Dr.南杏子の「サイレント・ブレス」日記 ③ 「香山リカさんと語る」

 先日、精神科医の香山リカさんと出版社の企画で対談する機会を得た。

 新聞・テレビなどさまざまなメディアを通じて活躍の場を広げている香山さんは、先年、お父様を自宅で看取られた経験の持ち主でもある。<私の父の場合は、命を終えるぎりぎりのタイミングで病院から連れ帰り、最後の半日あまりを自宅で過ごしただけなので、「在宅で看取りました」と胸を張って言えるようなものではありませんが、私も母もそうしてよかったと、心から思っています>(東洋経済オンライン:香山リカ・南杏子対談より)

 ただ香山さんは、<その選択に悔いはないのですが>と言葉を継いだうえで、すべての人に在宅看取りを勧める考えにはなれない――と語っていた。その主たる理由として香山さんは、介護する側の家族が強いられる負担の大きさを指摘する。<誰もがそれを実行できるわけではないと思うからなんです>と。

 私も同意見である。私自身の大学時代のことだ。脳梗塞で寝たきりだった祖父を祖母と二人で介護する日々を送った。正直、苦しい毎日だった。疲弊している祖母を見捨てて家を出たいとまで思った。自分はなんて悪い孫だろうと、自分を責めもした。誰にも弱音を吐けず、助けを求めることもできず……。これは自分の家だけの問題だと信じきっていた。

 香山さんも著書『「看取り」の作法』(祥伝社新書)で、自身が診療した女性患者を例に、<「介護がしんどい」と思うことにさえ、罪悪感を憶えている人も少なくない>と書いている。

 祖父の死の知らせを受けた時、「ああ、終わった……」という感覚を抱いたのを忘れることはできない。大学3年のときだった。

 精神科医として数多くの患者の心を直視している香山さんと、高齢者専門病院で終末期医療に携わる日々を過ごしている私。医療者であっても、ひとたび家族や患者の立場に立たされれば、生と死をめぐる迷いから自由になることはない。

 口から食べられなくなったら胃瘻をするのか? 点滴はどうする? 延命治療をするのか? そもそも、どこからが「延命」なのか。そして、最期を迎える場は自宅がよいのか、施設や病院を選ぶべきなのか……。

 すべての人に当てはまる共通の正解は、見つけられない。

 さまざまなことがあった2016年もフィナーレの幕を静かに下ろす。同い年の女性医師2人で語り合った結論の一つは、<どんなライフスタイルを選択しても、その人にとって「よき死」が迎えられる社会であってほしい>(香山さん)という思いだった。

 *「サイレント・ブレス」とは、静けさに満ちた日常の中で、おだやかな終末期を迎えることをイメージする言葉です。医師として多くの方の死を見届けてきた私は、患者や家族に寄り添う医療とは何か、自分が受けたい医療とはどんなものかを考え続けてきました。このコラムでは、終末期医療の現場で考えたこと、感じたことを読者の皆さんにお伝えします*

 (みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』=幻冬舎=が4刷出来! アマゾンへのリンクはhttps://www.amazon.co.jp/dp/4344029992?tag=gentoshap-22 )

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2016年12月26日 | カテゴリー :