菊地・新潟司教の日記 ⑫いのちへのまなざし

   一年前、相模原で障がいと共に生きておられる19名の方々が殺害されるという事件が起こりました。26名の方も怪我をされたといいます。あらためて亡くなられた方々の永遠の安息を、心からお祈りし、また傷を負わされた方々に回復と心の平安がもたらされるように、祈ります。

 犯人の青年の、障がいを持った人たちに対する考え方、価値観、そしてなによりも人間のいのちに対する考え方には、まったく賛同することができません。それ以上に、事件後には、インターネット上などで「よくやってくれた」などという賛同の言葉が少なからず見られたことは、私たちが生きているこの社会が、人間のいのちをどう捉えているのかを象徴的に表しているものとして、わたしはすくなからずの衝撃を受けました。

 あらためて繰り返すまでもなく、キリスト者にとって、いのちは神から与えられた賜物であり、神はご自分の似姿として、そして善いものとして、人間のいのちを創造されたと、私は信じています。そしていのちの価値を計ることがゆるされているのは、その創造主である神のみであり、同じ被造物である人間がそうすることは、神に対する傲慢だと、わたしは思います。いのちは、この世界におけるその始まりから終わりまで、まもられなければなりません。一人一人のいのちの尊厳は、誰一人として奪われてはなりません。

 日本のカトリック司教団は、先般、「いのちへのまなざし」と題したメッセージの「増補新版」を発表しました。16年前に発表したメッセージを改定した内容です。旧版冒頭のあいさつに記されていることが、いのちの大切さを説いているこのメッセージ全体を貫くテーマの一つです。「この世界は人間だけのものではない。人間の幸せも、この世で完結するものではない。世界は神の手の中にあるものであり、人間の営みも、神とのかかわりの中で完成され充実していくものである」

 さらにいえば、「誰一人として排除されたり忘れ去られていい人はいない」。これが私たちの牧者である教皇フランシスコの様々な言動の中心にある考えだということを念頭におくとき、自ずと私たちの言動も定まってくるのではないでしょうか。

 是非一度、「いのちへのまなざし」を手にとって、読んでみてください。今年の9月2日と9日には、午後1時半から新潟教会で「いのちへのまなざし」を学ぶ信徒養成講座があります。講師は私です。

 以下は、国際ラルシュが公開している短編映像です。静岡にあるラルシュかなの家で暮らすある女性を中心に、相模原の事件に対する考えと行動を短い物語にしたものです。オリジナルは日本語ですが、国際ラルシュのフェイスブックには、英語とフランス語の字幕版が公開されています。(L’Arche Internationale)

(菊地功=きくち・いさお=新潟教区司教、カリタス・ジャパン責任者)

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