Sr石野のバチカン放送今昔⑫教皇の言葉を聴いた日本の若者が「僕、医者になります」

 1970年中ごろから1980 年代初めにかけて日本では「BCLブーム」が起きていた。

 BCLとは、BROADCASTING LISTENING/LISTENERSの頭文字の略で、短波ラジオによる国際放送を聴くのを楽しむことだった。主に中学生や高校生を中心に若い男子の間に広がっていた。その頃の短波受信機は性能がよく、遠く外国からの電波もよく受信できたということで、多くの若者がこのブームに走った。たとえ受信機の性能は良くても、雑音の間からかすかに聞こえる日本語を聞き取るのは一種の冒険だったに違いない。

 当時、ヨーロッパからの日本語放送は、イギリスのBBC,ドイツのドイチェベレ、バチカン放送の三つだった。今は、BBCもドイチェベレも閉鎖され、バチカン放送だけが残っている。バチカン放送は一回15分という短い放送だったにもかかわらず、リスナーから月に1000通以上のレポートが寄せられていた。ベリ・カード欲しさに書いてくるものもあったが、番組に対する感想やリクエストを寄せてくるものもあった。ある日、次のような手紙が届いた。

 「僕は高校3年生です。これからの進路について迷っていました。どの道を行こうか。決心がつきかねていました。そんな時ラジオバチカンで教皇さまの話を聴きました。医者のグループに対するお話でした。それを聴きながら僕は医者の使命の重大さに感動し、医師になることを決めました。今から受験まで一生懸命、勉強して、医学部を受けます。そして良い医者になろう、と決心しました」。

 バチカンで語られた教皇さまのお言葉が遠い日本の、一人の青年の心に触れ、生涯の目標をつかむことができた。バチカン放送は、教皇の話を優先して放送する。日本語セクションでもそうだった。でも、「難しくて一般のリスナーには理解されにくいのではないか」という心配がいつも心の片隅にあった。

 ところが、そうではなかった。神の力は人間の力をはるかに超えるものだ。教皇はすべての人の父、教皇の教えは誰にでも通じることを再認識できた出来事だった。そして、私たちの働きは宣教だ、ということも。

 ( 石野澪子・いしの・みおこ・聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

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2017年6月26日 | カテゴリー :