T神父の四旬節の黙想会で。
エマオの弟子たちが、イエスさまのことばを聞き、イエスさまと共に歩き、「心が燃えた」(ルカ14・13-35参照)…「わたしたちも、燃やしていただきたいですね~。どうでしょう、イエスさまがわたしたちの傍らを歩きながら、わたしたちのいのち、わたしたちの人生をすべて解き明かしてくれたら…燃えますよね~。いや~、こうして燃やしていただかなければ、やってられないですよ、キリストに従う生活なんて、この世の中で」。
T神父は続ける。「この弟子たち、どんなに嬉しかったでしょうね~。どうですか?失望のどん底にいたのに、イエスさまに心を燃やしていただいて、まったく別の人になった。もう、もたもたせずに、すぐにエルサレムに、たぶん走って、引き返した。嬉しくて、嬉しくて、しょうがなかったのでしょうね~」。
そして、バシッと決める。「みなさん、わたしたちは、こんなに、こんなに嬉しい出来事を、今、準備しているんですよ。イエスさまの復活は、こんなにも素晴らしいことだから、その喜びを準備するために、40日間もかけるんです。わたしたち、燃えていますか?」。
う~ん、心に響きました。心が冷めているとき、信じたくてもなんだかボ~っとしているとき、イエスさま自身に、わたしの心を「燃やしていただきたい」!四旬節って、「泣き笑い」の時なのかも。わたしの罪深さに泣きながら、こんなわたしのために、神さまがご自分の一番大切なもの、独り子を世に遣わしてくださって、その独り子イエスさまは、こんなわたしのために、すべてを喜んで献げ尽くしてくださったことを、わたしをご自分の永遠のいのちに引き寄せるために、十字架の死まで、すべてを投げ出してくださったことを、深く、深く喜ぶ。そんな時なのかもしれない。
神さまの正義は、いつくしみ。神さまの掟は、愛のため。
だから、今日も歩きます。前に、もうちょっと前に。イエスさま、わたしと共に歩いてください。マリアさま、ヨセフさま、わたしを見守り、助けてください。アーメン!
(岡立子・おかりつこ・けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)