♰「慈善、慈愛、友愛が私たちの進むべき道」教皇、イラクから帰国の途上で機内会見・全文と概要

Pope Francis talks to journalists on flight from IraqPope Francis talks to journalists on flight from Iraq  (AFP or licensors)

(2021.3.8 VATICAN NEWS)

 「慈善、慈愛、そして友愛が、進むべき道だ」。それが、教皇フランシスコ8日、がローマへの帰路の機上での随行記者団との会見で強調された言葉だった。教皇は、機上会見で、教皇史上初となったイラン訪問を振り返られ、”神の賢者”シスタニ師との会談の印象、破壊されたモスルの教会の前に立った時の気持ち、息子を殺した者たちを赦したキリスト教徒の母親の言葉への感動、そしてレバノン訪問の約束… などを語った。

 教皇は、記者会見の冒頭で、8日が「国際女性デー」にあたっていることを取り上げ、「女性の皆さん、おめでとう!私は今回の訪問で、イラク大統領夫人とお会いした際、『(女性の日があるのに)なぜ、男性の日がないのか』が話題になりました。それで私は、こう申し上げたのです-『それは、私たち男性はいつも、祝っているからです』。大統領夫人は私に女性について語り、人生、歴史、そしてとても多くのことを前に進める女性の持つ力の素晴らしさについて語られました」と語り、されに、「昨日7日は、COPE(出版規範委員会:英国に本部を置き、学術論文の出版規範を議論・制定し、世界の学術雑誌の編集者や出版社に助力する非営利組織)が生まれた日でした。おめでとう。これもお祝いしなければなりません」と述べられた。以下は、記者団との問答。

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問:教皇は2年前にアブダビを訪問された際、アルアズハルのイマーム・アルタイエブとお会いになり、友愛に関する宣言に署名されました。そして今回のイラク訪問で、アル・シスタニ師と会われました。宣言を出される考えはなかったのですか。もうひとつは、レバノン訪問の可能性についてです。聖ヨハネパウロ2世は、訪問の意向を示されていましたが、残念ながら実現していません。レバノン訪問は近々に実現するのでしょうか。

教皇:アブダビでの宣言は、事前に6か月にわたって、グランドイマームと秘密裏に話し合い、祈り、双方の意向を反映し、修正するという作業の結果、実現しました。おこがましい言い方ですが、これは、”第一歩”であり、第二歩、さらに第三歩とする必要があります。友愛の道は重要ですが、アブダビ宣言で私は「友愛」にしっくりしていないものを感じ、その経験もいれて、新回勅「Fratelli tutti(兄弟の皆さん)」を出したのです。

 この二つの文書は、友愛の道という同じ方向を進むものであり、そのように学ばれる必要があります。アヤトラ・アル・シスタニは、私がしっかり覚えたい言葉をお持ちです。それは「人は宗教によって兄弟、あるいは創造によって平等である」という言葉。友愛においては平等ですが、平等のもとでは私たちは進めません。それはまた、文化的な旅でもあると思います。

 私たちキリスト教徒について考えましょう-例として、三十年戦争(1618年から1648年まで中央ヨーロッパで主に戦われた宗教戦争。ドイツの人口の20%を含む800万人以上の死者を出し、人類史上最も破壊的な紛争の一つとなった。最初は神聖ローマ帝国内のプロテスタントカトリックの戦争だったが、ヨーロッパ全体の戦争へと発展した)、そしてサン・バルテルミの虐殺(1572年8月24日、フランスカトリックプロテスタントを大量虐殺した事件)が挙げられます。

 私たちのメンタリティーは変わる。それは、信仰が、イエスの啓示は愛と慈しみであり、そこに導くことを、私たちに分からせるからですが、そうなるのに、どれほどの年月がかかったことでしょう。重要なのは友愛、人として私たちは皆、兄弟であり、私たちは諸宗教と共に進まねばならない、ということなのです。第二バチカン公会議は、この点で大きな前進をもたらしました。そして、その成果をもとに、キリスト教一致推進評議会と諸宗教対話評議会がバチカンに作られました。今回のイラク訪問には、諸宗教対話評議会の議長、アユソ枢機卿が同行しています。

 あなたがたは人間であり、あなたがたは神の子供であり、そして、あなたは私の兄弟!ーこれは最も素晴らしい意思の表明であり、それに従うために何度もリスクを冒さねばなりません。いつくかの批判があるのはご存じでしょうー「教皇は勇気がなく、カトリック教義に反対する無謀な人物だ、一歩間違えば異端者になる、いくつも危険がある」と。ですが、決断はいつも、祈り、対話し、助言を求め、よく考えたうえで、しています。気まぐれではなく、評議会が教えてくれる線に沿ったものです。

 二つ目のご質問にお答えしましょう。レバノンは”メッセージ”です。レバノンは苦しんでいます。禍福の均衡を超えています。多様性の持つ弱さがあり、和解されないことがいくつかあるが、偉大な和解の民のレバノン杉のような強さを持っています。ライ総主教(マロン派カトリック)から、今回のイラク訪問の途中でベイルートに立ち寄ってくれるように頼まれましたが、少々の問題があるように思われました。レバノンのように苦しんでいる国の問題です。それで、私は彼に手紙を送り、訪問を約束しました。しかし、現時点では、レバノンは危機にあるー感情を損ねたくありませんが、命の危機にあります。レバノンは、難民たちを迎えることにとても寛大です。

問:アル・シスタニ師との会談は、どの程度まで、イランの宗教指導者たちに対するメッセージでもあったのでしょうか?

教皇:私が確信しているのは、信仰と贖罪の巡礼をし、偉大な人、賢者、神の人に会いに行くことを義務と感じることが、普遍的メッセージだったということですー彼に聴くことによってのみ、これを受け取る。メッセージに関して言えば、それは、全ての人のためのメッセージであり、その人は知恵と忍耐を持った人物です。

 シスタニ師は私にこう言いましたー「この10年の間、私は、政治的、文化的な意図をもって来る人を受け入れて来ませんでした。(受け入れたのは)宗教人だけです」。そして、とても丁寧に対応してくれました。(普段は客人と)挨拶する時に、絶対に立ち上がらないのですが、私には2度、立ち上がって挨拶してくれました。謙虚で賢い方です。この出会いは、私にとてもいい印象を残しました。

 彼は灯台であり、こうした賢者はいたるところにいる。それは、神の知恵が世界中に散らばっているからです。聖人が祭壇にいるだけではないのと同じです。毎日のように出会うのは、私が”隣にいる聖人”と呼ぶ人々ーそれが何であれ、一貫して信仰を生きる男女ーです。一貫性して、人間の価値を、友愛を、生きる人です。私たちはこのような人たちを見出し、目立たせるべきだと思います。そのための実例が沢山あります… 教会においてさえも、スキャンダル、とても多くの問題が起きた時に、このことは助けになりませんが、友愛の道を探し求める人たちに”隣にいる聖人”を知らせましょう。そして、私たちは、自分の家族、祖父、祖母の中から、そのような人をきっと見つけます。

 

問:あなたの旅は、世界中に大きな反響を呼びました。それは教皇の「旅」と言えるとお考えですか。今回の旅はまた、とても危険だと言われました。いらう訪問中に危険を感じたことはありませんでしたか?教皇になられて8年になろうとしていますが、(在位の)残りはあと少し、と今でもお考えですか?最後に、大きな質問です。アルゼンチンにお戻りになるのでしょうか?

教皇:最後の質問からお答えしましょう。私の考えはこうです。それはアルゼンチンのジャーナリストで医師の私の友人、ネルソン・カストロの本に関連していますーその本は、大統領の病いについて書いているのですが、ある時、私は彼に言いました。「ローマに来たら、教皇たちの病について書かなければならない。彼らの病を知るのは、少なくとも、最近のいくつかの事例について知るのは興味があることだろうから」。それで、彼は私にインタビューし、本にしました。読んだ人たちは、いい本だ、と言っていますが、私は読んだことがない。

 彼は私にこう質問しましたー「あなたは教皇を辞めたら、アルゼンチンに戻りますか。それとも、バチカンに残りますか」。私は答えましたー「私はアルゼンチンには戻りませんが、私の教区に滞在します。しかし、この仮説では、回答は質問と結びついています。いつ、アルゼンチンにいくのか、あるいは、なぜアルゼンチンに行かないのか… 私はいつも、少しばかり皮肉な答え方をしますー「私はアルゼンチンに76年もいました。それで十分でしょう?」。

 言っていないことが一つありますー2017年の11月にアルゼンチン訪問が計画されたことです。もともとは、チリ、アルゼンチン、そしてウルグアイを、2017年11月の末に訪問することで準備が始められたのですが、その時期はチリは選挙戦の真っ最中で、12月に当時のミシェル・バチェレ大統領の後任が選ばれ、翌3月に交替となるので、2018年の1月にチリ、次にアルゼンチンとウルグアイに行こうと考えたのですが、アルゼンチンとウルグアイに同じような問題があるので、無理。それでは、どうしてこの二つの国とチリと繋げなければならないのか。それは、チリ訪問とエクアドル、ボリビア、パラグアイ訪問を切り離していたからでした。そのようなわけで、チリとペルーを2018年の1月に訪問する計画になったのです。でも、申し上げたいのは、それには「故郷恐怖症」があったわけではない、ということ。アルゼンチン、ウルグアイ、そしてブラジル南部を訪問するのは機会があればできることです。

 それで、今回のイラク訪問についてです。訪問の計画が決定された時、助言者たちの意見を聴きましたー「そこを訪問すべきでしょうか」と。人の話を聴くのは私にとっていいことです。判断の助けになりますから。助言を聴いた後で祈り、よくよく考えました。そうして、判断が、内から、お腹の底から、熟した果物のように、もたらされました。長く時間のかかった判断でした。これよりもっと難しい場合も、やさしい場合もあります。今回のイラク訪問の判断は、この国を代表する小児科医の大使からもたらされました。彼女は素晴らしい人です。自分の国を訪問するように、しつこく勧めました。それからイタリア駐在の大使がやって来て…彼女は悪戦苦闘する女性です。それから、新任のバチカン駐在大使が来ました。それより前に大統領が来られました。

 これらすべてが、私の頭にありましたが、申し上げておきたいのは、私の判断の背景には、もう一つのことがあったのです。それは、あなた方ジャーナリストの中の一人が私にくださったナデイァ・ムーラド著「The Last Girl」のスペイン語版でした。私はそれをイタリア語で読みました。ヤズィーディー (  イラク 北部などに住む クルド人 の一部において信じられている 民族宗教)の物語です。そこで、ナディアは恐ろしいことを語っています。皆さんにもお読みになるようお勧めします。箇所によっては、重く感じるように思われるかも知れませんが、私にとっては、判断の根拠となるものでした。この本は、私の心の中に働きました。恐ろしい話を私にするために来たナディアに話を聴いた時でさえも… そして、これら全てが、私を決断に至らせたのです。何回も、よく考え、最終的に、判断に至りました。

 そうして、私の教皇在位8年目についてです。私は8年目を務めるべきでしょうか?さらなる外国訪問が実現するかどうか、分かりません。白状しますが、この訪問はこれまでよりもずっと、疲れを覚えます。84歳の私は、一人では出かけられません。年齢からいって避けられないことです… 様子を見ましょう。私は今年9月に開かれる第52回国際聖体大会で閉幕ミサを捧げるためにハンガリーに行かねばならない。国への訪問ではなく、ミサのためにです。もっとも、ブダペストからスロバキアの首都ブラスティスラバは車で2時間の距離です。それなら、スロバキアを訪問してもいいのではないか。これから判断することですが…

 

問:今回にイラク訪問は、あなたに会うことができた人々にとって非常に有意義でしたが、一堂に会した人々にとっては、新型コロナウイルスが拡散する可能性もありました。あなたに会いたいという願う人々が感染し、命を落とすかもしれない、と心配なさいませんか?

教皇:先ほども申し上げたように、海外訪問は、私の意識の中で、時間の経過とともに”調理”され、私に力をくれたことの一つです。私は、(今回の訪問について)たくさんのことを考え、たくさん祈り、心の内から本当にもたらされる決断をしました。そして、このこと(新型コロナウイルスの大感染の問題)も、私の頭にありました。もしかしたら、もしかしたら… 私はたくさん祈り、最終的に、心の内から来た自由な判断に任せました。そして自分に言い聞かせましたー「その判断に私を導いた方、その方に人々をケアしていただこう」と。すべての後で、私はリスクを意識しながら、決断しました。

Q:私たちは、イラクのキリスト教徒の勇気、活動、直面している課題、イスラム教徒からの暴力の脅威、置かれた環境の中での信仰の証しを目の当たりにしました。彼らが体験している課題は、キリスト教会全体の課題です。レバノンだけでなく、聖地シリアにとってもです。10年前に中東でシノドス(代表司教会議)が計画され ましたが、バグダッド大聖堂が攻撃されたため、断念されました。地域シノドスの開催など、中東全体のために何か出来ることをお考えですか?

教皇:シノドスの開催は考えていません、私は様々な動きを歓迎しますが、シノドスは頭にありません。あなたはこの課題の先陣を切りました。皆で考えましょう。中東でのキリスト教徒の生活は問題を抱えていますが、キリスト教徒に限りません。ヤズィーディーについても話しました… そして、これは、理由はわかりませんが、私に非常に大きな力を与えてくれました。

 移民・難民の問題があります。昨日、カラコシュからエルビルに戻ってきた時、多くの若い人々に会いました。彼らの年齢は非常に低い。ある若者が私に尋ねましたー「私たち若者の将来はどうなるのでしょう?どこに行くのでしょう?」。若者の多くは国を去らなければなりません。金曜日、現地を発つ前に、12人の難民の方が私に別れを告げに来ましたが、そのうちの一人は義足でした。トラックの列を避けようとして轢かれたのです。移住には「しない権利」と「する権利」がありますが、彼らにはどちらの権利もない。世界はまだ移住が人権であることに気づいていないで、彼らは移住できないのです。

 以前、イタリアの社会学者が「イタリアの人口動態の冬」について、私に語ったことがありますー今後40年以内に、イタリアは労働力として外国人を”輸入”し、イタリア人の年金のために税金を払わせるようにしなければならなくなる、と。あなたがたフランス人もっと賢いので、家庭を支援する法律でイタリアより10年先行しており、成長のレベルがとても高い。

 しかし、移住は「侵略」として経験されます。昨日、ミサの後、(シリア難民のクルド人の3歳の幼児で、2015年に地中海で溺死した)アラン・クルディの父親に頼まれて、会うことを希望しました。クルディは苦しむ移民・難民のシンボル。私はFAO(国連食糧農業機関)に彼の彫像をお渡ししています。単に、移住の過程で亡くなった子どものシンボルというだけではない、死んだ文明のシンボル、生き残れない者のシンボル、人類のシンボルなのです。人々が自分の国で働き、移住しなくでもいいように、緊急の対策が必要です。そして移住する権利を確保する措置も必要です。彼らを受け入れても、浜辺に残しておくのではなく、すべての国が受け取る体制をよく考えねばなりません。移民・難民を自分の国民として取り込むことが対策のカギです。

 これに関して、逸話を二つ紹介しましょう。ベルギーのザヴェンテムでは、テロリストたちはベルギー人で、ベルギーで生まれましたが、イスラム移民が住むスラム街にいました。もう1つは、私がスウェーデンに行った時のことです。私に別れの挨拶をした大臣はとても若く、スウェーデン人らしくない人相をしていました。移民とスウェーデン人の間に生まれましたが、スウェーデンの国籍を得て、大臣になったのです。

 この二つのことは、私たちに多くのことを考えさせます。同じ国民として受け入れること。移民・難民は、この地域の劇的な事件。移民を受け入れる寛大な国々に感謝したいと思います。レバノンには200万人のシリア人がいます。ヨルダンもとても寛大な国です。国王は、私たちがこの国と通過する際、編隊飛行で敬意を表することを希望されましたが、150万人以上の移民・難民を受け入れています。こうした寛大な国々に感謝します!ありがとうございます!

問:中東の主要国イラクでの3日間で、世界の有力な指導者たちが30年かかって議論してきたことを実行されました。今回の訪問の動機などについて既に説明なさいましたが、現在の不測の事態が予想されるような情勢の中で、シリアへの訪問をお考えになれますか?ご訪問を希望している他の国はどうでしょうか?

教皇:中東では、まだ決まっていませんが約束しているのはレバノンです。シリア訪問については考えていませんでした。そうした考えが浮かばなかったからです。しかし、私は、苦しんでいる、愛するシリアに心を寄せています。私が教皇になった始めの、サンピエトロ広場での午後の祈りを思い出します。ロザリオの祈り、聖体顕示がされました。そして、シリアでは、多くのイスラム教徒の方々が、地面に敷いたカーペットの上で、私たちと一緒に祈りを捧げましたー爆撃を止めるように、と。当時、ひどい爆撃がされる、と言われていたのです。私はシリアのことをいつも思っています。でも、訪問については、考えてきませんでした。

問:このところ、あなたの活動は非常に限られており、一般謁見の仕方も通常ではなくなっています。昨日、あなたはカラコシュの人々と直接にお会いになり、話をされました。どうお感じになりましたか?新型コロナの大感染以前のように、信徒たちと直接お話をされた感想は?

教皇:私は、一般謁見で信徒の方々と距離を置いていることに違和感を持っています。できるだけ早く、通常の一般謁見の形に戻したい。(コロナ感染防止のための)当局のルールに従わねばなりませんが、早く通常の形に戻れるように願っています。

 今、日曜日の正午の祈りを、サンピエトロ広場に集まった方々に向けて行うようにしていますが、皆さんには距離を置いてもらっています。小規模な謁見をしたら、との提案もありますが、コロナ感染の状況がどうなるのか明らかになるまで判断は控えようと思います。

 この数か月、ちょっとですが、投獄されたように感じていた。ですから、今回のイラク訪問は、私にとって、生気を取り戻すものでした。現地の教会に触れ、神の聖なる民に触れ、すべての人々に触れることで、生き返りました。

 司祭は奉仕するために、神の民に奉仕するために司祭になります。出世主義でも、お金のためでもありません。今朝のミサでは、(第一朗読で列王記下)の、シリア人ナアマンが預言者エリシャにハンセン病を癒やされる箇所(5章1-19b)が読まれましたーナアマンは病を癒やしでもらった後で、贈り物をしようとしましたが、エリシャはそれを断りました。聖書は続けます。エリシャの従者は、ナアマンの後を追いかけ、主人の伝言だとして、贈り物を求め、自分のものにしました。そのことを知ったエリシャは怒り、「ナアマンが持っていた病は、あなたとあなたの子孫にまとわりつくことになるだろう」と従者に言い渡しました。

 私たちー教会の男性と女性、特に私たち司祭は、私たちを救う人々である神の民にエリシャのように無償で奉仕する接し方をせず、ナアマンの従者のように、主人が助けた人の所に戻って、贈り物をもらおうとするのではないでしょうか。そして、強欲、高慢の”ハンセン病”から私たちを救う唯一の方は、神の聖なる民です。

 神がダビデに語られたのは「私はあなたを群れから連れ出した。群れを忘れないように」であり、パウロがテモテに語ったのは「信仰をもってあなたを養ったあなたの母と祖母を思い出してください」です。つまり、”特権を持った排他的な階級”、”宗教の指導者”などになろうとして、神の民の会員資格を失ってはならないのです。私たちを救い、私たちを助ける人々と接し、ミサを捧げ、説教をし、奉仕することです。それでも、彼らは私たちに、持ち物をくれるでしょう。神の民に属するものを忘れないようにしましょう。イラクで、カラコシで私は何と出会ったでしょうか?私はモスルの遺跡を心に描くことはしません、本当にです… そう、私は物事を目にしたかもしれない。書き物を読んだかもしれないが、そこには感動、感動があったのです。

 最も感動したのは、カラコシュのある母親が語った言葉でした。貧困、奉仕、苦難を本当に知っている司祭と、イスラム過激派ISISによる最初の攻撃で息子を亡くした女性が証言しました。「赦す」と言ったその女性に、私は感動しました。この母親はこう言ったのですー「私は赦します。彼らのために赦しを願います」と。

 それを聞いて、私は、コロンビア訪問の時のことを思い出しました。中部の都市、ビジャビセンシオでの集いで、沢山の人々、とりわけ女性たち、母親たち、妻たちが、わが子、わが夫を殺された経験を聞かせてくれたのです。そして彼女たちは言いましたー「赦します、赦します」と。私たちはそのような言葉を無くしていました。どのように相手を非難し、弾劾するかを知っています。自分第一、なのです。それでも、赦す…自分の敵を赦す。それが真の福音。カラコシで私の心を一番打ったのは、彼女の言葉でした。

 

問:破壊されたモスルの街をヘリコプターでご覧になった時、教会の廃墟の中でお祈りになった時の気持ちを教えてください。それと、今日は国際女性デーなので、女性についても、少し質問したいと思います。カラコシュの女性たちをとても美しい言葉で励まされましたが、イスラム教徒の女性が家族に捨てられてしまわないように、キリスト教徒との結婚をあきらめている、という現状についてどう思われますか?

教皇:モスルで、私は破壊された教会の前で立ち止まり、言葉がありませんでした。信じられない、信じられない… その教会だけでなく他の教会、破壊されたモスクさえもです。信じられないほどの、人間の残酷さ。今、そうしたことが再び始められている、と言いたくありません。でも、アフリカを見てください。そして、モスルでの教会やすべてのものが破壊された経験があるのに、憎しみ、戦いが作り出され、いわゆる”イスラム国”がまた、同じ行動を繰り返し始めています。

 これは悪い、非常に悪いことです。モスルの教会で、ある疑問が私の頭に浮かびましたー誰が破壊者たちに武器を売るのか?なぜ自分の家で武器を作らないのか?たしかに、彼らはいくつかの爆発装置を作りますが、誰が武器を売るのでしょうか?誰がその責任を負うのでしょうか?私は少なくとも銃の売り手たちに「自分たちは銃を売るのだ」と正直に言ってもらいたい。でも、彼らはそうは言いません。醜いことです。

 女性についてお話ししましょう。女性たちは男性たちよりも勇気があります。でも、いつもそうでした。しかし、今日でさえも、女性たちは屈辱を味わわされています。あなた方の一人が私に女性の価格表を見せてくれました。キリスト教徒やヤズィーディーの女性たちを買っているISISが作ったものです。私は、そんなものがあることが信じられませんでした。どのような女性か、年齢は、それに応じていくらになるか、などです… 女性たちが売られ、女性たちが奴隷にされている。ローマの中心部でさえも、人身売買の取り締まりが日常的に行われているほどです。

 (2015年から2016年にかけての)特別聖年の時、私は Opera Don Benziにある多くの家の一つを訪ねたことがあります。そこでは、身代金代わりにされた少女たちがいて、その一人は、その日のお金を稼ぐことができなかったという理由で耳を切り落とされていました。他の一人は誘拐されて、奴隷状態で、ブラチスラバから車のトランクに入れられて運ばれてきました。こうしたことが私たちの間で起きているのです。なんということ!人身売買です。ある国々、特にアフリカの一部では、行わなければならない儀式としての”切除”があります。女性は依然として奴隷にされている。私たちは、女性の尊厳のために戦い、闘わなければなりません。女性たちは歴史を前進させる存在です。これは誇張ではありません。女性は歴史を前進させるのです。今日は国際女性デーですが、誉め言葉として申し上げるわけではありません。

 奴隷も、女性の拒絶です。妻を離縁するのに、書面で行うべきか、口頭でのみ行うべきかについて議論されているところがある、ということを考えてみてください。女性には離婚の権利すらないところがあるのです!これが、今も地球上で起きていることなのです。でも、それが本当かどうか、疑わないように、ローマの中心部で起きていること、誘拐され、搾取されている少女たちがいること、を考えてください。私が思っていることを全部申し上げました。あなた方の旅が無事終了しますように願っています。そして、私のために祈ってくださるようにお願いします。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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*機上会見の概要は以下の通り(2021.3.9 バチカン放送)

 3月8日、教皇フランシスコは、イラク訪問を終え、ローマに向かう特別機の機内で、記者団の質問に答えられた。

 2年前の教皇とアル=アズハルのグランド・イマーム、アフマド・アル・タイーブ師による共同文書「世界平和のための人類の兄弟愛」に続き、今回イラク訪問で、同国のイスラム教シーア派最高権威、シスタニ師と会見したことについて、教皇は兄弟愛の歩みの重要さを強調。アブダビにおける共同文書によってかき立てられた兄弟愛への思いが、回勅「フラテッリ・トゥッティ」につながった、と述べた。

 教皇は、シスタニ師の、人間は宗教によって兄弟であるか、あるいは創造によって平等である、という言葉を思い出しつつ、「兄弟愛の中に平等がある。わたしたちは平等以下になることはできない」と述べた。「人間は皆兄弟であるということは重要であり、この人類的兄弟愛に基づき、他の宗教とも対話を進める必要がある」と語った。

 教皇は、第二バチカン公会議は諸宗教対話において大きな一歩を踏み出した、と指摘。諸宗教対話の歩みをめぐり、カトリック教義に反する、異端に由来する、リスクがある、との批判もあるが、これらの決定は常に祈りと対話、助言と熟考のうちになされるものであり、第二バチカン公会議の方針に従ったものである、と話された。

 シスタニ師との会見は、イランの宗教指導者たちへのメッセージにもなったか、との問いに、教皇は、普遍的なメッセージ、すべての人へのメッセージである、と述べた。シスタニ師について、「賢明かつ慎重で、謙虚で尊重に満ちた人」とし、同師は「一つの光であり、神の叡智は全世界に広がるために、こうした賢者たちが様々なところにいる」と語った。

 イラク訪問で特に印象づけられたこととして、教皇は、モスルで見た破壊の跡は想像もできないものであった、破壊された教会の前で立ち止まったが言葉もなかった、と述べた。その教会だけでなく、他の教会もモスクも破壊されており、人間の残酷さは信じがたいものである、と話した。

 最も心に触れたものは、「カラコシュでの一人の母親の証言や、真の貧しさや奉仕、悔い改めを知る司祭の話」と振り返り、「この婦人はISの攻撃で息子を失ったにも関わらず、赦しを語ったことに心を打たれた」と述べた。さらに、「誰がこの破壊者たちに武器を売ったのか、という思いがわいた」と述べ、「武器を売る者たちには、せめて正直に『武器を売っている』と言って欲しいが、しかし彼らはそれを言うことはない」と語った。

 教皇の今後の海外訪問をめぐる質問の中で、「アルゼンチンに行く予定はあるか」との問いに対し、教皇は、「この質問にいつもユーモアを交えて、アルゼンチンには76年いたが十分では?と答えている」と話した。そして、教皇は、2017年11月にチリ・アルゼンチン・ウルグアイ訪問の計画があったが、チリの選挙期間が重なり白紙に戻されたこと、2018年1月に再検討されたが、こちらの冬季は南半球では夏の休暇シーズンである問題からうち2国は調整がつかず、途中でペルー案が浮上し、その結果2018年1月にチリ・ペルー訪問が実現した、などの経緯を明かされた。

 教皇は、ご自分を「祖国嫌い」などと想像しないように、と話しつつ、まだアルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル南部など(行っていない国・場所)があるため、もし機会があれば訪問は可能である、と話された。

 今回の訪問は他の訪問より疲れた、と体力的な感想を述べた教皇は、84歳という年齢の波は、一気に来るのではなく、後から少しずつやってくる、と語られた。

 現在計画されている海外訪問として、教皇はハンガリーで開催の国際聖体大会への出席が検討されていることを紹介。この際、国の訪問ではなくミサだけの出席を予定しているが、「ブダペストはブラチスラバから車で2時間だ、なぜスロバキアに寄らないのか?」という風になっていく、と訪問が計画される時の様子を話された。

 中東の他国への訪問計画について、教皇は、まだ仮定であり約束でもある、と前置きした上で、レバノンの名を挙げられた。シリア訪問の可能性を問われた教皇は、「愛するシリア」へのご自身の寄り添いを表明。シリアをいつも心にかけているが、訪問を考えてはいない、と語った。

 

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2021年3月9日