Sr石野のバチカン放送今昔 ⑨ヨハネ・パウロ二世の日本訪問

 

 

  教皇空位期間の多忙さには目を回したが、教皇ヨハネ・パウロ二世が選出されてからは同じように多忙な日々を経験するようになった。それも頻繁に。彼はよく外国旅行をなさった。そんな時は超多忙の日々を過ごした。

    前にも書いたが、バチカン放送は「教皇のラジオ」。だから放送内容の中心も教皇が占めている。教皇の外国旅行がある時は、バチカン放送は必ず何人かの特派員を、教皇が行かれる国に送る。旅先での教皇の行動やお話を、TELERXでバチカン放送に送信するためである。それらが教皇空位の時と同じように中央編集局から各セクションに配られる、各言語セクションではそれらを受けて翻訳し、放送する。

 教皇が日本に来られた時、わたしは日本語担当の特派員として送られてきた。さすが日本と思った。番組編集局長と技術部の副部長が先遣隊として来日し、KDDやNHKと交渉して準備万全だった。KDDはバチカン放送とわたしたちの仕事場にホットラインを引いてくれた。そしてNHKでは放送用のスタジオと副調整室、その他にもう一つの部屋をバチカン放送用に提供してくれた。わたしたち専用のモニターも準備してくれ、広島、長崎の放送も東京に居ながらにして、すべ見られるように便宜を図ってくれた。

 2月25日、降りしきる雪の中で教皇が、長崎の松山陸上競技場で捧げられたミサを、わたしはアメリカ人の神父さんと二人でモニターを見ながら実況放送をした。二時間降り続く雪の映像を見ながら放送を続けた後、体中が冷たく感じられた。降りしきる雪の中でミサと洗礼式に与った信徒たちに対して、教皇は「あなた方は実に、殉教者の子孫にふさわしい方々です」と、彼らの信仰をたたえた。

 ヨハネ・パウロ二世は2005年4月2日、84歳の生涯を閉じられ、2014年4月27日、故ヨハネ23世とともにに列聖された。

( 石野澪子・いしの・みおこ・聖パウロ女子修道会修道女)

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2017年3月25日 | カテゴリー :