「もし無ければ、造りますよ」とアメリカ人の国際政治学者が言った。ソ連に占領され、彼らの領土に編入されてしまった択捉、国後と歯舞、色丹の四島、いわゆる「北方領土」のことである。
もう何十年も前、私がまだ上智大学の国際関係研究所を中心に研究活動をしていたころ。場所はアメリカ、ジョージア州アトランタ市における国際・国際政治学会の一部会でのことだった。
まだ冷戦の最中の事で、ソヴィエトが北方領土を返還してもいいようなシグナルを出していると思われていた時の事だったろう。もし返還され、「問題」がなくなれば、アメリカは沖縄の基地を追い出されるだろうという「イフ」のコンテクストにおける応酬。ソヴィエトが北方領土を返還し「問題」が消滅すれば、日本の世論によって米軍は沖縄から撤兵を強いられるだろう、との論理であった。
「もし無ければ造りますよ」そんな因果関係の「北方領土問題」であってみれば、アメリカ政府の協力なくして容易に解決がつく問題ではないことが初めて理解できる、というものだろう。
この問題には、さらにもっと深刻な米ソ間の暗黙の了解事項があった。終戦の年1945年12月のモスクワにおける米英ソ3国の外相による会議におけるやりとりである。ソ連は「ヤルタ会談などを根拠に北方領土を占領編入する」と主張した。これに対しアメリカは「戦時中にどんな約束があったにしろ、領土問題の最終決着は平和条約締結のときに決まるものだ」と反論し、「アメリカは、旧国際連盟委任統治領として日本が支配していたミクロネシア諸島を、戦後は自国の戦略信託統治領とするつもりだ」と言明したのである。
この時、ソ連は了解したのだ。戦後の国際連合の安全保障理事会で、アメリカが「戦略信託統治領」案を提示した時に反対しなければ、「ソ連の北方領土併合は容認される」と。
普通の信託統治領は、軍事目的に利用されてはならない規定になっていた。それを「戦略」と特殊化することで、アメリカは自国の海軍の要求を満たすことができるのみか、間もなく具体化したように「水爆実験」に供することができるのであった。
ミクロネシアの島嶼国は、アメリカと自由連合のもとで独立して、今日に至っている。アメリカの原子力艦などの立ち寄りを妨げない憲法のもとで。 (2016・12・28)
(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長)