やがて腐敗への隷属から自由にされて、神の子どもの栄光の自由にあずかるのです。わたしたちは今もなお、被造物がみなともに呻き、ともに産みの苦しみを味わっていることを知っています。被造物だけでなく、初穂として霊をいただいているわたしたち自身も、神の子の身分、つまり、体の贖われることを待ち焦がれて、心の中で呻いています。わたしたちは救われているのですが、まだ、希望している状態にあるのです。目に見える望みは望みではありません。目に見えるものを誰が望むでしょうか。わたしたちは目に見えないものを望んでいるので辛抱強く待っているのです」(ロマ8・18-25)。

 わたしの好きな聖書の箇所の一つ。そうなりますように!アーメン!

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

2018年1月20日 | カテゴリー :

 Sr.岡のマリアの風 ㉑パパ・フランシスコとの旅

 パパ・フランシスコは、謙虚に、一歩一歩進んでいますね。

 時に、メディアには、パパ・フランシスコの言動は「パフォーマンス的」 に映るかもしれないけれど、パパの言葉を、一言一言 かみしめていくと、決して、「耳に心地よい」ことは、言っていませんね

 この世の「常識」は 時に、「だって、しようがないじゃん」「相手が悪いんだから」「わたしたちが、いっくら頑張ったって… …と言って、わたしたちに「あきらめ」の空気を伝染する。その「あきらめ」に、わたしが、わたしたち自身が、流されるに任せてしまうこと、それは「罪」だ、とパパは断言します。

 あきらめてしまう、とは、もう、今、わたしの住んでいるこの世界を、さらには、次の世代の子どもたちの世界を、「少しでも良くする」ために 何かをする」のを放棄する、というだから。それは、今も、世の終わりまで、「働いて」いる、創造主である神の協力者
としての人間の使命、責任を、放棄することだから。

 それにしても、日々、短い言葉でパパの行動、言葉を要約している、「バチカン放送局HP」は、さすがにプロですね!(わたしは「記者」という職業をひじょうに尊敬しています。「要約」がひじょうに下手だから)。

 わたしは、その素晴らしい記事を読みながら、その間、シスターたちのために、ぼちぼち、パパの言葉を一言一言、試訳しています。誰かの言葉を 批判 するなら、きちんと原文を読んでからにしろ!と、恩師にさんざん-6年間-言われ続けましたので この場合、「批判」というのは、ヨーロッパ的ニュアンスで、否定的な意味ではありません)

 1月16日の、司祭、修道者、神学生たちへの話も、ひじょうにパパらしい、一方で、謙虚さ、他方で、「出て行く」力を兼ね備えたものですね。こちらは長いので、そしてわたしたち修道者にズ~ンとくる内容なので、少しずつ訳すことにします。

 1月17日の、テムコ空港でのミサ。短いけれど-バチカン放送HPでも分かるように―、本質的にいきなり入る、強烈なメッセージですね。「分かっちゃいるけど、実行するとなるとね~」と、わたしたちが概して、心の中では「このままではいけない と思いつつ、言い訳しながら、「ぐずぐず」しているところを、ズバッと明らかにする…。

 それプラス、今日のミサの第一朗読。イスラエル人を、ペリシテ人に対する勝利へと導いたダビデに、嫉妬するサウル王…。「他人事」として、この聖書の箇所を読めば、サウル王を、「王であるのに、大人げないな~」と思ってしまうけれど、こういうこと、日々の何気ない心の動きの中で、多かれ少なかれ、ありますね(わたしだけ??)

 嫉妬に狂って、冷静な判断が出来ず、ダビデを殺そうなどと過激な結論まで出してしまうサウル王。

 「嫉妬」は、まさに、神がわたしたち一人ひとりに託した、一つひとつのユニーク、唯一の使命を見えなくしてしまいますね。…だから、「嫉妬、妬み」は、わたしを、神から分裂させる。

 サウル王は、主に「油注がれた者(メシア)」としての自分の使命-すべての人を一つに集め、神の「地」、神のいのちへと導く使命-を、まったく忘れています。というより、もしかしたら、心の底でわかってはいるけれど、認めたくない!という気持ちでしょう。
わたしは、わたしたちは、何と無駄なことに、神の時間を費やしているのでしょうか…

 サウル王から始まる、イスラエルの、主に油を注がれた王たちの歴史。その完全な実現である、大文字の「油注がれた者(メシア) イエスは、十字架に上げられながら、すべての人々を一つに集めます。

 何と、わたしたちの思いと、神の思いは、異なるのでしょう!
今日から、「キリスト教一致週間」。平和を脅かす「分裂」をもたらすもの。それは、まさに、「善いことをした」ダビデを妬み、殺そうとまでする、サウル王の「心」―嫉妬、妬み-ですね。

 聖書学者A. Vanhoye枢機卿は、また、このサウル王の心を落ち着かせ、主が彼に託した「王であること」の意味を静かに諭す、彼の息子、ヨナタンのしたことを、「和解」の素晴らしい模範だ、と指摘しています。まさに、一致、平和を助けるのは、暴力ではなく、相
手を思いやる心から発する真理の言葉ですね。

 パパは、テムコ空港のミサの中で、パパの「口癖」の一つ、わたしの好きな言葉を伝えています。平和を造りだすのは、「手職人rtigiani だ、平和は、異なる糸を一つ一つ味わいながら(一つ一つの糸に「聞きながら」)、少しずつ、忍耐強く、一つの調和のとれた織物を織っていくようなものだ、と。だから、平和は、「手作業」「手作り」。機械による大量生産や、机の上だけの精巧な理論では造り出せない、とパパは強調します。

 平和は「手作業」…だから、「対話」。だから、「相手」のところに「出て行って」、その人が住んでいるところ、生きている場に行って、その人の話だけでなく、その人「自身」に聞くこと…

 パパ・フランシスコは、さらに、相手を「受け入れる」だけでは十分ではない、と言います。相手を「認め」なければならない、相手の、人であることの尊厳を認めなければならない、互いに「認め合わなければ」ならない、と。

 これって、まさに、パパ自身が行っていることですね。今、チリで「出て行って」、その人たちの「地」に自らを置き、美しいことばかりでなく、その人たちの涙、苦しみを「聞く」こと…

 パパは、テムコ空港でのミサに集まった人々に、共に祈るよう、呼びかけます。「主よ、わたしたちを、一致の職人としてください」«Signore, rendici artigiani della tuaunità»

 わたしが、ぼちぼちと、せっせと、いろいろな「試訳」をしているのを、「すごいバイタリティー!」と感心してくださる、心優しい友人たちがいます。でも、わたしの中では、そんな大げさなことでも、尊敬されるようなことでもなく、今日のわたしの使命を、不器用に、少~しずつ、生きている、という感じです(こう言うと、また「謙遜な…」と「誤解」されるかもしれませんが、これって、すべての善意の人たちが、毎日、しようとしていることと、まったく同じです)。アーメン!

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

2018年1月18日 | カテゴリー :

 三輪先生の国際関係論 ㉓トランプと教皇フランシスコ 

 売名だけが目的で選挙戦に出る人物はこの日本にもいる。目的がそれだから、間違って当選してしまうと当惑してしまう。そんな公職で人生の大事な時間を浪費するなどもっての外であった。

 トランプ・アメリカ大統領がそれだった。 アメリカの週刊誌『 タイム』が今月22日号を、この一年を総括する特集号としている。報道写真がまともな大統領たりえなかったトランプを雄弁につづっている。微笑んでいる写真もむろんあるが、と断りつつ、ヴァチカン訪問の写真は歯をむき出して微笑んでいるトランプの隣で、教皇フラシスコは苦虫を潰したような苦渋に満ちた表情をしてカメラに収まっている。

 教皇のお気持ちを忖度するとどうなるだろう。世界一の権力の座にある者への期待は大きい。その期待が半分でも報われたらと祈るばかりである。(2018年1月17日記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)

 菊地大司教の日記 ⑥少しずつ、前進、漸進

2018年1月14日 (日)

 この数日、新潟は大雪で、普段はそれほど雪が積もらない新潟市内でも、あまりの積雪に車が埋まったりして、新潟教区本部も臨時休業となったと、連絡をいただきました。普段あまり降雪がない分、新潟市内は,実は大雪には備えが手薄だったりして、こんなにどかんと降ると大変なことになります。一晩中、電車に留まることになった方々は,本当に大変だったと思います。東京でも何度もニュースで流れました。

 とは言いながら、わたしは東京にいるわけで、大雪の新潟では全く考えられないほどの薄着で過ごしております。もちろん東京もそれなりに寒いことは寒いのですが、今朝、日曜の朝など、ジャケット一つでカテドラル構内を歩いていられるほどの暖かさ。考えられません。 で、朝からカテドラル構内を歩いていたのは、福島野菜畑の柳沼さんが、野菜などの販売に来られていたので、ご挨拶に。新潟でも,いくつかの教会で,福島野菜畑の活動に協力をしていますが、東京の関口教会では,月に二回ほど,定期的な販売があると聞きました。Yasaibatake1801

 柳沼さんによれば、教会の方々もそうですが、これまで何度も来ているので,顔なじみになった地元の方が常連さんのように購入してくださるそうで、そのため早朝からテントで開店しておられました。二本松から車で3時間ほどかけて来られます。大変な努力をしながら、福島の野菜を販売し続けることで、多くの方が福島を忘れずその現実に直接目を向けてくださるようになればと,心から願います。これからもできるだけ,柳沼さんたちの活動を応援していきたいと思います。

 東京教区に着座して,ほぼ一ヶ月です。よくアメリカの大統領なんかが就任すると,ハネムーンの100日とか言われます。その間は,多少の試行錯誤は許されるが、100日を超えたら結果を出すことが求められるという意味でしょう。そうなると、100日は、聖週間が始まる3月25日の週ですね。

 うーん。努力します。

 でも少しずつですが、前進、いや漸進しております。 昨日、1月13日の土曜日には,初めての宣教司牧評議会を開催しました。宣教司牧評議会は,新潟教区にもありますが,教区によってその活動内容が異なっています。東京の宣教司牧評議会は、それぞれの宣教協力体からの代表の信徒の方で主に構成され、司祭評議会の代表も加わると伺いました。もっとも司祭評議会はまだ開催されていませんので、今回は司祭の代表は不在。それでも、司教が福音宣教の方向性を定めるために、各現場の現状からの報告や提言が活発になされる、教区司教を支えてくれる組織であると、今回の初めての宣教司牧評議会で感じました。なるべく多くの声をお聞きしたいというのがわたしの願いですので、これからも様々な課題について、信徒の方々の声を届けていただければと思います。

 新潟教区では,宣教司牧評議会は一年に一度しか開催できませんでしたが、東京教区では,隔月で,年に6回の開催。回数の多さに,さすが大都会と驚きましたが、ありがたいことです。

 どのくらいの頻度で,カテドラルでのミサを行うのか,何かまだ模索中ですが、すでに決まっている東京カテドラル関口教会での次回のわたし司式のミサは、灰の水曜日、2月14日午前10時の予定です。なるべく頻繁に、機会を見て、カテドラルでのミサも捧げたいと思います。

 なお新潟教区では、また小教区には改めて教区本部からご案内しますが、四旬節第一主日の共同洗礼志願式を,今年もわたしの司式で,新潟教会で行います。今年は、2月18日(日)の午前9時半です。

  先日、東京での着座式に合わせて、オリエンス宗教研究所から本を出していただきました。タイトルは、『「真の喜び」に出会った人々』で、B6版144ページ、税別で1,200円です。一冊お買い求めいただけたら幸いです。

 この本は,先に,オリエンス宗教研究所から毎月発行されている『福音宣教』誌に連載された記事をまとめたものです。11回の連載で、わたしが直接知っている方々を中心に、福音の喜びに触発されて信仰の証しに生きている方々を紹介する内容です。

 ほとんどの方が,ガーナでの宣教活動や,カリタスジャパンの仕事を通じて出会った人たちです。わたしの人生の歩む方向に,大きな影響を与えた人もいます。新潟教区の米沢の53福者殉教者や,福者オルカル・ロメロ大司教のような歴史上の人物もいますが、すべて何らかの形で,わたし自身とつながっている人たちです。

 連載当時は、年に11本ですから、毎月締切り間近になると,苦しんでいたことを思い出します。想像では書けないので、存命の場合はご本人にメールを出したり、関係者にメールを出したり。かなり余裕を持ってメールを出しているのですが、なかなか返事がなくて気をもんだり、さらには返事がない場合に備えて,記事にはならなかった複数名の方に予備のインタビューをしておいたりと、編集部からの企画でしたので、間に合わせるのに苦労したことを覚えています。

本の表紙は、ガーナで働いていた30年前、一緒に苦労したカテキスタのデュマス氏と,一緒にいつも訪問していた病弱なダニエル氏のツーショット写真から、編集部が作成してくれました。二人の話も、もちろん本の中に記されています。

このデュマス氏の息子さんは,当時小学生で,わたしの教会の侍者をしていましたが、いまでは神言会の神父になって,日本管区で働いています。またこの本に登場するガーナのクモジ司教と、コンゴのチバンボ神父は、先日の東京での着座式に参加してくれました。

いろんな人がいて,いろんな状況の中で,いろんな生き方で,福音を証ししている。お互いに出会ったことのない人たち、生きている時間も異なる人たちは、それでも一致しているのです。福音に真摯に生きようとする姿勢において、多様性の中で一致している、神の民の一員です。

 (菊地功=きくち・いさお=東京大司教に12月16日着座)

 菊地大司教の日記⑤「教区内の多くの方の力を結集して社会の光に」東京教区新年の祝いのミサで

 昨日1月8日は、カテドラルの関口教会で、午後2時から、教区の新年の集いのミサが行われました。ミサは私が司式し、30名を超える司祭が共同司式してくださいました。聖堂も、教区内各地の小教区共同体の方々が大勢駆けつけてくださり、設置してある座席はいっぱいでした。(あれで、実際は何名くらい座れるのでしょう。そのうち調べてみます)

 またミサの後にはケルンホールを会場に茶話会が開催され、教区内の多くの方からご挨拶をいただきました。おいでくださった方々に感謝します。また準備してくださった宣教司牧評議会の皆さんにも感謝申し上げます。

 以下昨日のミサの説教の原稿です。

 大司教として着座をし、東京教区の牧者としての務めを任されて、まだ一月もたっていません。ですから私にとって、新しく始まったばかりのこの一年は、東京教区の全体像をしっかりと理解する一年になろうかと思います。できる限り多くの方にお話を伺う一年としたいと考えています。

 とはいえ、東京教区の教区共同体はその間も眠っているわけではなく、生きているキリストの体として歩み続けております。年の初めに当たり、教区共同体全体として、どこを向いて歩みを進めようとしているのか、その方向性だけでもお話ししようと思います。

 ご存じのようにわたしの司教職のモットーは、「多様性における一致」であります。一般的に考えて、多くの人が集まって生きている社会には、必然的に多様性が存在しています。一人一人が異なる人間であるから当然であります。ですから、人が多く集まるところには、必然的に何かしらの多様性があります。

 私たちの信仰は、旧約の時代から新約の時代に至るまで、私と神との関係を基礎にしつつも、常にその個人的な神との関係は共同体の中で生き、はぐくまれ、実践される信仰であります。まさしく、神の民という言葉が表しているとおり、私たちの信仰は共同体と切り離せない関係にあります。

 多くの人が集まったこの信仰共同体を一致させるのは、皆が同じように行動するといったたぐいの外面的な同一性ではなく、同じキリストに結びあわされて生かされているという意味での同一性であります。

 私が「多様性における一致」というモットーに掲げている一致は、一見それぞれがばらばらに生きてはいるのだけれども、それぞれが唯一のキリストにしっかりと結びあわされて生かされ、共同体全体としては神に向かって歩んでいる、そのような一致であります。

 ですから問題は、教区共同体の皆が、しっかりと同じキリストに結びあわされて生かされているのかどうかであります。わたしたちは、自分が出会ったことのないキリストに結ばれることはありません。教皇ベネディクト16世がしばしば強調されていたことですが、私たちの信仰にはキリストとの個人的な出会いが不可欠です。キリストとの出会いは、「個人的な出会い」と言いながらも、それは決してわたし個人のためだけなのではなく、皆が同じキリストに結ばれるようにと、共同体全体のために不可欠なことであります。

 教区共同体全体が多様性の中に一致することができるように、まず第一に、一人一人が個人的にキリストと出会うことができるように、祈りと学びを深めていきたいと思います。

 その意味でも、今生きている神の御言葉に、しっかりとつながっていることは重要です。聖書に親しみ、同時にミサの時に朗読される聖書に記された神の言葉を、是非とも大切にしていただきたいと思います。それは昔記された格言集なのではなく、告げられたときに今生きている神の言葉であります。ミサの聖書をよりよく朗読し、また神の求められていることを知るようにと耳を傾けることは大切であります。

 「私の口から出る言葉も、むなしくは、私のもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす」と預言者イザヤに語らせた神の思いが、今実現するように、私たちは神の言葉を通じて示される神の使命を知り、その実現に寄与する生き方を見いだしたいと思います。

 教会は、誰かが経営をしているお店にお客さんがやってくるようなそういう存在ではなく、その共同体に属するすべての人によって成り立つ存在です。それは教区共同体も、小教区共同体も同じことであります。信徒、司祭、修道者が、それぞれ共同体の中で役割を果たし、責任を分担していくことで、一つの体は成立いたします。その意味で、継続した信仰養成は重要であり、そのためのリーダーには、信徒の方々にも積極的に関わっていただきたい、と私は思います。できる限り多くの方の協力を得られる道を、これから模索したいと考えています。

 日本の司教団は、昨年、「いのちへのまなざし」のメッセージの増補新版を発表いたしました。私たちが生きているこの社会には、国家間の関係に始まり、身近な地域の関係まで含めて、様々な不安要素が存在し、私たちはある意味、先行きの明確ではない暗闇の中を手探りで進んでいるような漠然とした危機感の中で、何かしらの不安を抱えて生きております。そのような現実の中で、人間のいのちは、様々なレベルでの危機に直面しております。現実の紛争やテロの中で失われていく多くのいのち。国境を越えて移動する中で危機に直面するいのち。そうかと思えば、私たちの国でも、障害と共に生きている方々を殺害することが、社会にとって有益なのだと主張し、実際にそれを実行する人物が現れ、加えてその行為を肯定する人たちの存在すらも浮かび上がりました。

 神からの賜物であるいのちの価値を、人間が決めることができるのだという考えは、神を信じている私たちにとっては、人間の身勝手な思い上がり以外のなにものでもありません。

 世界の様々な現実の中で、多くのいのちが危機にさらされている、その背景には、世界が暗闇に取り残されてしまった不安から生じる自己保身と、その結果としての自己中心、利己主義が横たわっております。異質な存在を排除し、自分たちの周囲のこと以外には無関心になって目をつぶる。そのような自分中心の世界の中で、神からの尊い賜物であるいのちは、様々なレベルの危機に直面しております。

 マルコによる福音に記されている洗礼者ヨハネは、主イエスを評して「私より優れた方が、後から来られる。私は、かがんでその方の履き物のひもを解く値打ちもない」と述べています。その言葉は、主イエスが優れているのだという宣言である以上に、洗礼者ヨハネの自己理解がいかに謙遜であり、自己中心でないのか、ということを明確にしています。

 私たちは、この世界では人間ではなく神が中心なのだと主張したいのです。洗礼者ヨハネのように、私ではなく、神こそが中心なのだ、と主張したいのであります。しかしそう主張するためには、この現実のなかで多くの困難が伴います。ですから、皆さんの力が必要なのです。

 教会に属する多くの方が、それぞれの生きておられる現場で、それぞれの方法で、この利己的な価値観にあらがう活動を続けておられます。是非とも教区内のそういう力を結集し、ばらばらに個々人がではなく、教会が全体として、この社会の中にあって暗闇に輝く希望の光となることを目指したいと思います。いのちの大切さを説き、私たちの人生には本当の希望があるのだと主張する。社会の中にあってそういう光り輝く教区共同体であってほしいと思います。失敗を恐れずに挑戦してみましょう。教皇フランシスコの使徒的勧告「福音の喜び」に記された言葉を引用して終わります。

 「私は出て行ったことで事故に遭い、傷を負い、汚れた教会の方が好きです。閉じこもり、自分の安全地帯にしがみつく気楽さ故に病んだ教会より好きです」(「福音の喜び」第49項)

 (菊地功=きくち・いさお=東京大司教に12月16日着座)

 菊地大司教の日記④元旦ミサの説教「困難に直面する一人一人に、思いをはせ、その心に寄り添おう」

2018年1月 1日 (月)神の母聖マリア、深夜ミサの説教

  1月1日は、神の母聖マリアの祝日であり、また世界平和の日でもあります。今年は、東京カテドラル関口教会で、新しい年の始まりと同時に、深夜ミサを捧げました。聖堂内は、深夜にもかかわらず、ベンチ部分はいっぱいになるくらい多くの方がミサに与り、一年の始まりを祈りのうちに過ごしました。

 以下、深夜ミサの説教の原稿です。

 お集まりの皆様、新年明けましておめでとうございます。

 新年の第一日目、これから新しい一年という時間を刻み始めるに当たり、教会はこの日を「世界平和の日」と定めています。かつて1968年、ベトナム戦争の激化という時代を背景に、パウロ六世が定められた平和のための祈りの日であります。

 同時に、主の降誕から八日目にあたる今日は、「神の母聖マリア」の祝日でもあります。
神の御言葉、平和の王である主イエスは、聖母マリアを通じて私たちと同じ人となられました。八日目に「イエス」と名付けられた幼子は、聖母マリアの愛情のうちに救い主としての道を歩まれ、神の望まれる道を具体的に私たちに示されました。

 新しい年の初めにあたり、聖母が信仰のうちにイエスと歩みをともにされたように、わたしたちも主の示される道をともに歩む決意を新たにしたいと思います。

 今日、世界の平和を考える時、私たちは日本近隣を含め世界各地で見られる緊張状態や、この十数年間に頻発しまた継続している様々な地域紛争、残忍なテロ事件のことを考えざるを得ません。それ以外にも、全く報道されることのない、ですから私たちが知らない対立や不幸な出来事が、世界各地には数多く存在していることを思うとき、その混乱に巻き込まれ恐れと悲しみの中にある多くの方々、とりわけ子どもたちのことを思わずにはいられません。この新しい年を、希望の見えない不安な状況の中で迎え、いのちの危機にすら直面している多くの人たちに、私たちの心を向けたいと思います。

 この新しい年には、日本をはじめとして、この地域の各国の指導者たちが、さらには世界の国々の指導者たちが、対立と敵対ではなく、対話のうちに緊張を緩和する道を見いだし、さらには相互の信頼を回復する政策を率先してとられることを期待せずにはおられません。一人一人のいのちが等しく大切にされる世界の実現に、一歩でも近づくように祈ります。

 さて激しくグローバル化する世界では、様々な理由から国境を越えて移動する多くの人たちがおります。観光旅行に始まって、留学やビジネスや学術研究や医療など、人が移動し続ける理由は数限りなくありますが、そこには自分が積極的には望まない理由で移動をせざるを得なくなる人たちも多く存在しています。

 一人一人のいのちが、神の前で等しく大切であり、誰一人として忘れられてよい人も無視されてよい人もいないのだと強調され続ける教皇フランシスコは、特に、様々な理由から母国を離れて移住するしか道のなかった人たちの、それぞれの心の悲しみと苦しみに目を向けられます。

 本日の「世界平和の日」にあたって発表された教皇様の平和メッセージのテーマは、「移住者と難民、それは平和を探し求める人々」とされています。

 ともすれば、移住者や難民は、平和を乱す混乱の原因であるかのように見なされます。しかし教皇はそれをあえて、「平和を探し求める人々」なのだといわれます。

 教皇フランシスコは、メッセージの冒頭で次のように指摘されます。
「世界中に2億5千万人以上いる移住者と、その内の2250万人の難民について再び話したいと思います。わたしの敬愛する前任者、ベネディクト十六世が断言しているように、彼らは『平和のうちに過ごすべき場所を求める、男性、女性、子ども、若者、高齢者です』。彼らの多くは平和を見いだすために、いのちをかける覚悟で旅に出ます。その旅は多くの場合、長く険しいものです。そして彼らは苦しみと疲れに見舞われ、目的地から彼らを遠ざけるために建てられた鉄条網や壁に直面します」

 その上で教皇は、聖ヨハネパウロ2世の言葉を引用してこう記します。
「もし、すべての人々が平和な世界という夢を分ち合い、また難民や移住者の貢献が正しく評価されるなら、人類はもっと世界的な家族となり、地球は本当の意味での共通の家となるでしょう」

 教皇フランシスコのこうした呼びかけに応えて、教会の援助救援団体である国際カリタスでは、昨年9月から、難民や移民として困難な旅路に出ざるを得ない人たちと、その旅路を分かち合おうという趣旨のキャンペーンを始め、日本の教会では、カリタスジャパンと難民移住移動者委員会が共同で、「排除ゼロキャンペーン」と題して実施中であります。

 私たちはニュースなどを耳にするとき、難民だとか移住者と、ひとくくりの集団として考えてしまいがちであります。しかしそこには一人一人の大切な存在があり、そこには一人一人のユニークな歴史と物語があります。一人一人の喜びと希望、苦悩と不安が存在します。

 どうしても第二バチカン公会議の現代世界憲章の冒頭を思い起こしてしまいます。
「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、とくに貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある」

 教会は、困難に直面する一人一人に、思いをはせ、その心に寄り添いたいと願っています。

 世界平和の日にあたり、困難に直面している多くの方々の心に思いをはせましょう。平和を実現する道を歩まれたイエスの旅路に、聖母マリアが信仰のうちに寄り添ったように、私たちも神が大切にされている一人一人の方々の旅路に寄り添うことを心がけましょう。聖母マリアのうちに満ちあふれる母の愛が、私たちの心にも満ちあふれるように、マリア様の取り次ぎを求めましょう。

 この一年、いのちの与え主である神が、一人一人の存在を愛おしく思われるように、わたしたちも一人一人を大切にし、その心に寄り添って生きるように、とりわけ困難な状況のうちに生きておられる多くの人たちに寄り添うように、ともに心がけて参りましょう。

 (菊地功=きくち・いさお=東京大司教に12月16日着座)

 菊地大司教の日記③年頭挨拶・・「三つの務めをバランスよく分担して進めよう」

新年、明けましておめでとうございます。

 先日東京カテドラルで行われた着座式では、本当に多くの方に参加していただき、励ましのお祈りとお祝いの言葉をいただきました。また、当日は様々なところで、多くの方のお祈りもいただきました。お一人お一人に御礼を申し上げたいのですが、なかなか適いませんので、このブログでもって、皆様に心から感謝申し上げます。

 本来ですと御礼の言葉や、また新年のメッセージなどを用意すべきところです。申し訳ありません。何もできていません。年賀状すら用意することができませんでした。

 というのも、実はまだ新潟からの引っ越しが完全には終わっておらず、また新潟教区での残務整理に加えて、新しい司教が決まるまでの新潟教区管理者の仕事もあるため、東京に落ち着いておりません。一段落するまで、今しばらく時間をいただきたく思います。

 さて、年末最後の日には、都内でも雪がちらつきました。大晦日に初雪を観測したのは、130年ぶりだと、どこかで読みました。寒い一日でした。

 厳しい寒さで始まるこの2018年は、私にとっては大きな挑戦の一年です。「教区共同体とともにどこへ向かうのか、そのためには何をしたらよいのか」。まずこの二つを、全く新しい環境の中で見極めていかなくてはなりません。そのためには、現在の教区共同体の現実と可能性を識別しなくてはなりません。

 とはいいながら、教区共同体は生きています。教区共同体には、まさしく「多様性」そのものともいうべき、多様な教会の現実があり、その多様性は具体的な人として日々の信仰生活を生きておられます。ですから、完全に立ち止まり、いわばフリーズしてアイディアを練ることだけに集中することはできません。今まさしく動いている共同体を、動かし続けなくてはなりません。

 これまで続けられてきたことは、ひとまずそのまま継続していただきたいですし、その動きの中で、課題や可能性を一緒に学ぶことができればと思います。私にとっては新しく知ることですし、また教区共同体を形成しているお一人お一人にとっては、これまでの過去を振り返り新たな道を見いだす機会ともなり得るかと思います。

 そのような中にあっても、私にとっては明確なことを、二つだけ記しておきます。

 まず第1に、教会共同体は、積極的に参加される人も、そうではない人も含め、すべての信徒・修道者・司祭はその一部です。それはご自分が好むと好まざるとに関わらず、洗礼を受けてキリスト者となっている限りにおいて、すでに教区共同体の一部として招かれているからです。ですから、皆さんすべての存在が、教区共同体には不可欠です。

 そして第2に、教皇ベネディクト16世が、回勅「神は愛」に記された教会の本質的三つの務めを、教区共同体として具体化することが私の願いです。すなわち25番に次のように書かれています。

「教会の本質は三つの務めによって表されます。すなわち、神のことばを告げ知らせること(宣教ケーリュグマ)とあかし(マルチュリア)、秘跡を祝うこと(典礼レイトゥールギア)、そして愛の奉仕を行うこと(奉仕ディアコニア)です。これら三つの務めは、それぞれが互いの前提となり、また互いに切り離すことができないものです」

 福音宣教に励み、典礼を真摯に行い、愛の奉仕の務めに励む教会共同体。もちろん一人ですべてをすることができるはずがありません。だからこその多様性です。そしてそれら三つは、対立するものでも勝手なものでもなく、互いが互いの前提となり、切り離すことができないのです。だから、多様性における一致です。

 教区共同体の中で、この三つの務めがバランスよく、そして互いを支え合いながら具体化されるとき、教会は社会の中で、福音を具体的に生きる「しるし」となるのではないでしょうか。

 現代社会はめまぐるしく変化を続け、日本の社会構造もこれから大きな変化に直面しようとしています。社会が変わる中で、教会は変わらない福音を堅持しながらも、それを具体的に「あかし」する道は、常に時代の要請に応えて刷新し続けなければなりません。時代の流れに迎合するのではありません。そうではなく、神がこのすべての人に福音を伝えたいと願っている、その神の思いを、今の時代にどのように具体化するのかを、神の民は歴史の中で常に見極めてきたのです。それを私たちは、今も続けなくてはなりません。

 新しい年が、すべての信仰者にとって、教区共同体において自らが果たすべき役割を見いだし、異なる考え、異なる生き方、異なる信仰の表現にあっても、同じキリストから離れることなく、互いに受け入れ合い、支え合っていく一年となりますように。

2018年1月1日

(菊地功=菊地・功=カトリック東京教区大司教・カトリック新潟教区 教区管理者)(「司教の日記」より)

 森司教のことば ⑱キーワードで キリストの誕生の物語を読む

極貧、独裁者、難民、虐殺、民族宗教などのキーワードで キリストの誕生の物語を読むと・・

 クリスマスが近づくと、日本社会全体がクリスマス一色に染まってしまう。デパートや商店街には、イルミネーションが飾られ、街中にはジングルベルの軽やかな歌が流れ、人々は明るい気分に包み込まれる。

 しかし、それは、福音書が伝えるキリストの誕生の物語に込められている光とも異質のものであり、キリストがこの世界にもたらそうとしたメッセージとも無縁のものである。それは、キリストの誕生の場面を伝えるルカ福音書、マタイ福音書を丁寧に読んでみれば、明らかである。

極貧

 ルカ福音書が伝えるキリストの誕生の物語には、天使たちや羊飼いたちが登場し、表面的には、心を和ませるような牧歌的な印象が与える。が、それに惑わされてはならない。というのは、天使たちや羊飼いたちが登場する前に、ルカ福音書は、「キリストが極貧の中に生まれた」ことを殊更に強調しているからである。

 注目すべきは、「宿屋には彼らが泊まる部屋がなかったからである」と記している点である。

 『泊まる部屋がなかった』理由として、客が多くて、どの宿も満室だったということも、考えられなくもないが、それよりも、私には、ヨゼフに泊まるためのお金がなかったから、とか、ヨゼフが人々の目にみすぼらしく映ったから、と思われるのである。もし、金銭的に余裕があれば、そして裕福そうにみられれば、部屋の一つや二つは融通してもらえたかもしれない。

 貧しい者が、店先や宿屋の入り口で軽んじられたり、拒まれたりしてしまうのは、今も昔も同じである。またそこから、人々の冷たさも伝わってくる。臨月を迎え、お腹が大きくなった女性を目のあたりにしても、誰も、便宜を図ろうとしなかったのである。部屋がなかったとしても、片隅にでも、休ませることぐらいは出来たはずである。

 貧しさ。そして人々の冷たさ。そこで、止むを得ず、マリアは、家畜小屋で、出産することになる。家畜小屋とは、羊飼いたちが風雨を避けるための避難所のようなものである。決して心地よい小屋ではない。キリストは、柔らかなベットではなく、飼い葉桶に寝かせられる。

 誰もが、貧しさには目を背け、貧しさから抜け出そうと、必死である。貧者には哀れみの目を向けることがあっても、貧者に助けを求め、貧者に頼ろうとする者は、一人もいない。

 貧しさの極みの中で生まれた赤子が、人類の希望となるとは、常識的は理解できないことである。その非常識に目を向けるように呼びかけたのが、天使たちなのである。

 羊飼いたちは、天使たちの呼びかけを受けて、キリストの誕生の場に駆けつけていく。彼らが、何を感じとったか、記されていない。しかし、何かを感じとったに違ない。

 天使たちの呼びかけは、私たちへの呼びかけでもある。飼い葉桶に横たわるキリストには、人々を引き寄せる権力も富もなく、きらびやかなイルミネーションもない。しかし、そこに全人類を支え照らす光と力が満ちあふれているのである。

 極貧の中に誕生したキリストに出会うためには、私たちも裸になる必要がある。自らの心の奥に入り、自らを裸にし、自ら貧しい存在であるということを見極めることである。実に、キリストは、貧しさの中に誕生しているからである。私たちに求められるのは、私たちが普段囚われてしまっている常識的な価値観の転換である。

 

独裁者

 マタイ福音書の2章は、ルカとは異なって、独裁者ヘロデが権力を奮う社会の中でのキリストの誕生を語る。

 ヘロデは、ローマ皇帝の保護のもとにユダヤの王となった人物である。当然、ユダヤの人々には人気がなく、嫌われている。その上、猜疑心が強く、自分の息子たちが王座を狙っていると疑って、その母親たちと支援者たちを容赦なく虐殺してしまった過去のある、残虐な男である。そんな男の治世にキリストは誕生するのである。

 そんなヘロデのもとに東方から占星術師たちが訪ねてきて、『ユダヤの王は、どこに生まれしたか』と尋ねる。それは、ヘロデの前では、決して口にしてはならない言葉であったが、それは東方からの訪問者たちには分からない。不安に駆り立てられたヘロデは、禍根を残さないため、その地域一帯の二歳以下の幼子たちを殺してしまう。単なる政敵や反対者を虐殺するのではなく、無邪気な、罪のない赤子たちの命を奪ってしまうのだから、ヘロデの猜疑心は、異常ともいえる。

 ヘロデに限らず、自らの権力・地位の安定を求めて、邪魔な存在を抹殺する独裁者は、いつの時代にも、見られることである。思うがままに権力を奮う独裁者を通り過ぎていくところには、必ず踏みにじられたり命を奪われたりして、苦しみの叫びをあげたり、悲しみの涙を流したりする無力な「小さな人々」が現れる。

 我が子を殺された親たちは、当然、傷つき、悲しみ、叫ぶ。マタイは、その悲しみがどんなに深いものか、エレミヤ書を引用して証言する。

 『ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない。子供たちがもういないから。』(マタイ2の18)

 創世記も、兄のカインが弟アベルを殺した出来事を語りながら、強者によって人生を狂わされ、命を奪われていく弱者の無念さ、叫びを、次のように記している。

 「主は言われた。『お前の弟の血が、土の中から私に向かって叫んでいる。今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を口を開けて飲み込んだ土よりも、なお呪われる』」(創世記4の10)

 強者によって弱者が踏みにじられ、その人生が翻弄され、その果てに命まで奪われてしまうという悲しい現実は、人類が誕生して以来、途絶えることなく、連綿と続いてきている。アベルも幼子たちも、その弱者の系列に属するのである。

 実に、この世界は、弱者たちが流す涙に溢れ、その流す血で真っ黒に汚されてしまっている、と言っても過言ではない。

 福音書は、キリストは、実にそうした幼子と親たちの苦しみ、悲しみ、叫びを背負って、その生涯の歩みを始めたことを、私たちに伝えているのである。

難民

 独裁者の支配する所には、難民が生じる。その暴威・圧政に堪らなくなって故郷を捨て、異国の地に逃れていく人々である。

 ヨゼフとマリアも、ヘロデの手を逃れて、エジプトに逃れていく。幼いイエスを抱えてのエジプトまでの旅は、難儀だったはずである。その途中には、荒野がある。水や食べ物の確保も、身を横たえる場を見いだすことも、容易ではなかったはずである。

 ヘロデの手を逃れてエジプトを目指すヨゼフとマリアの姿は、現代世界のシリア、アフガニスタン、リビアなどなどの難民たちの惨めな姿に重なってくる。

 血も涙もない残酷な独裁者の手から、我が身、そして家族を守るためとはいえ、住み慣れた世界を捨てていくことは、不安だらけの決断である。すぐに住まいが見つかり、職が見つかり、生活が落ち着く保証はない。また言語・風習・伝統・文化・宗教が異なる人々からのプレッシャーが待っている。そこでの生活は、日現地の人々の蔑みの目に晒され、軽蔑されたり差別されたりする、屈辱的な日々になる。

 キリストの生涯には、惨めな生活を覚悟の上で、住み慣れたふるさとを捨てて屈辱的な人生を歩まざるをえない難民たちのDNAが刻まれているはずである。

キリストの真実

 福音書が伝える救い主としてのキリストの誕生の物語には、人々を魅惑し、引き寄せ、鼓舞するようなスローガンを掲げて人々の前に立つ政治家たちにような華やかさはなく、剣をとって立ち上がり、不正と戦うと群衆を煽るヒーローたちの過激さはみられない。

 イザヤ書が「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない」(イザヤ53の2)と語っているように、常識の目で見れば『弱者の系列につながる』弱さであり『小ささ』である。実に極貧の中で生まれ、難民となった家族の中で成人し、指導者たちに煽られた群衆たちによって十字架の上で生を終えるキリストの生涯は、『弱者の系列』『小さい者の系列』に徹していたのである。

 しかし、そこにキリストの力、魅力が潜んでいるのである、つまり、人々との連帯である。

 ヘブライ人の手紙の著者も、次のように記す。

 「彼は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、私たちと同様に試練に遭われたのです。」(ヘブライ人の手紙4の15) 「自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることが出来るのです」(同5の2) 「事実、ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」(同2の18)

 繰り返すようで恐縮だが、キリストの魅力、力は、富で権力でもなく、人々との連帯にある。自ら、重荷と労苦を負って生きざるをえない人々の中に飛び込み、人々のもがき、苦しみ、悲しみに共振しながら、その重荷と労苦に心を寄せながら生きることに、生涯徹したことにある。

 キリストが誕生してから、二千余年、多くの人々がキリストに引き寄せられた理由も、そこにある。

(森一弘=もり・かずひろ=司教・真生会館理事長)

2017年12月31日 | カテゴリー :

 Sr 阿部のバンコク通信 ⑯タイから新年のご挨拶「待つことの意味は」

 新年おめでとうございます。真っ新な人生の頁、今年はどんな歩みが刻まれるのでしょう。

 子供の頃は待ちに待つ、歳と共にあっという間に来る正月。『待つ』、タイ国に来て23年、自分の考え、処し方が変ったなと思います。人は環境に順応すると言いますが、取巻く状況に、私の姿勢も順じて来た事に気付くこの頃です。

 距離バスは別として、市内バスや電車等の交通機関には時刻表無し、来る時に来る。延々と文句言わずに待つ人々の姿には、タイに来た当初から感嘆させられました。渋滞や事故、何が起こるか分からない人間味ありの対処です。

 その後に敷設された電車と地下鉄も時刻表無しですが、所要時間は読めます。 電車の切符自販機はコインのみ、無ければコイン両替機➡︎チケット販売機➡︎改札口と夫々に並びますが、時に長蛇の列、人々は腹も立てずに並び待ちます。渋滞や不都合に腹を立てるのは人間未熟というタイの常識、対人関係も同様です。

 日本なら早速に改善する所、そうは早まらないのがタイの人々、都心を悠々と流れるチャオプラヤ川の様に、人の自然の営みの速度が保たれている様に思います。

 私の腑も胡座をかける程になり、外出時は必ず本持参。ゆっくり考えたり、あたりを観察し空を眺めたり、目を閉じて気持ちを休める機会。人との関わりも、刻々と変わる周りの事態を見つめ、受容して生きる姿勢を身に付けたいです。いつか、人々がほっとする雰囲気を醸し出す人になることを願いながら新年に臨みます。

 「カトリックあい」の愛読者の皆様が、信じて生きる喜びに満ちた年でありますよう祈ります。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2017年12月31日 | カテゴリー :

 Sr.岡のマリアの風 ⑳2017年終わりの「独り言あれこれ」

パパ・フランシスコと共に…仕えること(奉仕)と、交わり(コムニオ)を生きること

2017年度、待降節・降誕節を、パパ・フランシスコと共に過ごしながら-パパの言葉、任務に、インターネットを通じて寄り添いながら-、繰り返される幾つかの言葉が、わたしの中で響く…

 パパ・フランシスコと共に、受肉の神秘に奥深く分け入る中での「独り言」…

・限りなく、無償で、わたしたち人間に愛を注ぐ父である神は、御子、イエス・キリストの中で、わたしたちが見、聞き、触れることが出来るものとなった。

・御子、イエス・キリストは、わたしたちのため、わたしたちの救いのために、インマヌエル 「わたしたちと共におられる神」 となった。罪を除いて、わたしたちとまったく同じ者、同じ肉をまといながら。
わたしたちは、主の降誕の神秘の中に、人間の知恵では想像もつかない、神の「やり方」を見る-わたしたちのために、貧しく、身分の低い者となって、ご自分のために「宿屋に場所がない」この世に降りて来た神―・わたしたちは、この、柔和で謙遜な「幼子イエス」を、今、世界中で、「宿屋に場所がない―生きるための場を奪われた-」たくさんの子どもたちの顔の中に、見る。(パパは、具体的に、中東、シリア、イエメン、イラン、アフリカ…の子どもたち、両親に仕事がない子どもたち、さまざまな形で搾取され[人身売買、少年兵… 幼年期を奪われた子どもたち…と例を挙げている)。

・わたしたちは、聖霊に照らされて初めて、この貧しくへりくだり、飼い葉桶に寝かされた「幼子」の中に、わたしたちのただ中に降りて来た「救い主」を見分けることが出来る。

・幼子イエスは、わたしたちの心を開く…この世の価値観ではなく、「神の価値観」へと。富、権力、名誉、快楽、安心を求める生き方ではなく、自分の一番大切なものを、神のために、人々のために捧げ尽くしていく生き方へと。

・幼子イエスは、わたしたちに悟らせる…無償のいつくしみ深い愛である神の御手の中で作られた人間は、「他者」より優れた者になることにではなく、「他者」のために-神のために、人々のために-自分の大切なもの、命までをも分け与えて行くことの中に、真の「幸い」を見出すことが出来ることを…。

 幼子イエスは、わたしたちに悟らせる…神の「姿-イメージ-」を、自分の存在深く印されている人間は 相手の富を搾取したり、相手の心を独占しようとしたり、相手の名声、権力をねたんで陥れ、自分がトップに立とうとしたり、決して満たされることのない快楽を求めたりする「生き方」の中で、決して、本当の「幸い」を見出すことが出来ないことを。

・「世の初めから」「永遠から」神の傍らで、神の栄光をまとっていた「みことば」は、聖霊の働きによって、ナザレの貧しい、身分の低いおとめ、しかし同時に、「永遠から」神の母となるために望まれ、準備され、神の恵みに満たされていたおとめ、マリアの胎の中に宿った。飼い葉桶に寝かされた、人となった神の「みことば」には、当然まとうべき「神の栄光」はないけれど、その代わりに、マリアとヨセフの、人間の親としての気遣いに「まとわれ」、貧しいけれど、神の救いの知らせに「目覚めて」いた羊飼いたちの喜び、遠い国から、すべてを置いて救い主を拝みに来た、東方の博士たちの喜びに「まとわれ」ている

・長い間、イスラエルの民が待っていた「救い主」が生まれたのに、王、権力者たち、学者たち、祭司たちは、飼い葉桶に寝かされた貧しい幼子の中に、それを見分けることが来なかった。

・今日、「わたしたちのために、救い主が生まれた」。それは、わたしたちが想像するような場所、姿(王宮の中、立派なベッドの上、召使たちに囲まれて…)においてではなく、わたしたちの「すぐ近く」に、わたしたちの共同体の中に、町の中に、国の中に、忘れ去られている人々、排斥されている人々、苦しむ人々の中に…。

・今日、わたしたちも、羊飼いたちと共に「出て行こう」-「さあ、立って、天使が告げたこと(飼い葉桶に寝かされた、救い主)を、見に行こう!」-。

 パパは、教皇庁恒例の、降誕祭挨拶(Auguri Natalizi della Curia Romana:2017年12月21日)や イタリア神学会Associazione Teologica Italianaへの講話(2017年12月29日)の中で、さまざまな意味で、教会を導く立場にある人々に、「仕えること」-「交わり(コムニオ)の中で生きること」を強調している

 教会のトップに立つ者は、「社会常識」の中で考えられている、トップに立つ者の姿とは、全く違う。自分の権力をひけらかすことにではなく、「仕えること(奉仕すること)」の中に、教会の指導者たちの権威の表現が、ある。

 何に仕えるのか?―「交わり(コムニオ)」に仕える。互いの(指導者たちの間、神学者たちの間)交わり。神の民-教会-との交わり。
ペトロの任務を継承する、教皇との交わり。三位一体の「交わり」の神との、交わり。「交わり(コムニオ)」の神秘を深めることにより、「仕える」ことの神秘が深められ、「仕える」ことの神秘を深めることにより、「交わり」の神秘が深められる。

 「仕える」ことも、「交わり(コムニオ)」も、キリスト者にとって、根源的な「神秘」である。なぜなら、主イエス・キリストが、「仕える」ため、散らされた神の子たちを「一つに集めるため-交わりの中に-」、わたしたちのただ中に降りて来たのだから。ご自分の命を、徹底的に、根源的に、すべて、神である御父の救いの計画のため、わたしたちの救いのためにささげ尽くしながら。

 別の機会に、パパ・フランシスコは、教会の中で責任ある立場にある人々は、この世の「出世主義」に毒されないように、と繰り返し訴えている。教会の中での任務は、「出世」のためではない。今はこの役職だから、次の異動のときには、もっと「上の」役職をもらえるだろう、あの人より、この人より、早く「出世」できるように…と考えるのは、「この世の」メンタリティー、「出世主義」の考え方である。

 教会の中で、一つ一つの任務、役職は、それが大きいものでも、小さいものでも、みな、同じ「奉仕」である。教会の中で、肩書のある役職から、肩書のない「下働き」に移された、と文句を言う人には、こう言いたい…とパパは言う…。何も心配しないでください。あなたはただ、一つの「奉仕」から、もう一つの「奉仕」へと移っただけです、と。

 またパパは、イタリアの神学会への講話の中で、神学は、「交わり」のための「奉仕」であるから、教会共同体の交わりの中で、神の民に「分かるように」、「善い知らせ」-福音-を伝えてください、と訴えている。

 この、複雑にさまざまな思惑が絡み合っている現代社会に生きる人々に、複雑な話ではなく、「単純な光」に照らされた「善い知らせ」を伝える。…誤解してはいけないと(わたしは)思うが、人々に「分かるように」とは、「簡単に」という意味ではないだろう。キリストの福音は、ある意味で、「簡単に分かるものではない」からだ。キリストの福音は、こう言うことが出来るなら、人間の思考回路に対して、常に、「パラドックス(逆説)」として映る。

 イエスは、人々に「分かるように」、たとえ話で話した。しかし、この、たとえ話にしたって、「簡単に分かるものではない」。ルカ福音書が伝える、神のいつくしみに関する、三つのたとえ話―失われた銀貨、見失った一匹の羊、放蕩息子のたとえ話―にしたって、物語としては「分かりやすい」が、その奥に隠されている真理は、決して分かりやすくない。

 無償の愛を注ぐ父と、その父の愛を、自分の快楽、利益のために使い、父を裏切り、一文無しになって帰ってきた息子を、駆け寄って抱きしめ、再び、息子としての尊厳を与え(上等の服、指輪、靴…)、宴会まで開いて喜び合う父。それに腹を立てて、宴会に来ようとはしない、もう一人の息子を、わざわざ外に迎えに行く父。…これは、決して「分かりやすい」話ではないだろう。

 神の民に「分かるように」伝える、という神学の、神学者の務めとは、神の民を「子ども扱い」することではなく、分かりやすい言葉を使いながら、人間の知恵では、決して理解し尽くすことの出来ない、神の「知恵」の深みに、少しずつ、へりくだって、忍耐強く、そして、神学者自身も、神の民の一人として、民と共に、交わりの中で、入っていくことだろう。

 キリストの復活の霊、聖霊だけが、わたしたちを、人間の知恵を超える神の「知恵」へと開く。まさに、「聖霊に導かれた(動かされた)」老シメオンが、貧しい両親―ヨセフとマリア-に連れられて、神殿に入って来た「幼子」の中に、イスラエルの民が長年待望していた「救い主」を見分けることが出来たように。わたしたちも、日々の、一見、普通の、取るに足りない出来事の中に、「わたしたちと共におられる神」-インマヌエル-を見分けることが出来るように。

 神の民は、決して「子ども」ではない。神の民、一人ひとりの中で働く聖霊が、「分かりやすい」言葉で語られる、深い神の神秘を、少しずつ理解させていく。だから、大切なのは、神の民一人ひとりが―指導者も、司祭も、神学者も、修道者も、信徒も-、おとめマリアの、へりくだって、率直に、神の「みことば」を心に受け入れ、留め、思い巡らす態度を、自分のものとすることだろう。

 おとめマリアの「思い巡らし」は、単に、目の前に起こる出来事を考えるだけにはとどまらない。マリアは、彼女自身の民の伝統-数千年のイスラエルの民の信仰の旅から来る知恵―と、現実を対比させながら、今、主が自分に望んでいること、主の「思い」を理解しようとする。それを、より良く生きることが出来るように。

 これこそ、神との深い交わり―「子」、「友」としての交わり―に招かれている、神の民の「信じる」態度だろう。単に、何かが天から落ちてくるのを、または誰かが教えてくれるのを待っているのではなく、自分の方から、神の思い、望みを探し求め、それを生きようと積極的に努力する。それがつまり、聖霊に心を開いている状態、と言えるだろう。

 マリアは「教会の姿―イコン-」とも呼ばれる。マリアは、「アルファ(初め)」から、「オメガ(終わり、完成)」へと向って、日々の
歩みを続けている、神の民の壮大な旅の「小宇宙(ミクロ・コスモ)」とも言われるイスラエルの娘、シオンの娘であるマリアの、神の民を代表した、あの「はい(フィアット)」が、わたしたちのための神の救いの計画の「決定的実現」の始まりを印した。あの、マリアに代表された神の民の、積極的な、意識ある、責任ある「はい(フィアット)」がなければ、全知全能の神でさえ、ご自分の計画を実現できなかった。

 …では、神は、「不確実性」にかけたのか?そうではない、と、教会の伝統は教える。神が、ご自分の民の娘の「はい(フィアット)」を「必要」としたのは、神が、それほどまでに、人間を尊重し、信頼しているから、と言えるだろう。実に神は、天地創造の「初め」から、数千年という膨大な時間をかけて、この、救いの歴史の中で唯一の「はい(フィアット)」を準備したのだ。神は、不確実性にかけたのではなく、こう言うことが出来るなら、絶対に確かな、決して撤回されない「はい(フィアット)」を準備するために、ご自分の民を教育した。神の前で、わたしたちの世の千年は一日に等しい、と、詩編作者は歌う。神の、わたしたちに対する忍耐、いつくしみ深さは、とてもわたしたちが想像することは出来ない。

 新しい年、2018年が始まろうとしている。自分に出来ることを、日々、忠実に続ける中で、聖霊に動かされて、わたしたちのただ中
におられる主―インマヌエル-の現存に、つねに目覚めていることが出来るように。主の望みを、「普通の日々」の中で、へりくだって、喜んで、行っていくことが出来るように。

 そのためには、毎朝、共同体と共にミサ聖祭の始まりに捧げる 「主よ、あわれみたまえ」の祈りに、全身全霊を込め、主に絶えず赦しの恵みをいただきながら、自分のみじめさ、罪深さを涙すると同時に、無償で、真に「神の子」としての尊厳をいただいたことに感謝しながら、喜んで、前に進んで行こう。「赦された者たち」の共同体の交わりの中で。

 また、自分の生きている間のことだけを考えるのではなく、次の世代、後輩たちのために、自分自身が受けてきた教えを、語り継いでいこう。唯一の霊に導かれ、たとえ文化、言語、考え方が違っても、唯一の歩み―神ご自身の永遠のいのち、交わりの中に入る歩み―を続けてきた神の民の中で、共に歩んでいくことが出来るように。「オメガ(完成の時)」に向かって…。このようにして、貧しいわたしたちを通して、すべての人々に、主の祝福が行きわたるように。地の果てにまで。アーメン!

 2017年終わりの独り言として…Sr.ルカ

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

2017年12月30日 | カテゴリー :

 Sr.石野のバチカン放送今昔 ⑱教皇、日本のカトリック記者団を特別謁見

 1981年1月13日午前7時、教皇ヨハネ・パウロ二世はバチカン宮殿の最上階にある私的聖堂で初めて日本語のミサを捧げられた。ローマ在住の日本人シスター12,3人がミサに招かれ、わたしは第一朗読を任された。そして、大きな宿題を胸に、その成功を祈りつつ、ミサに与った。

 宿題とは、教皇の訪日を前にしてバチカンに取材に来ている日本カトリック・ジャーナリスト・クラブのメンバーと、教皇との特別謁見を実現させるための許可を得ることである。日本のジャーナリストたちは、教皇庁広報評議会に正式な手続きで事前に申請書を出していたが、許可が下りず、暗礁に乗り上げていて、わたしに「SOS」を出してきたのだ。

 ミサ後、私たちは隣の控室で一人ひとり教皇さまにご挨拶した。その時、私は日本カトリック・ジャーナリストたちが教皇さまと特別謁見ができるよう、教皇の個人秘書S.Z.師にお願いした。「みんなカトリック?」と神父。「ハイ」と答えると、「したいことは何でもさせてあげますよ」。予想していた10倍もの返事が師から返ってきた。私はただ感激した。教皇さまとの謁見やインタビューの申請は毎日、世界中から何百も教皇庁広報評議会に届き、なかなか許可が下りず、その実現が難しいことを知っていたからだ。

  翌14日は一般謁見の日。ジャーナリストたちとの約束の時間に謁見広間前に行った。ジャーナリストの姿は一人も見えない。おかしいと思いながら謁見広間に入って目を見張った。広間は8000人収容できる広いものだが、席はほとんど埋まり、飛び入りの日本人ジャーナリストたちのための席はなかった。

 ところが、広間の前方、一段高く教皇がお座りになる席の近くに12の椅子が二列に並んで、日本のジャーナリストたちが、鬼の首でもとったかのように、広間の会衆に手を振って挨拶をしているではないか。一般謁見に引き続き、隣の特別謁見室に移された。そこには教皇と私たちだけしかいなかった。ジャーナリストをご覧になると教皇は「おー兄弟たち」と呼びかけながらやさしい笑顔で近づいてこられた。

 「教皇さま、日本のカトリック・ジャーナリスト・クラブの皆さんです。ご訪日に備えて日本から取材に来られました」と紹介した。

 「おーカトリック・ジャーナリスト」。ジャーナリストがお好きな教皇はお嬉しそう。会長をはじめ、一通りの紹介が終わったところで、彼らは15分間、教皇を質問攻めにした。会長のT氏が代表質問に入る。核について、投獄中の金大中について、お勉強中の日本語についてなどなど。

 時にはニコニコなさりながら、時には真剣に考えながら、言葉を選ぶように、教皇はお答えになった。去ろうとなさる教皇のお召し物の袖をつかんでさらに質問しようとする会長に、教皇は“You are terribleman!”と一言。皆の間から爆笑が沸く。礼儀正しく、和やかで楽しく、見事な15分間だった。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

2017年12月27日 | カテゴリー :

 駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」(5)モハッゲク、井筒両先生の詩を通した交流

 イラン大使在任中、ペルシャの詩を2人のイラン人の先生について学んだことは述べた。加えてもう一人、イラン人の先生に言及しておく必要がある。メフディ モハッゲク博士である。

 大使在任中、頭を離れない疑問があった。日本の代表的な哲学者にして、イスラーム学者、それに語学の大天才であった故・井筒俊彦先生が、なぜイスラームに、またイランにあれ程までに惹かれたか、である。

 井筒先生は、慶応大学で教えられた後、カナダのマックギル大学で研究と教育に携わる。そこで知り合ったのが、イランのモハッゲク先生である。井筒先生はイランの哲学者の著作を学びながら、両者は協力して研究に励む。モハッゲク博士のイラン帰国後は井筒先生もイランに移動し、60年代の後半から70年代末のイラン革命直前までイランで過ごされる。私がペルシャ語の専門家の卵としてイランに赴任し、研修の終了後、大使館で勤務、革命直前に離任するまでの間、井筒先生はイランに居られたことになる。

 おうわさは聞いていたが、先生が日本人会の社交の席に姿を現すことはついぞなかった。幻の有名人であった。後で知ったことだが、先生はそのような社交には興味なく、そもそも夜中を研究の時間に当て、我々とはまったく別の生活のサイクルであった。

 その井筒先生が、なぜイスラームとイランに魅せられたのか。「モハッゲク先生に聞いたらいい」と教えられ、お邪魔した。当時モハッゲク先生は、内外のイラン研究者を顕彰する会を主宰され、1994年に亡くなられた井筒先生に関しても追悼の冊子を出され、そのコピーを私に贈ってくれた。専門外の私にはむつかしいことも多く、冊子に書かれたモハッゲク先生の追悼文を材料に何度かお邪魔してお話を伺った。

 井筒先生は、イラン革命の直前、最後の最後までテヘランに残り、最後はアパートの水も電気も中断し、着の身着のままでモハッゲク邸に避難し、帰国便が再開するのを待って日本に戻られた。その間の事情を、モハッゲク夫人がくだんの追悼冊子に寄せた一文で紹介している。日頃気難しい先生が、初めて打ち解けた風で、モハッゲク家の子供たちに中国の占いを教えたという。

 モハッゲク先生は、その追悼文で、日本帰国を前に井筒先生が、下記のアラビア語の詩を引用して別離の念と感謝の気持ちを表したという。
「友よ 汝と別れなければならない 眼には涙があふれ心は血でたぎる 誓う 汝が家の門口に 身を寄せ心を託したことを」(アラブの詩人アホウスの詩を、モハッゲク先生がペルシャ語に翻訳)

 私も日本に戻り、ちょうど井筒先生の全集が再刊されたのを機会に、目を通してみた。井筒先生が、得意の語学を駆使されて、イスラーム諸語(アラビア語、ペルシャ語、トルコ語)やヘブライ語、さらにはサンスクリットや中国・チベットの原典を直接研究され、自らの禅体験を踏まえて、西洋思想に比肩する幅広い東洋の共通的思惟ともいえる壮大な「東洋思想」の構築に挑まれていたことを知った。同時に先生が、日本の詩歌、特に新古今和歌集に大変な興味を持っていることも知った。

 「世の中は 夢か現か うつつともゆめとも知らず あるもなくして」(古今和歌集、読み人知らず)を評して、深い哲学的思惟が読み込まれていると指摘されている。

 井筒先生が、詩歌を深く愛されていたことは分かったが、イスラームとイランになぜ惹かれたのかはよくわからなかった。しかし、追悼の冊子に先生のイランにおける弟子のひとりプールジャバーディ博士が一文を寄せている。それによれば、80年代の半ばロンドンでお会いした際、井筒先生に雑誌に掲載する予定でインタビューを行い、その中でなぜイスラームやイランに引き込まれたのか尋ねている。井筒先生の答えは、自分でもわからず論理的に説明できないが、イスラームに引きずり込まれたとしか言いようがないと答えている。

 「魔法」を意味する語根から発するアラビア語であるMahsur(魅せられる,憑りつかれる)という言葉を用いている。なるほど、イランについても同様であろう。自分(筆者)もとうとう、ペルシャの詩歌にMahsurされてしまった。
次回からは、ペルシャの2大詩人のうち、まずはハーフェズから感銘を受けた詩句を紹介する。(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)

(駒野欽一=こまの・きんいち=国際大学特任教授、元イラン大使)

 清水神父の時々の思い ④母と自転車

  小3のとき自転車の練習を始めた。補助輪もない大人用の自転車だったのでなかなか上達しなかった。「みんな、転びながら覚えるんだよ」という母に、荷台を押さえてもらいながら、「持っててね、絶対持っててね」と怖がると、「持ってるよ。離さないよ」。いつも背中に母のやさしい声がした。
あるとき気づくと、母の声が遠くに聞こえた。「持ってるよ~。離さないよ~」。このウソに励まされ、いつの間にか自転車に乗れるようになった。・・・
(武熊敦子=当時33歳 茨城県=「DUSKIN 95. No.300」より)

 その昔、校長室に舞い込んできた営業用チラシのこの文章が気に入った。親の、教師の教育姿勢はかくありなんと思わせる文章だったから。助けが必要な子に援助の手を差し伸べる。当然のことである。見せて、支えて、やがて手を離す。そのタイミングが難しい。

 ごくふつうの母親が、絶妙に教育原理を会得していて、読み返しても楽しい。

 教会の在り方にも通じるものがある。明治以来のキリスト教会は宣教師の献身的な働きに依ってきた。私は先輩宣教師たちの心意気に感心する一人である。生活習慣が全く違う。人々はチンプンカンプンの言葉をしゃべる。何よりも、目刺とタクアンと納豆の生活に甘んじなくてはならない。ある人は、生涯を懸けるだけでなく、全資産を投じて、貧しい信徒のために尽くされた。それらの先人に感謝しつつ、私はひとつのことに残念さを覚える。パターナリズムである。<善き父親>として面倒をみる。それはとても有難い。が同時に、自転車の手を離すことも必要であった。自分たちでこぐために。

 そのわけで、現代の日本の教会は受けることに慣れきっている。神父が何かをしてくれることを期待する。教会が考えてくれると待っている。しかし、自分たちでできることまでも保護と援助を求め過ぎる。

 キリシタン時代は違っていた。1640年ころ、幕府の厳しい締め付けのなかで、パーデレたちは消滅した。もう自分たちのところに来てくれない。その時浦上の孫右衛門は教会の壊滅を案じたと言われる。釣り仲間の七郎左衛門に相談したいが、彼が今も信仰を守っているか分からない。下手に話すと、役人の御用になりかねない。長い試案の末、孫右衛門は決心する。話そう。相手がつべこべ言うなら、ぶった切って、自分も死ぬまでだ。

 ここまで腹を決めて話すと、七郎左衛門は「実は俺もそのことを考えていたんだ」。確信したふたりは村人を訪ね回って、信仰を確かめ、組織固めをした。歴史上の帳方・水方・聞き役などが整備されたのはこの時だと言われる。信徒が、信徒に教え、導き、励ましたのだ。

 2016年9月に着座された白浜広島司教は「カテキスタ養成」を本気で訴え始めた。カテキスタ構想の具体化は今後のこと。ではあるが、これは信徒が自分たちで学び、教え、運営するというリーダー養成に関係する。もうおねだりばかりはできない。 (了)

(清水弘=イエズス会士、広島教区・益田・浜田教会主任司祭、元六甲学院中高等学校長)