Dr.南杏子の「サイレント・ブレス」日記② 「新年の前に」  

デビュー小説「サイレント・ブレス」の著者・南杏子さん(24日、東京都渋谷区で)∥稲垣政則撮影

デビュー小説「サイレント・ブレス」の著者・南杏子さん(24日、東京都渋谷区で)∥稲垣政則撮影

 12月の初旬にかけて、予期せぬ通知が自宅に届く。モノトーンの色調と幽かな書体が差出人の悲しみを表す年末の便り――「喪中はがき」である。

  本文に記された故人の続柄は、「父」や「母」が多い。だが、そこに「夫」や「妻」、あるいは愛児の名を見いだした時、受け取る側の悲嘆は一段と大きさを増す。

  都内の終末期医療専門病院で内科医として働き、今年も多くの死を見届けてきた。この季節には医局でも、近況をつづったご遺族のお便りをいただくことがある。やわらかな文字で、「寂しい毎日ではありますが、心おだやかに過ごしています」とあれば、患者の最期を看取った医療者としても救われた気持ちになる。

  ただ、喪中はがきは年末年始の欠礼を詫びる通知状だ。そして、はがきをもらった相手には年賀状を出さないことが常識だとされている。相互の欠礼と不干渉を確認することが、家族を亡くした人に対する「日本的な心配り」という訳だろう。

  一方、欧米ではこのような欠礼の習慣はないと聞く。英国とスイスに暮らした経験があるが、彼の地では家族を亡くした人ともクリスマスカードを交わし合っていた。むしろカードの中に特別な励ましの言葉を書き入れることで、あいさつの交換が死別の悲しみを癒やす機会として活用されているように感じたものだ。

  親を亡くしたスウェーデンの子どもたちの手記集『パパ、ママどうして死んでしまったの』(スサン・シュークヴィスト編、論創社)に、次のような一節がある。16歳の時に白血病で父を失った20歳の女性の回想だ。

  <だれかが電話をかけてくれて、「どう?」と聞いてほしかった、そしてわたしを引っ張り出してくれたらと願った。とはいっても出て行きたくないことが多かったけれど。電話をしてくれる人はあきらめてしまわないことが大切だった。というのもこちらから電話はかけないのだから。人に迷惑はかけたくなかったけれど、まったくの孤独でないことを感じたかった>

  愛する人の死にひとり向き合い、深い悲嘆に沈んでいる人たちがいる。年末は彼らの存在を改めて知る時期である。クリスマスカードを送ってもいい。電話をかけてもいい。「年始状」でも「寒中見舞い」でもいいだろう。

  <どうしていますか?>。私たちからの問いかけを待っている人が身近にいる。そのことを忘れずに、短い冬の日を送りたいと願っている。

 *「サイレント・ブレス」とは、静けさに満ちた日常の中で、おだやかな終末期を迎えることをイメージする言葉です。医師として多くの方の死を見届けてきた私は、患者や家族に寄り添う医療とは何か、自分が受けたい医療とはどんなものかを考え続けてきました。このコラムでは、終末期医療の現場で考えたこと、感じたことを読者の皆さんにお伝えします*

 (みなみきょうこ・医師、作家: 終末期医療のあり方を問う医療ミステリー『サイレント・ブレス』(幻冬舎)が重版出来! アマゾンへのリンク先https://www.amazon.co.jp/dp/4344029992?tag=gentoshap-22 )

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2016年11月26日 | カテゴリー :