(Credit: Gregorio Borgia/Pool via AP.)
(2022.8.26 カトリック・あい)
教皇が総主教と最初に会談したのは2016年。2回目をさる6月に予定していたが、ロシアのウクライナ軍事侵攻が激しさを加える中で延期された。そうした中で、総主教は、プーチン大統領の”精神的支柱”として振る舞い、軍事侵攻を正当化、戦地に向かうロシア兵を祝福するなど、和解とは程遠い姿勢を続けている。
にもかかわらず教皇が総主教との会談を望んだのは、一対一で顔を合わせ、言葉を交わせば、侵攻停止、和平実現に力を合わす道が開ける、という望みを捨てなかったからだ。
このため、教皇は、「ロシアの軍事侵攻」という言葉を避け、プーチン大統領やキリル総主教を名指しで批判することを控え、対話の扉を開けておくことに心を用いてきた。
しかし、プーチン大統領もキリル総主教も、ウクライナや欧米諸国に対する強硬姿勢を弱めるどころか、ますます激しさをまし、その一方で、このような教皇の”配慮”がウクライナ政府やウクライナ正教会をいらだたせ、両国の歩みよりどころか、敵対意識を高める結果になっている。
そのような状況にもかかわらず、身体的な障害を抱える教皇が、会議への出席だけで肉体的な負担が少ないとは言え、カザフスタン行きを決めたのは、総主教との会談を何とか実現し、和解の道に展望を開きたい、という強い思いを持ち続けていたためだ。
そうした中で、キリル総主教の会議不参加、教皇との会談を事実上、拒否したことで、両国の間に立って和平に近づけたい、とする教皇の思惑は大きく後退を余儀なくされた、といえるだろう。教皇の今後、ウクライナ問題にどのように対応されるか注目される。