Sr.岡のマリアの風 ⑰(独り言)「足並みをそろえる」ということ…

 先日、受け取ったメール。教会共同体の中で、一つの大きな行事を前に、「足並みをそろえる」ことの困難を体験しています、と。
足並みをそろえる…誰でも、これこそ、共同体としての生活の中で もっとも大切なことの一つ、と「分かっている」。そう、「分かっている」。でも、「むずかしい」。

 なぜ、むずかしいか?「だって、あの人が(彼が・彼女が)」、みんなでこうしよう、と言っているのに、なんにでもケチをつけるから、言うだけで何もしないから、無関心だから、一人で勝手なことをするから、協力的ではないから、足をひっぱるから…などなど。
とくに、「わたしが」、その行事の責任者の一人である場合、足並みがそろわないのは、ほんとうに、困る。「もう知らない!」「そんなに反対なのだったら、自分たちで勝手にすれば!」と、ついつい言いたくなる。

 わたしが生活をしている、ここ本部修道院では、高齢者から若者まで、また国籍も四か国の、70名近い姉妹たちが共同生活をしている。本部、まさに「マザーハウス」-お母さんのところに、子どもたちが集まる家-である。70人もいれば、同じ出来事に対して、同じ言葉に対して、多種多様の反応、理解がある。それを、日々 体験している。毎日が、相手の「リズム」に合わせる訓練のようなものだ。この「訓練」を、つらい顔でしていれば、まことに悲観的になるが、ちょっと「ゆとり」をもって、楽しみながらするなら、けっこう、新しい発見に満ちている。わたし一人では考えもつかなかったような、いろいろなことが見えてくる。

 教皇フランシスコが、特に、司祭・修道者たちとの集まりの中で繰り返すことの一つに、キリストに従って生きるとは、本質的に、一人で勝手に生きることではなく、「共同体性」「兄弟性(姉妹性)」を生きることだ、ということがある。

 先日の、ボローニャ司牧訪問(10月1日)の際には、教区司祭に向かって、サッカー好きのイタリア人に合わせて、「あなたたちは『リベロ』ではない」と言っている。つまり、あなたたちは、「フリー」ではなく、一つの「からだ」(教区司祭にとって、それは司教区)に、その「からだ」の霊性に属している、と。それが「教区性」la dioceasnitàということであり、「それを、わたしたちは、たいへんしばしば忘れている」と、パパは指摘する。この「教区性」の精神(一つの「からだ」に属しているという精神)を養わないと、わたしたちは、極度に「個人的」、「孤独」になる。そして、「孤独な者は不幸である」という、荒野の教父たちの知恵ある教訓を、パパは引き合いに出している。それは、教区司祭だけに限らない。

 「共同体性」を失う、ということは、「過去」との関連においては「ルーツ」を失う、伝統から切り離される、ということであり、「現在」においては「ある種のいらだち、落ち着きのなさ、神経質」に陥る危険があり、「未来」に関する、「すべての民族が、神の民と共に、主の山に帰っていく」という、「神の国」の「共同体的ビジョン」をもたない-つまり、神の民としての目的をもたない-ということである。

一言で言えば、天地創造から始まる、壮大な神の救いの歴史の中で、過去と未来を自ら断絶し、自分の中に、中にと閉じこもる、神の民特有の喜び・希望をもたない孤独な人、である。

  あるカリスマ的人物の、個人的パフォーマンスが、成功を収めることもあるだろう。でも、もしその人が、共同体に「奉仕する」謙虚さを忘れていくなら、互いの「リズム」に合わせる忍耐を忘れていくなら、その人はもはや、キリストの弟子ではないだろう。

 「わたしの」考えること「だけ」が正しい、と思っている限り、わたしの心は、わたしたちと共に歩いている復活のイエスの霊、聖霊の促しに閉ざされているのだろうさまざまな意味で「リズム」が違う姉妹たちとの日常生は、簡単ではないけれど、それこそ、人となった神の子イエスが、わたしたち人間のただ中で体験したことなのだろう。イエスこそ、弟子たちに、群衆に、自分を迫害する人たちに対して、(そして、わたしたちに対して)イライラしても不思議ではなかったはずだ。

 そう思って、福音が描き出す、 イエスの、人々との受け答えのシーンに留まってみると、いかに神がわたしたちに対して、忍耐強く、いつくしみ深いかが、(わたしの忍耐のなさと対比して)心に浸みて来る。

 今日もまた、「あの人が…」「この人が…」、「わたしの」思い通りにしてくれない、と、心の中で文句を言っているわたしがいる。その、同じ「わたし」が、人には、思うようにことが進まなくても、神に信頼して「忍耐しなさい」などと言っている。主よ、これが現実です!「イエス・キリスト、生ける神の子、罪びとのわたしをあわれんでください!」アーメン。

(岡立子・おかりつこ・けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

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2017年10月27日 | カテゴリー :