清水神父・四国遍路

160812清水遍路2

 イースターのあとで3か月のサバティカル(充電休暇)をもらうことができた。二つの計画を立てた。ひとつは四国遍路。もうひとつは英国にて<個人指導による霊操>のトレーニング。予定になかったこととして熊本のボランティアを一週間行った。

 ここでは遍路について振り返ってみたい。白装束に笠、そして杖を手にして出発したのは4月1日。歩くうちに分かったこと。白装束は死に装束を表している。(この世)に死し、死んだ者としてこの世を通ってゆく。笠も同じ。社会的立場も名前も覆って、ただの人、顔の見えない人としてこの世を歩んでゆく。(この世)を歩むが、実は(あの世)の人である。

 あの世の人として歩むとき、この世の人々の哀しみが映ってくる。重荷を負い、傷ついて

いる人たちの顔。救いを求めてうめいている人たち。巡礼者はその人たちの救いを念じて歩むのである。遍路の路は楽ではない。必死で登らなければ先へ進めない山道もある。私は途中で野営用のテントを送り返した。その数日後、小間物を入れたサブザックを送り返した。さらに後日、捨てるつもりで持参した古シャツやゴム草履を捨てた。結局、お遍路はギリギリ切り詰めないと渡ることができないのである。

 各寺に着いて私はどう祈ったか。巡礼者たちが本堂前で祈るので、そこから少し退いて

私は三つのことを祈るようにした。・この地を聖としてください。・人々に平和と喜びを与えてください。・特に今日、大きな困難に遭っている人たちをあなたの手で支えてください。

 道中、宿も食料事情も悪かったので4kgばかり痩せ、今もって回復していない。けれども、歩いてよかったとしみじみ思う。巡礼者たちから学ぶことも多かった。ある番所で2~3日ばかりを前後して歩いた婦人がメールをくださった。「私にとって、お遍路は特別な旅でした。」歩いた人だけがそれを実感できる。(了)(2016.8.12)

(しみず・ひろし・イエズス会司祭  – カトリック宇部・小野田ブロック・山口・島根地区養成担当)

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