「狭い心を捨てよ」教皇、使徒的勧告「愛の喜び」巡る論争の年の終わりに(CRUX評論)

(2016,12,31 CRUX ジョン・L・アレンJr   EDITOR)

  教皇フランシスコは2016年の12月31日の聖ペトロ大聖堂での夕の祈りの中で、2016年を回顧して、4月に発表した使徒的勧告「愛の喜び」をめぐって特に離婚して民法上の再婚をしたカトリック信者に対して教皇が示した姿勢について一部から批判を浴びたことに、直接触れなかったものの、キリスト教徒は「狭い心、あるいは『全部か無か』という態度にとらわれ、他の人々を自分たちの考えに従わせようとする」のを避けねばならない、と暗にこの問題を念頭に置いたと思われる警告をされた。

  この文書は、結婚から家庭生活について教会が世界の地域それぞれの現状をどのように受け止め、どのように対応していくべきかを幅広い内容の勧告をしているが、もっとも議論を呼んだのが、離婚して民法上の再婚をした人々が司祭か司教によって識別を受ける過程を経た後に再び秘跡を受けることに慎重に道を開いた箇所だった。カトリック信者の中には、これを歓迎する声がある一方で、教会の伝統的な規律と婚姻の非解消についての教えを壊すものとして嘲る者も出た。

  教皇はこの日の説教で、このような議論に一切、コメントせず、年の終わりを迎えて、慈しみと全てを包み込む心、に主眼を置いて話された。「私たちは、様々な形で分離、排除、立ち入り禁止の論理に従おうとする誘惑を受けていることを知っています。その間にも、多くの私たちの兄弟姉妹の夢や暮らしを締め出しているのです」。幼子となられたキリストから私たちは啓発を受ける、とし、「私たちは光と必要としています。光は、私たち自身が向上し限界を越えるために、過ちと誤った試みから学ぶことを助けます;何度も何度も立ち上がり、新たな歩みを始めるための力を見出す人々を謙遜と勇気をもって配慮することから、光は生まれるのです」と説いた。

  そして、神は、幼子の姿で人となられた時、社会から取るに足らない者とされている人々すべてに身近な存在となることを望まれた、と語り、「単なる理想や抽象的な存在を示すのではなく、神は、途方に暮れ、落ちぶれ、傷つき、落胆し、悲嘆にくれ、恐れおののいている人々すべての傍に居たい、と希望されているのです」「疎外され、孤独の重荷を抱えているすべての人の傍に神がおられることで、恥、傷、絶望と疎外が、神の息子たち、娘たちの暮らしにとって決定的な言葉、ではなくなるのです」と念を押された。

  さらに、「不毛な懐古や理想化され、実体のない過去の空虚な追想」ではなく、「現在も生きている記憶、神が共におられることを私たちが知っていることから、個人的な、共同体的な創造力を生む助けとなるもの」を重視することを強調された。

 

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2017年1月2日