Sr.岡のマリアの風 ⑲「降誕祭に…、天に生まれた、Sr. Sのこと…」

  「いのち」が降りて来た日に、天に上って行った「いのち」…
降誕祭夜半ミサの少し前に、Sr. Sが、この世のいのちを返して、天のいのちへと入って行った。ちょうど、わたしたちの救いのために、「いのち」そのものである方 神の御子が、わたしたちのところの「降りて来た」時に…。

 神は人となった。人が神となるために。神は降りて来られた。人が、わたしたちが、上るために。神は「死ぬ」者となった。人が、わたしたちが、永遠に「生きる」者となるために。

 この、汲みつくせない主の降誕の神秘が、Sr. Sの「いのち」の中に輝く神と、人への奉仕にすべてを捧げた 隠れた、へりくだりの中に生き抜かれた生涯。

 高齢で、車いすの生活となり、修道服を着ることも出来なくなったときも、 Sr. Sは介護をするシスターたちを気遣い、「修道服が着たい」とは、一度も言わなかったそうだ。どんなにか、もう一度、修道服を着て、ミサにあずかりたかったことか。

 主の降誕祭には、修道院に帰りたい、と言っていた。姉妹たちと、降誕祭のミサにあずかりたい、と言っていた。わかった、12月24日の午後、迎えに来っけんね(迎えに来るからね)、一緒に修道院に帰ろうね、と約束していた。

 その、12月24日の午後 3時40分。Sr. Sは、この世のいのちから、天のいのち、もう終わることのない、苦しみもない、永遠のいのちへと 生まれた。約束通り、降誕祭のミサの前に、修道院に「帰ってきた」。

 最後の最後まで、痛みを伴う苦しみを、苦しんだ。本部、支部修道院のシスターたちが、交代で、昼夜、病院のベッドの傍らに付き添った。数分ごとに、数秒ごとに来る痛みに声を上げる。「痛い、痛い おかあさん!」。手を宙に舞わせ、もがく。付き添いのシスターたちは、手を握り、声をかけ、祈る。

 最後となった23日の晩は、Sr. Bが付き添った。昔、Sr. SがいたM島での思い出を、Sr. Bは、ず~っと語りかけていたそうだ。話している間は、Sr. Sは静かにしている。話が途切れると、うめく。だから、Sr. Bは、一晩中、語り続けたそうだ。それで、Sr. Sも、満足したのかもしれない。

 最後の晩、話し好きなSr. Bで良かったね。神さまは、心配しなくても、一番よいようにしてくださるね。
修道生活68年。享年96歳。病院から帰ってきたSr. Sに、修道服を着せながら、ずっと介護をしてきたSr. MEが話しかける。

 修道服、ほんとうは着たかったんだよね。ほら、やっと修道服を着て、イエスさまの降誕祭ミサにあずかれるよ。よかったね~
たぶん、68年間、新しいものを求めることなく、ずっと同じ修道服を着続けたのだろう。いたるところ、ほころんで、拙い手縫いで直してある。

 Sr. Sの棺は、本部修道院の、聖堂の近くの「マリアの部屋」、聖歌が「聞こえる」部屋に置かれた。その前で シスターたちが交代で祈る。

 シスターたちの間では、もう、 Sr. Sのために祈る」というより、天への「凱旋」を喜ぶ、という雰囲気がただよう。
よかったね~、今、神さまが両手を広げて受け入れ、抱きしめてくださっているよね~。マリアさま、ヨセフさまが、幼子イエスさまを抱かせて、キスさせてくださっているよね~。

 介護の必要なシスターたちが生活する「本部新館」で、シスターたちが、年のせいで、あそこが痛いとか、これが出来ない、させてもらえない、とか、ついつい愚痴ってしまうとき、Sr. Sは、「ささげんばね(捧げなければね)」「今、ささげんで、いつささげっとね(今、捧げなければ、いつ捧げるの)」と言っていた、と聞いた。

 最後まで痛みがあった、と言った。もしかしたら、Sr. Sが望んだのかもしれない。わたしたちのため、すべての人の救いのため。
そのためにこの世に降りて来たイエスさまの思いを、自分の思いとして…。神さまとSr. Sとの間の秘密。それは、誰にも分からない。

 この世に生まれる「いのち」と、この世のいのちを返し、天に生まれる「いのち」。2017年の降誕祭は、忘れられないものとなるだろう。

 神に感謝!アーメン

(2017-12-24記)(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2017年12月24日 | カテゴリー :