・聖金曜日・主の受難ー「『あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる』というイエスの警告を思い起こそう」

(2022.4.15 バチカン放送)

 聖金曜日の15日夕方(日本時間16日未明)、教皇フランシスコはバチカンの聖ペトロ大聖堂で、イエス・キリストの十字架上の死を記念する「主の受難の儀式」を行われた。

 イエスの受難と死を深く観想するこの儀式は、祭壇前で頭を垂れた教皇の沈黙の祈りと共に始まり、みことばの祭儀では、ヨハネ福音書の「イエスが、ユダの裏切りで逮捕される場面から、十字架上の死、墓に葬られるまでの箇所」(18章1節-19章42節)が3人の助祭により朗唱され、イエスが息を引き取られる場面では、朗読者と会衆が沈黙のうちに跪き、頭を下げた。

 これに続き、教皇付説教師ラニエーレ・カンタラメッサ枢機卿による説教が行われた。

 枢機卿はまず、「今年の復活祭は、『喜びの鐘の音』ではなく、『死と破壊をもたらす砲弾の爆発の音』のもとで迎えることになった」と述べ、ピラトが流させた血や、シロアムの塔の倒壊で亡くなった人々に触れたイエスが「あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」(ルカ福音書13章5節)と警告されたことを思い起こしながら、「『その剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す』(イザヤ書2章4節)ことがされなければ、また同じことが繰り返されます」と訴えた。

 そして、「世界は目まぐるしく動き、そしてすべては過ぎさり、過去のものとなっていきますが、そうした時の動きに引きずられることなく、足を地につけているためには、『過ぎ去るもの』から、『過ぎ去らないもの』へと移る必要があります」と強調。「今年の復活祭を真の『過ぎ越し』とし、決して変わることのない方ー神ーへと移りましょう」と全ての司祭、信徒に寄りかけた。

 説教に次いで、聖金曜日の盛式共同祈願が行なわれ、後半の儀式では、十字架を手にした助祭が、大聖堂の入り口から祭壇に向かって進みつつ、三度にわたり歩を止め十字架を高く掲げ、その度に参列者を十字架の崇敬へと招いた。

 十字架は助祭によって教皇のもとに運ばれた。十字架を前にたたずんだ教皇は、長い沈黙の祈りを捧げ、十字架につけられたイエスに接吻された。最後に十字架は祭壇前にもたらされ、参列者は十字架を見つめ祈った。聖体拝領の後、会衆は静かに解散し、「主の受難の儀式」は終了した。

(編集「カトリック・あい」=引用された聖書の箇所の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

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2022年4月16日