・「ミャンマーのカトリック教徒は”声”をあげよう」ボー枢機卿が訴え(VN)

Cardinal Charles Maung Bo, Archbishop of YangonCardinal Charles Maung Bo, Archbishop of Yangon 

(201.10.25 Vatican News By Lisa Zengarini)

    世界宣教の日の24日、2月の国軍クーデター以来深刻な危機に陥っているミャンマーのカトリック司教協議会会長、チャールズ・ボー枢機卿がであるチャールズボー枢機卿は、同国の全てのカトリック教徒に対して、「憎しみではなく、愛をこめて、私たちの国を荒廃させている悪に反対する声を上げるように」と訴えた。

 枢機卿はまず、教皇フランシスコが今年のこの日のテーマに選ばれた「私たちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」(使徒言行録4章20節)を引用し、「今、私たちの国は、話すのが難しい時期にあります」とのべた。軍による市民たちへの残忍な弾圧が、2月1日のクーデターから9か月後も執拗に続いているからだ。

*”沈黙”は犯罪になり得る

 しかし、教会も標的とする冷酷な暴力に直面して、「沈黙していることは、犯罪者になる可能性があります」と指摘。イエスを尋問したピラトは、いったんはイエスに何の罪も見いだせない、としたが、大祭司や群衆の死刑を求める要求に屈し、「犯罪的な沈黙」を選んだことを挙げた。

*人々の叫びに耳を傾ける

 そして、「今日の世界宣教の日は、教会に対し、”シノドス的な教会”として、耳を傾け、見つめ、そして人々と共に歩むように、求めています」と述べたうえで、軍事クーデター以来ミャンマーの人々が耐えてきた「終わりのない十字架の道」を改めて思い起こし、 「私たちは、新型コロナウイルス感染、戦乱、故郷を追われ、経済は崩壊し、自然災害…と次から次に起こる危機で、イエスのように傷ついた人々の叫びを耳にしています」と語った。

*使徒のように神の愛と希望を

 枢機卿は、「罪のない人々が最も非人道的な苦しみにさらされているこの国で、神の愛の福音を宣言することは、使徒たちがしたように主に出会い、主の愛を経験することによってのみ可能です」とし、「私たちの敵によってもたらされた憎しみを、自分のものにすることは、敗北を意味します」と強調。

 「しかし、生ける神を体験することは、物事を容易にするものではない。初期のキリスト教徒は、敵意と苦難の中で信仰生活を始めました… 残忍な暴力、死、恐れという、彼らと同じ経験を、今、この国の人々、特に若者たちが余儀なくされています。だからこそ、教皇は今日の世界宣教の日のメッセージで言っておられるように、『自分たちは孤独ではない』ことを知っていたイエスの弟子たちに倣って、希望に生気を与えることが必要です。真っ暗闇の中で、希望の光を掲げること。それが福音宣教なのです」と訴えた。

 さらに、「敵さえも思いやる希望が、教会、特に今のミャンマーの使命。ミャンマーの教会は、幹線道路と側道へ、避難民のいるジャングル、果てしない嘆きの家々へ、そして、子供たちの命を守るために身を潜めている辺境の村々に出掛けて行くことが求められています。そして、悪の道を選んだ人々の所にも」と述べた。

*大国はミャンマーへの武器輸出をやめよ

 説教の最後に、世界の大国に対し、ミャンマーへの武器輸出を止めるよう、強く求め、「真の力を求めてください、それは奉仕にあります、思いやりにあります」と述べる一方、ミャンマーの全国民に対して、「私たちの国が平和の日を迎えることができるように、祈り、祈り続けましょう。ミャンマーが、カルナ(思いやり)とメッタ(慈悲)、思いやりのある愛の中で再び立ち上がることを、平和な国が福音宣教のメッセージとなることを願いましょう」と呼びかけた。

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
2021年10月27日