・聖金曜日・十字架の道行き: ウクライナ、ロシアの家族も参加、「兄弟に振り上げた拳を収めさせてください」と教皇

Pope Francis leads the Via Crucis on Good Friday 2018 

(2022.4.15 Vatican News  Devin Watkins)

   教皇フランシスコが15日の聖金曜日に、ローマのコロッセオで十字架の道行きを主宰され、新型コロナ感染の影響で2019年以来3年ぶりの開催となった道行きには、1万人を超す信徒たちが参加。ウクライナから戦火を逃れてきた家族など15組の家族が代表して、戦争の恐怖や生活の上での苦難などを分かち合った。

    今年は教皇の使徒的勧告「(家庭における)愛の喜び」の公布5周年を祝う家族年であることから、カトリックのボランティア団体や共同体に関わる15の家族が14留それぞれの瞑想のテーマを書いた。「不満、不安、欠乏、心に負った傷」だけでなく、「勇気、許し、祈り、そして希望…」。世界中のすべての家族の暮らしに関連するこれらのテーマは、今回のコロッセオでの聖金曜日の十字架の道行きにおける瞑想の基調となった。

 

*「父なる主の平和の家」で一つの家族となる

 十字架の道行きは、Adoramus Te(We Adore You)から始まり、教皇フランシスコが、苦しみとキリストの十字架に隠された力、そして家庭生活の多くの側面と試練の中で見出された希望を思い起こさせる開式の祈りを唱えられ、その中で「復活されたイエスは、人類に救いの賜物をくださり、皆の涙を拭き、『愛と平和のあなたの家に住む一つの大家族』にすることを約束されました」と語られた。

 道行きの14の留ではそれぞれに、代表する家族が十字架を担い、祈りの意向と共に福音書の箇所を唱え、全員で黙想した。そして教皇が祈りで各留を締めくくり、聖歌隊は Stabat Mater「悲しみの聖母歌った。

*戦争で引き裂かれたウクライナとロシアの女性二人が共に十字架を担って…

 十字架の道の14留のそれぞれの黙祷のテーマは、カトリックのボランティアグループに関係する15の家族によって書かれ、世界中の家族が直面している試練と苦難のさまざまな側面を表現した。

 黙祷のハイライトは、2人の女性ーロシア人のアルビナとウクライナ人のイリーナーが十字架を共に運ぶ第13留だった。準備された祈りの言葉の代わりになされた長い沈黙は、どのような言葉よりも雄弁に二人の思い、家族の思いを伝えた。二人はローマで看護師をしている友達同士だが、十字架を共に担い、戦火にある兄弟姉妹たちすべての苦しみ、平和と和解への強い希望を表す瞳で互いを見つめていた。一瞬の沈黙のうちに、参加者全員が神の平和の賜物をくださるように祈った。

*苦しみの闇の中に福音の光

 十字架の道行きの間、教皇は説教も、ご自分の思いを語ることもせず、家族の代表たちが、それぞれの体験を語れるようになさった。そして道行きの最後に、「喜びと悲しみ、試練と希望の中で、福音の光がすべての家族の心に照らし続けられるように。あなたを遠ざけようとする私たちの”反抗的な心”に、赦しと平和が打ち勝つようにしてください」と次のように、神に祈られた。

 「主よ、私たちの反抗的な心を、あなた自身の心に向けるようにしてください。そうしてくだされば、私たちは平和の計画を追求することを学ぶことができます。敵対する者同士が握手をするように、互いに赦し合うように励ましてください。憎しみのあるところに和解がもたらされるように、兄弟に振り上げた兄弟の拳を収めさせてください。私たちがキリストの十字架の敵として振る舞うことを絶対にしないように、私たちがキリストの復活の栄光を分かち合うことができますように。アーメン」

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*家族生活の歩みの中で

 黙祷は、家族生活の歩みを反映する形で、十字架の道行き第一留は、若いカップルの経済的な苦労から親としての試練、そして喪失の痛みから戦争のような非常に困難な状況へと進む。若いカップルは、友人の結婚が失敗するのを目の当たりにする、彼らの愛はまだ試練に遭っていない、そして彼らの目的を達成するための闘いを含む彼らの困難を映す形で、十字架の道行きが始まる。

 「結婚は”ロマンチックな冒険”にととまらず、”ゲッセマネの園”でもあります。他の人のために体を壊す前に私たちが感じる苦痛があります」

 そして第二留。宣教活動に携わる家族は、戦争の恐ろしさを目の当たりにし、暴力で対抗するやり方に共感を覚え、神の摂理を信頼することの難しさを痛感している。日々、キリストの兄弟姉妹の中で、キリストを裏切る誘惑に抵抗するのに苦労し続けている。

*子供のない老夫婦と子供たち

 

*戦争がもたらす死と破壊

 第13留の言葉は、現在の政治的状況からは互いに対立するウクライナとロシアの家族によって書かれた。両方の家族は、死と破壊の痛みについて述べている。戦いによって、人生がどのように意味を失い、憎しみが絶望と沈黙に道を譲るように見えるかーそして、二つの家族が、共に、イエスの死を印す第13留へ十字架を運ぶ。

 彼らは祈る。「私たちは朝起きて少しの間、幸せを感じますが、その後、突然、これらすべてに自分自身を満たすのがどれほど難しいかを考えます。主よ、どこにおられますか? 死と分裂の沈黙の中で私たちに話しかけてください。私たちが平和を築く者に、兄弟姉妹になること、そして爆弾が破壊したものを立て直すことを、私たちに教えてください」

 

*戦争避難民は陽の光を求めている

 第15留は、戦争のために故郷を追われた避難民の家族からの言葉だ。

 自宅では、家族は大切な存在だった。だが、今は、単なる”番号””分類”だ。カトリック教徒であることさえも、避難民であることの次に置かれる。そして、子供たちが、爆弾、血、迫害を見ることのない人生の機会をえるように、毎日のように、親たちが命を落としている。

 「私たちが諦めないなら、それは、墓の入り口をふさいでいる大きな石が、いつか転がされることを、知っているからです」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2022年4月12日