・「カリタスの核心は『忘れられた人々』が希望を見つけるのを助けること」菊地新総裁、Vatican Newsに語る

(2023.5.14 Vatican News   Devin Watkins)

    国際カリタスの新総裁に選出された菊地功・大司教が14日、Vatican Newsとのインタビューに応じ、新たな使命への抱負と、具体的な奉仕活動で神の愛を証しするボランティア、スタッフの価値ある行為などについて語った。

Archbishop Kikuchi in the studios of Vatican Radio

 インタビューで菊地大司教は、国際カリタスは世界第二の国際人道機関であり、単なる慈善・援助以上のものを提供する世界の現地カリタスの活動を統括し、戦争や自然災害の犠牲になっている人々への人道支援、社会から忘れられた人々への寄り添いを通して、「神がこの世のすべての人を愛していることを証しすること」を目指している、と説明。

 現地カリタスは、世界各地の草の根ボランティアで構成され、カトリック教会の慈善・援助活動の顔として活動しており、食糧援助など人道支援などに力を入れているが、最も重要な点は「人々が『自分たちは忘れられていない』と認識し、『生きる希望』を持てるように助けること」にある、と菊地大司教は強調。

 「希望は外部からもたらされるものではないが、私たちは皆、友人になれるし、共に歩むことができる… 私たちが共に歩むので、彼らは『自分たちは忘れられていない』という安心感を得ることができます。そこから、生きる希望を持てるようになるのです」と語った。

 *インタビューでの一問一答は以下の通り。

問:新総裁として、カリタスの使命を果たす上で何が重要と考えておられますか?

答:国際カリタスは、国際赤十字に次ぐ世界で 2 番目に大きな人道援助機関であり、困難な状況に置かれた人々を支援する専門のNGOとしてよく知られています。でも、実際にはNGOであるだけでなく、それ以上の存在です。私たちは、カトリック教会の組織であり、教会の奉仕機関。つまり、カリタスは「神の愛」の承認となるべき存在です。私たちが行っているのは、食べ物など援助物資を含むあらゆる種類の支援をするだけではありません。「神の愛」を証しし、「神がすべての人を愛しておられるのだ」ということを、人々に示したい、と考えて活動しているのです。

問:国際カリタスの 今回の総会での話し合いは、忘れ去られた人々、つまり他の組織から見過ごされている人々に焦点を当ててきました。では、カリタスは、彼らにどのように手を差し伸べるのでしょうか?

答:カリタスのボランティアとして働いた私自身の経験を活かします。1995年に私は、カリタス・ジャパンのボランティアとしてザイール(現在のコンゴ民主共和国)のブカブにあるルワンダ難民キャンプに派遣されました。ここで何人もの難民に会いましたが、食べる物も着る物も、住む場所もなく…あらゆるものを必要としていた。リーダーたちと面談し、何が必要か尋ねたところ、食料や薬、避難所、教育などの支援を求められると予想していたのですが、まず言われたのが、「神父さん。あなたは日本から来たんでしょ。だから、日本に戻ったら、『私たちはまだ、ここにいる。そして、皆、忘れ去られてしまっている」と言っていると、日本の人たちに伝えて」でした。それを聞いて、とてもショックを受けました。

 その後、地域、災害に遭った国、戦争や紛争で荒廃した地域で、現地の人々に会いましたが、ブカブで聞いたのと同じ”叫び”を何度も何度も聞きました-「私たちは忘れられている、忘れられている」と。ですから、カリタスの使命はこれです-「自分は忘れられていない」と知ってもらうこと。私たちは専門的な支援を提供しますが、同時に「私たちは、あなたがたといつも一緒にいる」ことを伝えたい、と思っています。誰も排除されない、誰も忘れられないように。それをいつも念頭に置いて、彼らと力を合わせます。

問: あなたはボランティアであるだけでなく、宣教司祭でもありました。 それはあなたの使命をどのように特徴づけていますか?

答:私は、神言会(SVD)に所属しています。 1986 年に叙階された後、西アフリカのガーナに派遣されました。 そこで私は、電気も水道もない灌木地帯の教区に赴任し、教区司祭として7年間そこにいました。 ガーナには合わせて8年いました。 それは私にとって本当に重要な経験であり、私のアイデンティティを形成するのに役立ったと思います。

 特に、1986年当時、西アフリカの経済があまり良くなくて、人々は貧困に陥っていました。 多くの人が適切な治療を受けられずに亡くなり、HIV-AIDS が蔓延していました。 あらゆる種類の問題がありました。 それでも、人々はとても幸せそうでした。 いつも彼らはとても幸せそうに見え、美しい笑顔を浮かべていました。 そこで私は、教区内の数人に尋ねました-「なぜそんなに幸せなのですか?」。すると、ある人が冗談めかして私にこう言いました。「神父さん。私たちには『ガーナの魔法』があるんです!」 。では、彼らの魔法は何だったのでしょう? それは、「誰かが自分を助けてくれる、誰も忘れられることはない」という確信でした。

 そのような文化的背景の中で、人々はお互いを支え合うのです。誰も忘れられることがないので、道端で人が死んでいるのを見ることはありません。 その確信は、実際に人生への希望を生み出します。 それが、「人々を忘れなければ、彼らに生きる希望を生み出すことができる」という私の確信のもとになっています。

 私たちは、外から希望をもたらすことはできません。 食べ物や資材などあらゆるものを外から持ってきて、困っている人たちに届けることはできますが、困難な状態に置かれた人々に希望をもたらすことは、できません。彼らの心の中に希望が生まれる必要があります。 私たちは、彼らに希望を生み出すよう命令することはできません。 でも、友達になれるし、一緒に歩いていくこともできる。 私たちが彼らと共にいることで、彼らは「自分は忘れられていないんだ」という安心感を得ることができます。 そこから生きる希望を生み出すことができるのです。

問: 世界中でカリタスの使命を果たそうと努力している無数のボランティアやスタッフに向けて、メッセージをお願いします。

答:私たちはいつも、「カリタスは『神の愛』の証人であり、カリタスには業務の管理運営に携わる人や最高幹部だけがいるわけではない」と自戒しています。草の根の視点から見ると、ボランティア、スタッフ全員が「カリタス」なのです。

 日本では、2011 年の津波と地震災害の後、カリタス・ジャパンが被災地にいるすべての人たちのためにボランティアを派遣し、ボランティア活動の拠点を設けました。 その地域にはキリスト教徒は一人もおらず、 数年後に他のNGOはほとんどいなくなる中で、カリタスは被災地に残り、現地の人々から「 カリタスさん」と呼ばれるようになりました。彼らこそ、本物のカリタスの働く人、です。「カリタスさん」と呼ばれるのは、彼らが草の根ボランティアとして、カリタスを代表しているからです。このように、ボランティア一人ひとりがカリタスの特色を担うことが非常に重要です。  業務の管理運営に携わる私たちだけが「カリタス」ではないのです。 私たちはボランティア、スタッフの皆さんと一緒にカリタスを作っていきます。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2023年5月14日