Sr石野のバチカン放送今昔③教皇ヨハネ23世の死

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 教皇の存在は、カトリック教会だけでなく、世界的にも大きい。その活動や他の国々に及ぼす影響力を見ても納得できる。一人の教皇が亡くなり、新しい教皇が誕生することは実に世界的なレベルの出来事であるということを、わたしは、バチカン放送にいて初めて知った。

 そして、わたしたちバチカン放送関係者にとって、この期間は超多忙な時だということも。

 1963年に教皇ヨハネ23世が亡くなった時、わたしは東京にいた。教皇の死を一つのニュースとして受け止め、祈っただけで、遠いところの出来事という印象しか持たなかった。ところが、教皇の葬儀や告別式は世界的規模をもつ。世界各国から要人たちが参加する。ベルギーやスペインなど、要するに「カトリック国」と呼ばれる国々からは国王御夫妻が、その他の国々からも、国の元首級の人びとが参加する。日本はたいていバチカン駐在日本大使が代表で参加する。

 教皇がいない期間のことを”教皇空位“とよぶ。その間、枢機卿たちが行うことは教皇が発布する使徒憲章に細かく規定されている。

 まず、教皇が死去すると、世界中の枢機卿がバチカンに召集され、毎日枢機卿会議が開かれる。そこでは、教皇空位期間にしなければならないことの日程や順序などが、細かく決められる。教皇の遺体は聖ペトロ大聖堂に安置され、信徒たちの弔問を受ける。枢機卿たちはノベンディアーリ〈九日間の追悼祈祷〉をする。

 その一部始終に関するニュースが膨大な資料となってバチカン放送の中央編集局からわたしたち各言語セクションに配られる。一日にA4の用紙で何十枚という資料が届く。それを読み、適当なところを日本語に訳して短い番組にまとめ上げる。そしてそれを、特別番組として新教皇選出まで、放送し続ける。神経も労力も擦り切れそうになるほど重い仕事である。

 ( 石野澪子・いしの・みおこ・聖パウロ女子修道会修道女)

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2016年11月1日 | カテゴリー :