・Sr.石野の思いであれこれ⑬不安が混在する中で、「着衣」の許可をいただく

 修道会に入会してからおよそ一年の月日が流れた。「修道生活とは・・・」と理論的に、明確に説明することはまだおぼつかなかったが、祈りと使徒職に支えられた毎日の生活の規律も身に着き、順調に日々を送っていた。

 そんなある日、着衣の話が持ち上がった。「着衣ごっこ」をしている間はお遊びだから、ただ楽しく笑っていればよかったが、本当の着衣となると、そうはいかない。着衣とは、1年か2年(修道会によって異なる)の志願期を終えた志願者が、シスターの服をいただき、志願者の服を脱いてシスターの服を身に着けること。こうして外見だけは一人前のシスターになることを言う。

 本当のシスターになるためにはその後、準修練期、修練期、有期誓願期、終生誓願と、10年近くはかかるが、とりあえず、その第一歩を踏み出すことである。一年の志願期を振り返ってみれば、平穏な日々、笑いと涙に彩られた日々、山あり谷ありの日々だった。それらに終止符を打って一歩前進したい、という望みは強かった。たとえ同じような日々が繰り返されるとしても。

 でも入会してからまだ1年、未熟も未熟、そんな私が着衣してよいのだろうか、という不安が混在した。洗礼を受けてまだ2年、という私に着衣の許可を与えてよいものか否か、目上たちも迷った。

 ある日、院長が一人のシスターと一緒に東京大司教様を訪ね、私に着衣の許可を与えてよいか否かについて、お尋ねすることになった。その日、私と、一緒に着衣する予定だったもう一人の志願者Sさんは許可が出るように必死で祈った。院長の帰りは遅く、夜の9時を回ってからだった。

 当時は午後9時が消灯だったので、志願者たちはすでに就寝し、あたりは暗く沈黙が支配していた。大司教様は何と言われただろう。早く結果を知りたい私はそっと起きて、お手洗いに行くふりをして廊下に出た。本当の目的は院長に逢うことだった。

 院長は、廊下で寝巻姿の私を見ると近づいて来て、私の手をぎゅっと握り、「許可してよい、とのことです。修練に入るまでに、洗礼を受けてから3年は経っていなければならない、教会法の決まりだから、と大司教様は言われました」と告げてくれた。

 修練期に入るには、着衣後も1年ないし2年の準修練期を過ごさねならないので、大丈夫と言うことだ。私は喜びと感謝に満たされた、そして深い平和のうちに眠りに着いた。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)

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2019年7月27日