Sr岡のマリアの風通信④ 修道誓願宣立25周年に…  

 160808%e3%83%90%e3%83%81%e3%82%ab%e3%83%b3%e5%86%99%e7%9c%9f%ef%bc%94東西の教会が、喜びの時も、苦しみの時も、脈々と毎日捧げてきた、いわゆる「マリアの賛歌Magnificat」-イスラエルの娘、マリアが、旧約聖書に証されている神の救いの「約束」の実現を、まさに「身をもって」体験し、体中からほとばしり出させた、主への賛美と感謝の歌。

マリアが、旧約と新約を貫く、唯一の神の民を代表して救い主に捧げた、この賛歌に、二千年のキリストの民の歩みの中で、どれほど多くの人々が声を、心を合わせてきただろう。世界に広がる神の民の集会の中で、無数の言葉で、異なる文化の中で、同じ主への賛美が捧げ続けられてきた。

そして今、神の民の膨大な歩みの中の、ほんとうに小さな小さな「わたし」が、修道誓願宣立25周年を記念する時に、同じ賛美の歌をほとばしり出させている。何と不思議なことか。こんなに小さな、この世の尺度ではまったく無力なわたしでも、救い主である主に賛美と感謝を捧げ、「わたしは幸いです」と証することが出来るとしたら、それはひとえに、わたしの前を歩んで生きた、無数の先輩たち-初代教会から始まって、使徒たち、殉教者、牧者、そして数えきれないほどの「天の教会」のメンバーたち-に助けられ、支えられているからだ。それを、今、この時のように、心底ありがたく体験したことはなかったかもしれない。

どんな時でも、いつも、ほんとうに「共に歩いていてくださる」イエスさまを、この困難な世の中で、喜びをもって証する使命。人間的にもまだまだ弱い修道者。それでも主は、このような使命を「平気で」任せてくださる。「弱い者」の中に輝き出る、主の力。弱い者、小さい者こそ、自分の中で行われる神のわざを知り、単純に賛美することが出来るのだろう。

一人ひとりに託された「唯一の」使命。それは、その人のためだけでなく、「すべての人の救い」のためだ。すべての人が神のいのちの交わりの中に帰っていくことを、創造主・救い主である神は望んでおられる。その神の「こころ」を証する使命。一生涯の戦いの中で、時に苦しみ泣きながらも、それでも、唯一の目的に向かって、信仰の喜びを次の世代に引き継いでいけたら…。

共に歩いてくださるイエスさま。共に歩いていく兄弟姉妹たち。「キリストのからだ」の交わりの中で。アーメン。

(岡立子・おかりつこ・けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

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2016年11月26日 | カテゴリー :