「私の思いは皆さんがご存知」教皇、”ロヒンギャ”という言葉を避けたことの意味(CRUX)

(2017.12.3 Crux Vatican Crorrespondent Inés San Martín) (Photo.Credit: Vincenzo Pinto/Pool via AP.)

Pope says of not mentioning Rohingya, ‘Everyone knew what I thought’

 アジア二か国歴訪を終えた教皇フランシスコは2日、ローマへの帰途に恒例の機上会見を行い、記者団の質問に答えた。

 その中で、教皇は、訪問先のミャンマーで同国内で虐待を受けているイスラム教徒住民について‶ロヒンギア〟という言葉を使わなかったことについて後悔していないか、との記者の問いに対して、「その言葉を、私はサンピエトロ広場での日曜正午の祈りや一般謁見の際に何度も使ってきました。(この問題について)私がどう思っているかは、皆さんがご存知です」と説明。

 さらに、「私にとって最も重要なことは、私のメッセージが届くことです」と語り、もしも皆の前で(ロヒンギャ、という)その言葉を遣ったら、現地政府から面前払いをくらわされたでしょう」「その言葉は使わなかったが、(彼らの置かれた)状況について私が思っていることは伝えました」と述べ、すべての人々の人権は例外なく尊重せねばならないことを訴え、一人一人に市民権を与えることを求めたことを強調した。

 今年8月以来、ミャンマ―の国軍はロヒンギャ回教徒住民に対して‶民族浄化〟を強行し、62万5000人を隣国バングラデシュに追放している。この地域を植民地としたイギリスによって安価な労働力として移住させられた彼らは、何世代にもわたって同国のラカイン州に居住してきたが、1980年以降、同国政府は彼らを自国民ではなく、‶ベンガル人侵入者〟と見なしている。

 「実際のところ、私は政府関係者から門前払いを食わされることを好みませんでしたが、それで彼らとの対話ができたことに満足しています。意思疎通を図ることはとても重要です。メッセージは伝わりました。力をもってしては、対話はなされず、扉は閉じられ、メッセージは相手に届きません」と教皇は付け加えた。

 二か国訪問関係以外に質問されたのは、核拡散防止問題と当初予定していて実現しなかったインド訪問についてだった。

 核拡散防止に関連して教皇は、一か月前のバチカン主催の米露など核保有国代表も参加した核廃絶に関する会議で、核兵器の保有と使用に関して「正当であることには限りがある」とし、「核兵器は道徳に反するだけでなく、正当でない戦争の手段と見なすべきだ」と語っていた。記者の質問は、ヨハネ・パウロ二世が1982年に国連に送った書簡で「現在の条件の下で、核の均衡による抑止はそれ自身が最終目的ではなく、核廃絶に向けた一歩」とし、核による抑止を受け入れられ得ると判断される表現をしていたこととの違いを指摘し、現在の世界の状況、具体的にはトランプ米大統領と金正恩・北朝鮮委員長の間に起きている険悪な関係の高まりの中で、見解に変化があったのか、という問いかけだった。

  教皇は「ヨハネ・パウロ二世教皇はそのように言われた時から、何年も経ち、正当性は変わりました」と核兵器に関する見解を変えたことを確認し、「長い年月の間に、核管理の体制は変わらないまま、人々を殺戮する核兵器は開発が進みました。現在、そのような進化した核兵器によって、私たちは全人類、そうでなければ、人類のかなりの部分を壊滅させる危険を冒しているのです」と説明。さらに、「教皇としてこう問いたい。『核兵器を持ち続けることが正当なのか、被造物、人類を救おうとしたら、(核がなかった時代に)後戻りする必要がないのか』と」と自問された。

 関連して、核そのものの問題についても「ウクライナの(原子力発電所の)事故を考えても、核の制御は困難」とし、核兵器は破壊によって打ち負かされるべきであり、その理由から(核の下にある)世界は正当であることの限界におかれている、と信じている、と強調した。

 同じ表現は、前教皇のベネディクト16世が2006年の世界平和の日に当たってのメッセージの中で、自国の安全を確保するため、として核兵器を保有する国の政府に対して使っており、核保有国のこうした態度は「有害であるだけでなく、完全なごまかしだ」としていた。さらに「平和の真理は―これらの政府が核兵器の保有を公式に認めている、あるいは保有しようとしている、いないにかかわらず―明確で確固とした決断によって進路を変えること、そして核廃絶に協調行動を進めることを支持する」とし、第二バチカン公会議とヨハネス23世教皇の回勅「地上の平和」によってなされた核兵器の保有への強い非難を引き継ぐ見解を示していた。

 また、2014年に核抑止に関するバチカンの公式見解が文書で明らかにされているが、この文書は、核兵器の人類への影響に関するウイーン会議の期間中に「核軍縮―廃棄の時」と題して発表されたもので、 教会は「核保有体制は、道徳的な基礎に確固として立つ政策とはもはや思われない」としている。

 インド訪問に関しては、教皇は、訪問を実現するための文書作業に時間がかかり過ぎ、時が過ぎ去りつつある、とし、「インド訪問は一国だけでする必要があります。インドには様々な文化があるので、インドに行く以上は、南部に行き、中央部に行き、北部に行き、東部にいかねばなりません。2018年に訪問できれば、と思います」と早期実現への期待を宣べ、いつも通り、「私がそれまで生きていれば」と付け加えた。また、中国に関しては「私は中国を訪問したい。そのことを否定はしません」と語った。

 質疑応答が今回の訪問に関連したものに戻り、ノーベル平和賞を受賞したアウンサン・スーチー女史に(民主選挙によって事実上のミャンマーの指導者になったにもかかわらず、ロヒンギア問題など国内の平和と安全に貢献していない、という)国際社会の一部からの批判について質問されたのに対しては、「そのような話は聞いていますが、ミャンマーでは、現実問題として何が期待されているのかを問うことなく、そうした批判について述べるのは難しいことです」としたうえで、「ミャンマーは多くの文化的、歴史的な価値あるものを持っていますが、現在は政治的な移行期にあります。どのような行動をとることができるかについては、このような視点から評価しなければなりません」と説明した。

 また、教皇が今回、ミャンマー入りした直後に、当初の予定を繰り上げて国軍指導者のミン・アウンライン将軍と会見したことについて、地元メディアでは、軍が今でも同国を支配していることを示したものと受け取る向きもあったが、教皇は、将軍には中国に出かける予定があったので(それに合わせた)と説明し、「彼ら軍関係者との対話に関心がありました。そして彼らは私のいるところに来てくれたのです」として、メッセージは伝わった、「私は自分の言いたいことを言いました」と強調した。アウンライン将軍は「話すように求め、私は彼を歓迎しました。私は決して扉を閉じない。話しをするように、来るように求める。そして話すことで何も失われません。そこにはいつも勝利があります」と語った。

 私的な会見だったことから、具体的な対話の内容について明らかにすることは避けたが、「私は彼と真理について取引をすることはしなかった。昔の道に戻ることは実行可能ではないのが明白だ、というやり方をしたのです」。現在の民主政府が危機に瀕した時に、軍事独裁―2008年に軍事政権によって公布されたミャンマー国憲法によって、常に復活が可能―が復活しうる、という前提で話したものだ。

 さらに、ミャンマーの前途は混とんとしているが、逆戻りを望む人々にとってそうすることは容易ではない。なぜなら、国連が現在、最もひどい扱いを受けている民族としてロヒンギアの人々を認定しており、「人類の良心」がその危機的状況を認識しているから、と理由を説明した。教皇は、今回のバングラデシュ訪問の際、18人のロヒンギアからの難民と会い、彼らへの「世界の無関心」に赦しを求めた。

 また、ミャンマー訪問中は側近の助言に従って「ロヒンギア」という呼称を使わなかったことについては、「そのようなことをしたら、現在の彼らが置かれた状況をさらに悪くしかねなかったから」とする一方、バングラデシュでの彼らとの出会いは「実現することは分かっていたが、どこで、どのようにして会えるのか知らされていなかった。それが、今回の歴訪のための条件だった」と振り返った。

  (翻訳・「カトリック・あい」南條俊二)

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2017年12月3日