三輪先生の国際関係論 ⑫アメリカで学んだこと(2)1960年代  

  アメリカは移民の国である。アメリカ建国を先導し、それを担った人々も元をただせば移民である。「ピューリタン」からしてそうである。「サンクスギビング」という国民的祝祭日の発端は、原住民であるいわゆるアメリカインディアンに助けられたことへの感謝に発していた。

 それは綿々として実行されている。先に来た者が、後から来た者に恩返しをしているのである。それは留学生に対して端的に示されている。

 私や私の家族がその恩を受けた。まず1952年9月、初めてアメリカの土を踏んだ私は、留学先のワシントンのジョージタウン大学でそれを受けた。大学生活にまだなじみ切れない頃、ポーランドから移民してきて2,3年と言う若い夫婦に招待を受けた。「サンクスギビングのディナーにいらっしゃい」と言ってくれたのだった。私と同じ奨学金で一緒にジョージタウンに来たY君と2人だった。

 自家用車で迎えに来てくれた。この休暇に寮生たちもそれぞれ全国の自宅に帰省していて、寮生の為の大食堂は閉鎖されていた。寮に残っていたのは我々2人だけだったのである。招待してくれた若夫婦は、たどたどしい英語で、我々より下手だった。案内してくれた彼らの家は、なにか薄暗く貧しい感じで、晩餐そのものも貧しく感じられた。

 日本人だったらこんな状態ならお客などしないのではないか、と経験不足の日本の若者は偏見丸出しの反応を示していた。そんな我々の態度に対して、彼らはこう説明してくれた、と記憶する。「移民の国アメリカでは、少しでも先に来た者が、後から来た者に手を差し伸べるのです」と。

 それからもう一つ。これは2度目の留学、1964年から66年の家族を伴ったプリンストン大学での体験である。家族とは妻と3人の娘―64年当時、生後3か月の3女、年子の次女、そして4歳の長女―であった。66年の6月、妻の父が危篤、と連絡が入った。すぐ帰国しようとしたが、持ち合わせが無い。普段から為替制限のため蓄えが無いのであった。帰国するにも航空券を買う資金が無い。

 そのピンチの時に、指導教授が差し向けてくれた大学の事務局員が、私の手の上にポンと$1000を渡してくれた。「借用書を書きましょうか」と聞くと、「その必要はありません」。「では何時までに返金すればいいのですか」と問うと、「いつか返せるようになったらで良いのです」との返事。「だってそうでしょう。私たちは貴方がたに、学びに来てもらっているのですから」と言うのだった。

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所所長)

このエントリーをはてなブックマークに追加