・愛ある船旅への幻想曲 ⑭ ウクライナ、そしてロシアの人たちへの思い

 2022年2月24日、ウクライナへのロシアによる軍事侵攻が開始された。私たち家族は、言葉にならない衝撃を受けた。

 娘は一言「悲しい…」と電話口で言った。彼女はロシアに留学した経験がある。今もロシアには、当時からの友達が暮らしている。芸術の国ロシア。芸術を深めたい人にとって、憧れの国だ。娘にとっても、サンクト・ペテルブルクでの三年間は、苦労も多かっただろうが、素晴らしい指導者、そして才能ある学友との出会いは、神様からの最高のプレゼントだった。世界最高峰の芸術を提供する国で、今こんなにも悲惨な戦争が起こるとは誰もが思ってなかっただろう

 西洋の芸術には、必ず宗教がある。そして、“本物”の芸術に触れなければ、神を知ることもできず、自分を高め感性を磨くことはできない。これは、私の信念とも言える。(おかげで、私は、目に見えるものや聞こえるもの、特に音楽への評価が厳しく、妥協できない、厄介な性格の持ち主である)

 娘は、ロシアの人たちの気遣いと優しさに感謝の思いしかない。マリンスキー(キーロフ)劇場での舞台やロシア正教での卒業式は、私たち親子にとって夢のような美しい思い出だ。ロシア人司祭たちの澄んだ歌声からの祈りと、十字架を首にかけて祈るロシア人生徒たちからは厳粛な神との交わりを感じた。ロシア正教とウクライナ正教、神の教えは一つのはずだ。

 歴史ある劇場も、ロシア人の誇りであろう。キエフの劇場に、子どもたちが避難しているのは周知の事実だったにもかかわらず、ロシア軍が爆撃し、多くの死傷者を出した。こんなことを神が許されるはずがない。ロシアとウクライナは兄弟ではないのか。良識あるロシア人は、この非人道的な軍事侵略に反対し、政権への不満を募らせていることだろう。

 ウクライナは当然として、一日も早くロシアの”崩壊”を止めねばならない。「ロシア兵士母の会」の訴えが、若者の訴えが、勇気あるロシア人の反戦デモによる訴えが、どうすれば自国の指導者に届くのか。

 「神の名のもとに殺人やテロや迫害が正当化してはならない」と教皇フランシスコは述べておられる。そして今、ロシアとウクライナの残酷な戦争を止めるために、教皇は『マリアへの汚れなき御心への奉献の祈り』を全世界の教会で唱え、全世界の司教、司祭、修道者、一般信徒が心を合わせるように訴えられている。

 日本の教会はどうだろう。東京教区や大阪教区など一部の教区では、教皇の呼びかけに応えて、この祈りの日に参加したようだが、他の多くの教区、さらに小教区にはほとんど動きがないようだ。だが、”感度”の低さを嘆いていてはいけない。まず、個人から、そして理解ある人たちから、祈り、さらに、各種の援助機関を通して、ウクライナの現地に留まって、あるいは避難民となって故郷を出、悲惨な状況に置かれている人たちへの援助など、出来ることをしていこう。

 「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。  マタイによる福音書5章21節

(西の憂うるパヴァーヌ)

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2022年4月8日