Sr.石野のバチカン放送今昔 ⑬生活習慣の違い  

 バチカン放送内では、会話はどの国の言葉で話すのも自由だったが、共通語はイタリア語だった。聞きなれない言葉、聞いたことのない言葉を耳にするのは楽しみだった。

 しかし、録音を担当するミキサーたちは全員がイタリア人なので、「録音の時にはミキサーたちとイタリア語で話すように」というのが決まりだった。録音前にいろいろ細かい打ち合わせをしたり、指示を出さなければならないからだ。

 イタリア語には自信があった。でも、イタリア社会の習慣になじめるかどうか、不安だった。初めて挨拶回りに行った日、音楽部に2・3人のプロの歌手がいた。N神父が私を紹介すると、一人の歌手が、握手のために差し出した私の手に接吻した。表には出さなかったけれど、ぎょっとした。映画でしか見たことのないシーンが、今、現実に私の目の前で起こっている。こんなこともあろうかと想像はしていたが、先が思いやられて憂鬱になった。

 そして、どこでもレディー・ファースト。エレベーターの前で局長や部長に会う。当然のこととして、私は先を譲り、身をちょっと引く。エレべ-タが来て、そうやって後から乗り込もうとすると、彼らは「どうぞ」と言って、一歩下がる。私が先に乗らなければいけないのだ。

 どんなときにも男性優先の日本社会に生きていた私は、初めのうちは戸惑い、緊張した。でも、多少の意識の転換と時間をかけて乗り越えることができた。その後は、にこにこしながらレディー・ファーストを心地よく楽しんだのだった。

( 石野澪子・いしの・みおこ・聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

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2017年7月26日 | カテゴリー :