・愛ある船旅への幻想曲 ⑲日野原・名誉院長は語るー「人が人に与える最高のものは心」

 今夏の日本は、猛暑となり局地的な豪雨が相次ぎ水害・土砂災害が起こっている。地球温暖化やそれに伴う水蒸気量の増加等の世界的な規模の変動が寄与している可能性があるらしい。また、ロシアとウクライナの戦争がもたらす環境破壊や有害物質の排出は今後も世界中に悪影響を及ぼすであろう、と言われている。戦争は人間社会の対立によって生じ、人権と自然をも破壊する。

 

*広島市長の「平和宣言」と小学生代表の「平和への誓い」に感銘を受けた

 小学五年生の男の子が切実に、この戦争からの環境被害を、私に語った。中学一年生の男の子は、優しさについての作文に、ウクライナを支援する国々のことを称賛し、戦争からの環境破壊に繋げる文章を書き上げた、と話してくれた。この二人の母たちは、それぞれカナダ人とスコットランド人だ。日本も子供たちが多文化に触れ、多様性を感じ、互いを尊重することを学び、世界観の広い人間に育つ環境が出来つつある。「人間社会と世界情勢に興味を持ち、各国のニュースにも無関心ではない子供たちがいる限り、世界には明るい未来がある」と希望を持っている私だ。

 8月6日、広島は被曝77年の「原爆の日」を迎えた。この日の広島市長の『平和宣言』と、広島市の小学生代表の『平和への誓い』の言葉には、私が常々思っていることが綴られ、いたく感銘を受けた。

 広島市長「他者を威嚇し、その存在をも否定する、という行動をしてまで、自分中心の考えを貫くことが許されてよいのでしょうか。私たちは、今改めて『戦争と平和』で知られるロシアの文豪トルストイが残した『他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ』という言葉を思い起こす必要がある」

 小学生代表「自分が優位に立ち、自分の考えを押し通すこと、それは『強さ』とは言えません。本当の強さとは、違いを認め、相手を受け入れること、思いやりの心を持ち、相手を理解しようとすることです。本当の強さを持てば、戦争は起こらないはずです」。

 これらのメッセージは、国と国との戦争だけに述べられたのではない。私たち一人ひとりが今、人間として受け入れなければならないメッセージだ。

 私たちは生きていく上で、大なり小なり他の人との対立が生じ、争いを経験する。どんなに仲良し家族でも、夫婦喧嘩、親子喧嘩、兄弟喧嘩は避けては通れない。私自身、前向きな喧嘩?では、問題解決のために本音を言い合うことを前提に、気分は悪いが相手を受け入れる心構えだけは持つようにしている。家族内での対立は、社会で生きていく為に大きなヒントがあると感じているからだ。

 

*患者をないがしろにし、医師に顔を向ける病院

 社会集団の中では、立場の違いや利害関係からの対立がある。地方でいまだに存在する事例を挙げたい。

 ある人が、重篤な疾患で病院にかかる。一番大切な事はその人(患者)の身体の状態が良くなり治ること、と思うだろう。

 ところが、医者を紹介する病院関係者が不安しかない患者の家族に、「言っておきたいことがあります。この医者は、素晴らしい実績を持ち、○○で一番の有名な医者ですから、あなたからの質問など、とにかく何も言ってはいけません。医者に全て任せて従いなさい。この医者は私たちの病院には、なくてはならない大切な人ですから…」と、その医者を知る自分を誇示し、医者主導の「お任せ医療」を無理強いする。

 「私たちにとっては、病気になった家族(患者)のことが一番大切、大切な人ですから」と、悔しさと悲しさから涙をこらえた家族の訴えを聞いた。

 今の医療現場では、医者の責務として、患者の視点を念頭においたコミュニケーションをとることが求められている。医者が最善の治療をする為にも、患者や家族から過去の病歴を含む正確な情報を得る必要があり、患者や家族には、それを確実に報告する権利と責務がある。患者が良質な医療を受けるためには、医者と対等な立場での情報交換がなされねばならない。これは、双方の権利意識の問題解決にもなるだろう。

 患者の存在を軽視し、思いやりの言葉もなく、ひたすら”医者への尊敬の念”を言葉巧みに熱弁する病院関係者の医者に対する”気遣い”は、すべて病院経営の為だった。経済的利益を求めるために人間の尊厳、そして生命を巧みに利用し、威嚇する言葉は、医療現場で決してあってはならないことだ。カトリックの病院で働くキリスト者なら、なおさらのこと、心せねばならない問題だろう。WMAリスボン宣言『患者の権利』とWMAジュネーブ宣言『医師の誓い』を改めて思い起こし、人権を蹂躙しない心構えを共有せねばならない。

 私が知る医者たちは、日々患者の健康を第一の関心事とし、医者の職業的倫理を真面目に実践している。そして、「我々は、たかが医者だ」と謙虚である。彼らこそ「○○で一番の医者」かも知れない。

 

*教会は『野戦病院』になっているか

 

 教皇フランシスコは、たびたび、「教会は『野戦病院』です」と言われている。だが今、カトリック教会は、本当に『野戦病院』になっているだろうか。病院は今、『パターナリズムからパートナーシップへ、依存から協働作業へ』を推進していると聞く。教会は、どうなのだろうか。

 今進められている“シノドスへの道”の歩みに対する教皇フランシスコの希望は「全信者が共に歩む教会を作っていくこと」だ。「教会がこれまで、『聖職者主義』から脱することができず、信徒一人一人の声に耳を傾けることもできず、『皆で共に歩む教会』になっていなかったことへの反省」がもとになっている。

 聖路加国際病院の日野原重明・名誉院長は語られているー「なんと言っても、人が人に与える最高のものは心である。他者のための“思い”と“行動”に費やした時間、人とともにどれだけの時間を分けあったか、によって、真の人間としての証しがなされる」と。

 100歳を超えても医者として患者のために自分の人生を捧げ「医者としてあるべき姿」を貫き通し、信仰・感謝・実践の喜びに満ちた日野原先生の105年間は、真のクリスチャンとしての証しであろう。

(西の憂うるパヴァーヌ)

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2022年9月3日