・竹内神父の午後の散歩道 ㉑「だから私も働くのです」

 植物生態学者の宮脇昭さんは、これまで、国内外の1700か所以上で植樹指導をし、4000万本以上もの木を植えてきた、といわれます。植物の多様性が、すべてのいのちを循環させるーそう考える宮脇さんは、混植・密植による植樹によって、自然淘汰されながらも管理を必要としない生きた自然環境を造り出すことができる と語ります。これは、人間の世界においても言えるかもしれません。

神の約束としての福音

「『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」(マタイによる福音書10章7節)ー十二人の使徒を派遣した時、イエスはこう語ります。イエスの「福音」euaggelion)です。この福音は、同時にまた、神の「約束」(epaggelia)でもあります。イエスのメッセージが、私たちにとって幸せの知らせとなる――それはいったい、どういうことなのでしょうか。

 「天の国」とは、「神の国」(バシレイア)と同じですが、その意味は、神が「王」(バシレウス)として支配すること、と言われます。と言っても、それは、有無を言わせず力で抑えつけるといったことではありません。むしろ、渇いた土地を雨が潤すように、一人ひとりの心に静かに語りかけるようにしてなされます。

受け継がれゆく働き

 イエスは、この世にあって、倦まず弛まず働きました。その働きの根源と目的は、彼を遣わされた父にあります。「私が天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、私をお遣わしになった方の御心を行うためである」(ヨハネによる福音書6章38節)。
父と自分は、一つである(17章22節)ーこれは、イエスの確信でした。そして、それは、働くことにおいても変わりません。「私の父は今もなお働いておられる。だから、私も働くのだ」(5章17節)。

 この働きは、使徒たちにも受け継がれます。その際、イエスは、彼らに汚れた霊に対する権能を授けます(マタイによる福音書10節1節)。それによって、彼らは、あらゆる病気や患いを癒すことができたのでしょう。これもまた、福音の一つの形です。
今、私たちは、いったいどのような病や患いを背負っているのでしょうか。一つひとつは具体的なのに、それらを掴みきれないーそこにまた、私たちの病があるようにも思えます。この国では今でも、毎年、約三万人近くの人が、自らの命を断っています。理由は何であれ、これは決して尋常なことではありません。

聖霊によって

初代教会における重要な人物の一人に、バルナバという人物がいました。バルナバとは「慰めの子」という意味(使徒言行録4章36節)。彼は、聖霊と信仰とに満ちていた、と言われます(11章24節)。十二使徒の一人ではありませんが、「使徒」と呼ばれます(14章14節)。つまり彼もまた、福音宣教のために、イエスから遣わされた人物の一人なのです。

 彼は、タルソスでサウロ(後のパウロ)を探し出し、アンティオキアに連れ帰り、他の使徒たちに紹介します。彼の功績の一つです。ちなみに、アンティオキアにおいて、弟子たちは、初めて〝キリスト者〟と呼ばれるようになります(11章26節)。

 いずれにしても、二人を福音宣教へと駆り立てたのは、同じ聖霊です。それにもかかわらず、彼らは、ある時から袂を分かちます(使徒言行録15章36-41節)。「人間は難しいな」と思います。しかしそれでも、彼らの働きは、やがては一つとなって実りをもたらします。

(竹内 修一=上智大学神学部教授、イエズス会司祭)

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2022年10月3日