(2021.4.16 La Croix Robert Mickens | Vatican City)、
*来年2月に自身が主宰する国際神学シンポジウムの開催を今発表した真意は
既に”職務定年”の75歳を超え、数か月のうちに引退すると見られているバチカン司教省長官、マーク・ウエレット枢機卿が先週、突如として、10か月も先の、召命に関する大規模な国際神学シンポジウムの開催を発表し、次期の教皇職を目指す意思表示ではないか、との憶測を呼んでいる。
発表によると、このシンポジウムは「召命の基礎神学に向けて」と題し、ウエレット枢機卿を主宰者、基調報告者として、来年の2月17日から3日間の日程で開催される。だが、主人公の枢機卿は1944年6月8日生まれで、開催時点では77歳になっており、間違いなく、司教省長官の職務を解かれているはずだ。
それなのになぜ、このシンポジウムの開催時には枢機卿が長官職を退いているはずの司教省がスポンサーになっているのか、という疑問が起きるが、それについて十分な説明はされていない。
このシンポジウムを発表した12日の記者会見で、ウエレット枢機卿は、その意義を「それぞれに固有なものを尊重しながら、新たな構想、必須の感覚、あらゆる召命を評価する方法を提供する大々的な神学的企て」と説明した。言い換えれば、それは司祭職への召命だけに限定せず、すべての「教会の召命、を対象としており、そのようなバチカンが後援する集まりは通常であれば、関係するバチカンの部署や一般信徒の団体などの共催で企画、開催されるものだ。
それが、司教省単独で企画、開催しようとするのは、おそらく司教(”監督者”)たちが、教会におけるすべてのことを任されている、という理由からだろうが、それだけでは十分な説明にはならない。
*次期教皇の”椅子取りゲーム”への参加表明?
記者会見でウエレット枢機卿は、「本日をもって、シンポジウムの開催内容は公開される」と述べ、「会議に関心をもつ組織、団体に、参加登録や資金援助の申し込み方法など詳細な情報を、専用のウエブサイトでお知らせする」と付け加えた。
このウェブサイトは、ウエレット枢機卿が昨年11月にパリに設立した「聖座から独立した」召命研究センターのウェブサイトだ。センターの目的は、民間あるいは教会関係の研究所による広い意味での社会における召命に関する社会科学のあらゆる研究活動を推進、支援すること」という。だが、本当の目的が、来年2月のこのシンポジウムという「素晴らしいイベント」を世界の教会関係者の周知することで、ウエレット枢機卿本人の存在を知らしめることにあるのは明らかだ。
ではなぜ、この友好的なフランス系カナダ人の枢機卿が、開催時点では引退したバチカン幹部として”指導、監督”する野心的な企画に、深く関与する必要があるのだろうか。おそらく、それは、言ってみれば、彼を「(次期教皇の席取りの)ゲーム」に取って置くためだろう。
現役を引退した、あるいは高官の職を持たない枢機卿が教皇に選ばれたことがいつあったのか、思い出すのは困難だ。それでも、教皇選挙権を持つ枢機卿の中に、ウエレットを次期教皇に、と熱望する者がいるが、司教省長官のポストから降りれば、教皇に選出ばれるチャンスが大きく減ることも知っている。
前教皇のベネディクト16世が2010年6月、このフランス系カナダ人神学者を、カナダ・ケベックの大司教としての”困難で相当に悲惨な状況”から救い出し、バチカンで影響力のあるポストに就けた。そして前教皇が2013年2月に世界に衝撃を与える突然の辞任を発表した際、ウエレット枢機卿は、有力な後継者として取りざたされた。
教皇選挙の前、カナダ国営CBC放送のインタビューを受けた枢機卿は、「私よりも適任がいるとしても、準備が出来ていなければなりません。その時になったら、考えます」と語り、「私のアイデンティティは、初めから、宣教師であること」としていた。
*フランス系カナダ人の神学者、ケベック大司教から司教省長官に
ウエレット枢機卿は、神学の専門家であり、修道会、サン・スルピス司祭会の会員だ。バチカンのキリスト教一致推進評議会の議長をわずか1年半務めた後、2003年にケベックの大司教(カナダの首座主教)にとなり、2010年6月にベネディクト16世教皇からバチカン司教庁長官に任命された。
それ以前は、ほとんどの期間を、カナダとコロンビアの同修道会の神学校の教員、育成担当者として過ごす一方、ローマでは、教皇庁立聖トマス大学で哲学修士、教皇庁立グゴリアン大学で教義神学博士号を取得。結婚と家庭に関するヨハネパウロ二世I研究所で2002年までの6年間、教義神学を教えた。
また、故ハンス・ウルス・フォン・バルタサル(スイス人のイエズス会士で署名な神学者で、前教皇ベネディクト16世=当時はヨゼフ・ラッツィンガー=と共に国際神学専門誌Communioを創刊した)の著作に関する専門家とされており、1990年から同誌の編集委員を務めている。語学では、フランス語、英語、イタリア語、スペイン語などに堪能だ。
ウエレット枢機卿は、駐米教皇大使だったカルロ・マリア・ビガーノ大司教が教皇フランシスコに辞任を迫った二年後に、教皇の擁護に回ったことで、様々な憶測を呼んだことでも知られている。
*思いやりがあり、優しそうな外見の”アンチ・フランシスコ”
それが起こった時、この紙面で指摘したのは、「枢機卿は教皇フランシスコを擁護するのと同じくらい、自分の名声を守り、次期教皇候補としての立場を確保した」ということだった。そして、今回の自らの主宰による国際シンポジウムの企画、発表は、次の教皇選挙で”中道派”候補となるための、本人とその支持者たちによる周到なイメージ作りの戦略の一環であるのは、想像に難くないように思われる。
これは、ウエレットの個人的な野心あるいは権力への渇望が動機ではない。本人と彼を支持する伝統と教義を重視する保守的な高位聖職者たちの動機は、カトリック教会の将来についての強い懸念-教皇フランシスコがどこに教会を導こうとしているのか、についての強い不安だ。そして、教皇が、自身の路線を支持する枢機卿たちを増やし、「教会を予測不可能な場所、未開拓の海域に進める後継教皇の選出」を確実にする票数を確保しているのを恐れている。
”アンチ・フランシスコ派”のウエレットの支持者たちは、彼を、最近の二人の教皇の異なるスタイルと考え方の架け橋となりうる人物として教皇の座に就かせることを望んでいる。