当局の頭痛のタネになりそうなのは、被告弁護団を率いる、バチカン国務省の元財務担当者でローマの著名な弁護士事務所の代表、ルイージ・パネラ弁護士だ。公判初日に早くも、検察側の起訴内容の不備をついて、棄却を申し立てた。その時系列による指摘は次のようなものだ。
7月3日に、被告側弁護士はバチカンから起訴状について通知を受けた。起訴状の全文はバチカン裁判所で、その内容を確認したうえで、複写できる、とされ、弁護側が公判で使用する資料は7月23日午後零時半までに裁判所に提出することが命じられた→ 7月5日に、被告側弁護士が裁判所に出頭したが、書類の準備ができていない旨、告げられた→2日後、の7日、すべての被告側弁護士は、起訴状全文を入手できないことを理由に、弁護資料の提出期限を延長すること、27日に予定する公判開始を延期するよう申し立てた→9日、被告側弁護士は起訴状の裏付け資料、約29,000ページの覚書、銀行取引明細書、検察の面接記録などを入手。だが、一部のファイルが欠落、あるいは開くことができないことが判明した→14日、被告側弁護士は、追加の資料のコピーを入手したが、なお、いくつかの項目が不足→15日、被告側弁護士は、23日の初公判を延期するよう再度、申し立て、裁判所は、発生した手続き上の問題に対処するために、23日に予定通り初公判を開く旨、弁護側に通知→22日になっても、起訴に関連する多くの資料がまだ、弁護側に提供されなかった。
”列車をダイヤ通り走らせる”という点では、縁起の良い始まりではない。27日の初公判を受けて、裁判所は、検察側に、弁護側が求めている捜査資料のとりまとめ、提供を、8月10日までに行うよう命じた。さらに弁護側に、必要な補足資料を明示し、検察側は9月21日までにそれに応じるよう、指示した。また弁護側に、8月4日までに弁護資料を裁判所に提出するよう求めた。 バチカンの検察官と裁判官の小さな集団が、今回の裁判の大きさ、重さ、複雑さに十分に対処できるのか、時間が明らかにするだろう。
教皇フランシスコは、彼らが対処できると希望している。ベッチウ自身と同様、この裁判の結果に賭けているのだ。ベッチウは有罪判決が出れば、実刑が罰金刑になるが、教皇にとっては、思うように進まないバチカンの財政・金融改革の推進力になる。裁判が公正で透明と見なされ、有罪判決が下されれば、改革が機能する証しになる。だが、ベッチウら被告全員が無罪になったり、検察官や裁判官が素人であることを露見したりし、裁判全体が”茶番劇”とみなされれば、改革者として教皇の威信は危機に瀕する可能性がある。
何はともあれ、このことは、公判が10月まで延ばされたという事実にもかかわらず、今からそれまでの期間が、正当性が認知されるかどうかの運命の分かれ道となるかも知れない。検察当局と裁判所の少ないスタッフが、伝統的な8月の夏の休暇をあまりにも魅惑的に過ごす計画を立てない(注:裁判にとって重要な期間を無駄に過ごすことのない)よう希望したい。将来、時間外労働を余儀なくされるかも知れないからだ。
ローマ発ー27日始まったバチカンの”世紀の裁判”は、ベッチウ枢機卿ら10人と3つの企業体について、詐欺と横領の罪に問うもの。初公判には、バチカン美術館の内部に作られた法廷に30人の弁護士、うち27人か被告たちを弁護するために出廷した。彼らは全員が無報酬で、無罪を勝ち取るために全力を尽くす構えだ。
残念ながら、この裁判は、「法と秩序のバチカン」ではない。公判開始当日に、弁護団が、提訴内容の不備を理由に棄却を申し立て、審理は中断、10月5日に再開することを余儀なくされた。場合によっては、さらに延期される可能性がある。
これはバチカンにとって歴史的な裁判になる。なぜなら、バチカン市国の法律に基づく罪を犯したとして、これまでは司法の”圏外”に置かれてきた枢機卿が初めて起訴され、仲間の枢機卿たちではなく、一般信徒もかかわる司法当局によって裁かれるのも、初めてのことだからだ。これは、教皇フランシスコが4月に出されたバチカン改革関連の新たな指針の成果でもある。
検察当局による500ページに上る起訴状は、大部分が、2014年に始まるバチカン国務省によるロンドンでの4億ドルに上る不動産取引に関わる不正疑惑の解明で占められているーいかがわしいイタリアの金融業者が、法外な料金でバチカンを”搾取”するやり方でベッチウや他の被告と共謀、教皇の”参謀長”としてのベッチウのもとで、「腐敗した、略奪的な金儲けのシステム」を働かせた、としている。