・30日からの教皇訪問直前の23日、イスラエルがレバノンの首都・ベイルート空爆(CRUX)

(2025.11.24 Crux    Fadi Tawil,  Kareem ChehayebAssociated Press)

 レバノン・ハレット・フレイク発―イスラエルが23日、6月以来初めてレバノンの首都を空爆し、イスラム教シーア派の政治・軍事組織ヒズボラの参謀長ハイサム・タブタバイを殺害したと発表した。レバノン保健省によると、ベイルート南郊でのこの攻撃で5人が死亡、25人が負傷している。

 教皇レオ14世は27日から就任後初の外国訪問としてトルコ、レバノンを訪問され、レバノンには30日から12月2日まで滞在される予定だが、訪問への影響が懸念される。

 ヒズボラは直ちにコメントしていないが、イスラエルとヒズボラの停戦からほぼ1年後に攻撃が再開されれば、「戦闘の激化を招く恐れがある」とこれまでに表明していた。

 一方、イスラエルのカッツ国防相は声明で「北部の住民とイスラエル国家への脅威を防ぐため、今後も断固たる行動を続ける」と述べた。

 同国政府報道官のショシュ・ベドロシアンは、攻撃前に同盟国である米国に通告したか否かについては言及せず、「イスラエルは独自に判断する」とだけ述べた。イスラエルは避難勧告を出さなかった。

 殺害されたタブタバイはヒズボラの精鋭、「ラドワン部隊」を指揮していた。イスラエル軍は、彼が「ヒズボラ部隊の大半を指揮し、イスラエルとの戦闘に備えた武力回復を進めていた」と説明。イスラエル外務省は「ヒズボラが停戦合意を繰り返し破った結果の殺害だ」と述べた。

 2016年、米国は、タブタバイをテロリストに指定し、「シリアとイエメンでヒズボラの特殊部隊を率いる軍事指導者」し、彼に関する情報に対して最高500万ドル(約5億5000万円)の報奨金をかけた。

 タブタバイは、昨年9月にイスラエルの攻撃で殺害されたイブラヒム・アキルの後継者だった。その攻撃では、長年の指導者ハッサン・ナスララを含むヒズボラの上層部の大半が抹殺されている。

 23日攻撃現場では、ヒズボラの政治評議会副議長であるマフムード・カマティが記者団に対し、「ヒズボラの指導部は対応策を検討しており、適切な決定を下すだろう」とし、「今日の南部郊外への攻撃は、レバノン全土での攻撃の激化につながる」と警告した。

 イスラエルと米国がレバノンに、ヒズボラの武装解除を迫る中、ここ数週間、イスラエルによるレバノン南部への空爆は激化している。イスラエルは、ヒズボラがレバノン南部で軍事力の再構築を図っていると主張しているが、ヒズボラの武装解除を目的とした軍部の計画を承認したレバノン政府は、こうした主張を否定。レバノンのジョセフ・アウン大統領は声明で23日の空爆を非難し、「イスラエルが停戦合意の履行を拒否している」と述べるとともに、関係国や国際機関に対して「レバノンとその国民に対する攻撃を止めるため、強力、真剣に介入する」よう求めた。

 イスラエル軍は声明で「わが国とレバノンが合意した了解事項を今も遵守している」と反論している。

 23日に攻撃を受けた繁華街ハレット・フレイク地区では煙が確認され、ソーシャルメディアで拡散された動画には、攻撃現場周辺に数十人が集まる様子が映っており、攻撃対象はアパートの4階部分とみられる。救急隊員が到着すると、群衆を解散させる銃声が聞こえた。ヒズボラのアリ・アンマル議員は「ここは明らかに民間人の住む地域で、軍事施設は一切存在しない。特に我々が立っているこの地区には」と語った。

 被災地区に住み、攻撃音を聞いたというある女性は「彼らは、私たちの武器を奪おうとしているが、武器は奪わせない。今回のイスラエルの攻撃は、私たちに、尊厳を守るさらなる決意と力を与えるだけだ」と述べた。

 また、レバノンと国連平和維持軍は、同国におけるイスラエルの継続的な攻撃を批判し、停戦合意違反だと非難している。アウン大統領は先週、「ヒズボラを含む国内の非国家主体の武装解除に尽力する」「空爆停止とレバノン領内に占拠する5つの丘の拠点からの撤退に向け、イスラエルとの交渉に入る用意がある」と表明していたが、イスラエルが応じるかは不明だ。

 

 直近のイスラエル・ヒズボラ戦争は2023年10月8日に始まった。ハマスがイスラエル南部を攻撃した直後、ヒズボラがハマスへの連帯を示す形でイスラエルへロケット弾を発射したのがきっかけとなった。イスラエルは昨年、ヒズボラを著しく弱体化させる大規模なレバノン爆撃を実施し、その後、地上侵攻を行った。世界銀行によると、これまでにレバノンで4000人以上が死亡、うち数百人が民間人だった。被害額は推定110億ドルに上る。イスラエルでは127人が死亡し、うち80人が兵士だった。

 18日には、イスラエル軍の攻撃により、南部都市シドン近郊のパレスチナ難民キャンプ「アイン・エル・ヒルウェ」で13人が死亡。停戦発効後で最も犠牲者の多い攻撃だった。イスラエル軍は「パレスチナ武装組織ハマスが所有する軍事施設を標的とした」と発表したが、ハマスは「過密状態のキャンプ内に軍事施設は存在しない」と否定している。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年11月24日

*教皇、「バチカン市国のトップは枢機卿」とする規定を削除、シスター・ペトリーニの長官就任を法令上追認

(2025.11.21  Crux    Nicole Winfield,   Associated Press)

  (バチカン市国行政長官のラファエラ・ペトリーニ修道女と握手を交わす教皇フランシスコ= 2021年12月23日、撮影:アレッサンドラ・タランティーノ/AP)

Pope tweaks a law allowing a woman to head the Vatican City State, months after a nun was appointed

  ローマ発―教皇レオ14世は19日、バチカンの法令上の技術的問題を修正された。

 前教皇のフランシスコは女性の幹部登用などバチカン改革を積極的になさったが、それを支える法令改革が後回しになっている、との関係者の指摘があった。レオ14世の今回の措置は、そうした改革の教会法など法令面から確実にすることを目指しておられることを示しているようだ。

 教皇フランシスコはバチカン市国行政の長として史上初の女性を任命されたが、法令の改革を伴っていないことから問題が生じていた。

 フランシスコは今年2月、56歳のシスター・ラファエラ・ペトリーニをバチカン市国の長に任命した。この任命は、フランシスコが12年間の教皇在位中にバチカンで女性を最高意思決定職に登用した数多くの事例の一つであり、ローマ中心部にある44ヘクタール(110エーカー)の領土の統治者に女性が任命されたのは初めてのことだった。

 だがこの任命は、シスター・ペトリーニの前任者が全員、枢機卿であったため、これまで存在しなかった技術的・法的問題を引き起こした。例えば、ペトリニは、教皇レオ14世選出の5月のコンクラーベに先立って開かれた非公式の枢機卿会議で、バチカン市国の経済状況報告を行うように招請されなかった。

 通常なら、バチカン市国行政長官は報告を行うはずだが、コンクラーベ前のこの会議(総会議と呼ばれる)は枢機卿のみが参加する場だったからだ。

 このような問題を解消するため、レオ教皇は追認の形で、「バチカン市国の行政の長は枢機卿でなければならない」とする規定を削除された。この教皇の行為は、ペトリーニの任命が「単発的な措置ではない」ことを示唆するものだった。

 教皇は「領土統治は教会階層内の交わりを特徴づけるべき奉仕と責任の形態だ」とし、「この共有責任の形態は、ますます複雑化・緊急化する統治ニーズに対応してこれまで開発されてきた特定の解決策を統合するのに適切です」と明言された。

 バチカン市国行政庁は、バチカン美術館を含む聖座の財源となる主要収入源を担当するだけでなく、この都市国家のインフラ、通信、医療も管轄。また、領土を統治する法律の承認、年間予算と決算の承認を担当している。

 カトリック教会は司祭職を男性に限定している。フランシスコ教皇の在位中にバチカンで女性が管理職に就く事例は増えたものの、女性を司祭職から排除する規則を変更する動きや兆候は一切見られなかった。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年11月22日

(評論)枢機卿の大司教”定年”、新司教選出協議への信徒参加… イタリア司教団との会見で教皇職の輪郭の一部が明らかに(CRUX)

(2025.11.21   Crux Managing Editor   Charles Collins)

 20日に聖マリア・デッリ・ンジェリ大聖堂を訪れた教皇レオ14世のアッシジ訪問は、大きなニュースになると予想されてはいなかったが、現地でのイタリア司教団との会見で、カトリック教会の新たな指導者について、いくつかの興味深い情報を提供することになった。

 

*「司教の75歳”定年”を尊重、枢機卿はさらに2年司教職継続を検討してもいい」

 まず、司教の任命―主に引退―について”小さな業務上の注意事項”を教皇は明らかにした。

 教皇は、「教区の司教職を終える際の75歳というルールを尊重するのは良いことだ。ただし枢機卿の場合に限り、さらに2年間職務を継続することを検討してもいい」と述べた。

 このルールは1966年に教皇パウロ6世によって定められ、4年後、「枢機卿が80歳を過ぎると次期教皇選挙の投票権を失う」というルールが追加された。しかし、実際には、これは「職務の終了」ではなく「辞任の提出」を定めたもので、司教が健康で職務継続を希望する場合、教皇が辞任を受け入れないことが非常に多かった。多くの大司教区には「枢機卿大司教」が置かれていたため、教皇は一つの大司教区に二人の投票権を持つ枢機卿を置きたがらず、枢機卿が80歳まで職に留まることが多かった。

 関係者が、「新教皇は枢機卿の刷新、特に77歳以上の枢機卿を職から外す準備をしているのではないか」と考えるのに、さほど冷笑的である必要はないだろう。

 また教皇は司教任命に関して、バチカン司教省と教皇大使館の連携強化も求めた。

 これは常に緊張を生む問題だった。教皇大使館は国務省の管轄下にあり、役割が分担されている場合、バチカンの各部署が優位性を主張しようとするからだ。新教皇は選出時に司教省の長を務めていたため、「共同責任の目的」に関する彼の見解は軽視できない。

*「新司教任命の協議には、信徒のより積極的な参加を促進せねばならない」

 またイタリア司教団に対し教皇は、「新たな司教選出に関する協議において、現地教会の管区長や任期満了を迎える者らの意見聴取に加え、信徒のより積極的な参加を促進せねばなりません」と述べた。

 さらに、教会は「福音の体現者であり、神の国のしるしです」と述べ、具体的に「救いのメッセージを宣べ伝え、平和を築き、人間の尊厳を促進し、対話の文化を育み、キリスト教的人間観を推進すること」が挙げた。

 

*「『シノダリティ(共働性)』が第一に、『キリストと共に歩み、全人類一致で神の国に向かうこと』を意味するのを忘れるな」

 さらに教皇は、”シノドスの道”に関する自身のビジョンについても踏み込んで説明した。”シノドスの道”は、教皇フランシスコが始めた運動だが、2028年に総括する教会会議が予定されている。

 教皇は、「まず第一に、シノダリティ(共働性)が『キリスト者たちがキリストと共に歩み、全人類と一致して神の王国へ向かうこと』を意味することを忘れてはなりません。主から与えられる交わりの恵みが、我々の人間関係と教会関係を鼓舞し形作るのです」と語った。

 実際、教皇は司教団への挨拶の冒頭で、「私たちまたイエスを見つめるよう召されています」とし、「私たちがここにいる理由は、まさに十字架にかけられ復活された御方への信仰にあります」と述べ、さらに、「『イエス・キリストを中心に置き、福音の喜びが示す道を歩み、人々がキリストとの個人的な関係を生き、福音の喜びを見出す手助けをする』ことが、これまで以上に必要です」と強調。

 「分断の激しい今の時代において、私たちの信仰の基礎、ケリグマに立ち返る必要がある」と。それは、福音の核心である、十字架につけられ、死に、死者の中から復活したキリストのことだ。そして、「これはまず私たち自身に当てはまる。キリストを救い主と認める信仰の行為から新たに始め、それが日常生活のあらゆる領域で表現されることです」 と司教たちに促された。

 そして、「共に歩むこと、すべての人と共に歩むことは、民衆の中に生き、彼らの疑問を受け入れ、苦しみを癒し、希望を分かち合う教会であることも意味する」とも語られ、聖フランチェスコの墓所があるバジリカで、彼は聖人と最初の修道士たちがここで「シノダル(共働的)な様式を完全に実践したこと」について語った。

 「実際、彼らは旅路の様々な段階を共に分かち合い、共に教皇インノケンティウス三世のもとへ赴き、共に年を重ねるごとに、教皇に提出された最初の文書を完成させ、豊かにしていきました… チェラーノのトマスの記述によれば、その文書は『主に福音書の表現から成る』もので、やがて今日、私たちが知る最初の(フランシスコ会)規則となったのです」と述べた。

 

*「デジタル世界が私たちに突きつけている課題を忘れてはならない」

 教皇は、自身の教皇就任当初から掲げてきたテーマに沿い、「デジタル世界が私たちに突きつけている課題を忘れてはならない」とも述べた。

 「司牧活動は、メディアを『利用する』だけに留まってはならず、人間的な方法でデジタル世界の人々を教育し、そこに『住み着く』必要がある。『接続の増大』の背後にある真実を見失うことなく、インターネットが真に自由と責任と兄弟愛の空間となり得るように」と、教皇は語った。

 教皇フランシスコが統治した後、いつ「本物の」教皇レオの姿が見られるのか、人々はずっと見守ってきた。多くの人は、来年1月初旬の臨時枢機卿会議がその出発点になると予想していたが、新年が始まる前に、少なくとも部分的に、その姿を現し始めている。

2025年11月21日

・教皇、異例の枢機卿会議を1月7日に召集―これからの計画を共有する機会に

Pope Leo XIV speaks with cardinals on May 10, 2025. Image ©Vatican Media

(2025.11.12  Crux  Senior Editor for News and Affairs   Christopher R. Altieri)

 フランシスコ教皇の在位期間中、こうした会合はごく稀であり、多くの枢機卿が私的に嘆いていた事実である。

 これはレオ14世(教皇)が枢機卿たちに質問する機会であると同時に、枢機卿たちが教皇と、また互いに意見を交わす場となる。就任したばかりの教皇が枢機卿たちに将来の計画を共有する機会ともなるだろう。

 フランシスコ教皇の在位期間から得られた教訓の一つは、「教皇が最も近い協力者たちに自らの考えを明かさなければ、孤立してしまう」ということだ。

 フランシスコ教皇の在位期間から得られたもう一つの教訓—しばしば失敗を通じて学ばれるもの—は、「教皇がペトロの後継者であり、ペトロの職務における、すべての先任者たちの後継者である」ということだ。

 この事実—歴史と教会が苦難を経て獲得した自己認識の核心—は、何世紀にもわたり、教皇職を内から、そして教皇職のために秩序づける決定的な力となってきた。

 それは教皇たちが「行いたいと考えたこと」「行えると考えたこと」を通じて成し遂げた事柄に、またその実行方法に、真の違いをもたらしたのである。

 フランシスコはこの事実を理論上は認めていたが、彼のペトロ座への選出状況は、その人格や性格と同様に、並外れて特異なものだった。彼の最も熱心な支持者から最も手厳しい批判者までが普遍的に認めた事実は、「フランシスコが前例(あるいは制度的前例を踏まえて数世紀かけて発展した儀礼さえも)をさほど重視しなかったこと」だ。

 これはレオ14世が困難な綱渡りを強いられることを意味する。

 レオ14世は枢機卿たちに「独自の存在」であることを示しつつ、異端的な前任教皇との連続性、そして自らが務める職位における歴代教皇全員との連続性を維持しなければならない。これは古いビジネスの格言に少し似ている。「大きく、速く、良く:このうち二つは選べる」。レオには三つが必要だ。自らであること、何らかの形でフランシスコとの連続性を保つこと、そしてペトロの座そのものの歴史との連続性を保つことである。

 つい先日、ラテラノ大聖堂、すなわちローマの大聖堂の奉献の祝日に、教皇は、教会を「建設現場」と表現し、この比喩(前任者も用いた)が「活動、創造性、献身、そして時に解決すべき困難な課題や労苦を物語ります… 司牧者たちの導きのもとでカリスマを分かち合いながら日々成長する、私たちの共同体の具体的かつ有形の努力を示しているのです」と語った。

 教会が「建設現場」であるなら、教皇は建築家ではなく「主任技師」であり、枢機卿たちはその「現場監督」である。

 教皇はまた、ラテラノ大聖堂の建設が「危機的瞬間や遅延、当初の計画からの変更を経験してきた」点にも言及した。

 フランシスコの型破りな傾向とCrux編集長のジョン・L・アレン・ジュニアの表現を借りれば、「予測不能な」指導スタイルは、教会内に巨大なエネルギーを解き放つことが多かった。しかし明確な方向性がないため、そのエネルギーはすぐに消え失せてしまった。

 来年1月の枢機卿会議は、フランシスコの後継者である新教皇が新たな時代を刻む機会となる。ただし、枢機卿たちに自らの計画を伝え、真に理解させることが、その条件だ。

 レオはすでに多くの微妙な方法で基盤を整えている。教皇職の儀式や儀礼の遵守に関してはほぼ完全に従来通りだ。彼が事務処理において規則性(礼儀正しさと言っても過言ではない)を取り戻しつつ、信徒との信頼関係を築き、時に重要な局面で、微妙な方法で自身の個性を輝かせている様子は、実に注目に値する。

 先月、ヨルダンのアブドゥラ2世国王とラニア王妃がバチカンで教皇と面会した際、王妃は教皇のレバノン訪問(11月27日~12月2日の旅程の一部で、ニカイア公会議1700周年を記念しトルコを最初に訪問予定)について尋ね、「レバノンへ行くのは安全だと思いますか?」と質問した。「ええ」と、レオは口元にほのかな笑みを浮かべて、「行くつもりです」と答えた。

 「教皇の継続性」という概念、つまり、単に歴代教皇間の継承ではなく、何世紀にもわたる継続性は、フランシスコ教皇の在位中に影を潜めていたが、レオはすでにその回復に着手している。少なくとも、その回復のための条件を整え始めている。

 レオを選出したコンクラーべは、「前任者の政策」に対する信任投票というよりも、「安定かつ秩序ある統治への回帰の必要性」に対する信任投票であったという、非常に現実的で明白な意味合いを持つ。これが教皇レオ14世が自らの計画を提示し、自らの意向を示す必要がある、端的に言えば「何をなすべきかについての自身の考えを表明する」必要がある主要な理由の一つだ。

 教皇は既に枢機卿たちに、なぜレオを教皇名に選んだかを説明している。

 「理由はいくつかありますが」と、今年5月10日、新シノドスホールに集まった枢機卿たちに語った。「主に、レオ13世教皇が歴史的な回勅『レラム・ノヴァルム』で、最初の産業革命という文脈において社会問題に取り組んだからです」。そして、こう述べた。「現代において、教会は、新たな産業革命と人工知能分野の発展が人間の尊厳、正義、労働の擁護に新たな課題を突きつける中、その社会教説の宝庫をすべての人々に提供しています」。

 枢機卿たちは互いをより深く知る機会を得られることを確かに喜んでいるが、レオが何を計画しているのかについてさらに語ることを切望している。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2025年11月13日

(評論)教皇レオ14世が歩んだ6か月ー結束し、開かれた教会、憎しみで傷ついた世界への平和のしるし(Vatican News )

Pope Leo XIV greets pilgrims gathered in St Peter's Square during his first appearance at the Loggia delle Benedizioni on 8 May 2025Pope Leo XIV greets pilgrims gathered in St Peter’s Square during his first appearance at the Loggia delle Benedizioni on 8 May 2025 

(2025.11.8  Vatican News   Andrea Tornielli)

 新教皇の教導には一貫したテーマがある。それは宣教的な性質を持つキリスト教共同体のモデルを提示していることだ。そこでは交わりが実践され、それゆえ最も弱い立場の人々から始め、すべての人々に奉仕できる。対話と平和を育むことに尽力する共同体である。

 権力者に「寄り添う」こともなく、宣教を宗教的マーケティングと混同することもない教会。しかし、それは「他者」の光を映すゆえに、酵母となることを知っている。

 ローマの新司教—初のアメリカ人、初のアウグスチノ会出身教皇—が聖ペトロ大聖堂の中央ロッジアに姿を現した5月8日の午後から、半年が経過した。

 その教導には一貫したテーマが流れている:教会は一致と交わりのしるしであり、戦争と憎しみと暴力に満ちた和解を必要とする世界において、酵母となる存在である。前任者との連続性と断絶性(どの教皇在位期間にも見られる自然な特徴)の分析を超えて、この教導職におけるいくつかの重要な瞬間を再考する価値がある。そこでは、信仰の本質を宣言することが、愛の証しや、最も弱い立場にある人々への具体的な献身、そしてより公正な社会の構築への取り組みから決して切り離されないことが示されている。

 選出直後の挨拶で発した最初の言葉から:

 「皆さん、平和あれ!- これは『復活されたキリスト』の平和です。武装せず、武装解除させる平和。謙虚で忍耐強い平和。私たちすべてを無条件に愛する神、神から来る平和です…] 私たちは共に、宣教する教会、橋を架け、対話を築き、常に受け入れに開かれた教会となる方法を模索しなければなりません」

 2025年5月18日の教皇就任式における説教で彼は語った。教会は一致した存在であり、「一致と交わりのしるしとなり、和解した世界への酵母となる」と。

 「この私たちの時代には、憎しみ、暴力、偏見、差異への恐怖、そして地球の資源を搾取し最も貧しい人々を疎外する経済パラダイムによって引き起こされた不和や傷跡が、依然としてあまりにも多く見受けられます。私たちとしては、世界の中にあって一致と交わりと兄弟愛の小さな酵母でありたいと願っています。」

*宣教の核心:キリストが残り続けるために自らを消すこと

 

 選出の翌日、システィーナ礼拝堂で枢機卿たちと共に初めて捧げたミサにおいて、教皇レオ14世は「権威の務めを担う教会内のすべての人々にとって不可欠な責務。それはキリストが留まるために自ら退くこと、キリストが知られ栄光を受けるために自らを小さくすること(ヨハネ3:30参照)、すべての人々がキリストを知り愛する機会を得るために、自らを尽くすことです」と回想した。

 5月18日の説教で教皇は、イエスがペトロに託した使命の二つの側面として「愛と一致」を挙げ、この使命が可能なのはペトロ自身の生涯が「失敗と否認の時でさえ、神の無限で無条件の愛に触れていたからです」と説明した。なぜなら、教皇が8月2日の夕方にトル・ヴェルガータに集まった若者たちに語ったように、「私たちの存在は私たちの決断から生まれたのではなく、私たちを望んだ愛から生まれた」からだ。

 この愛は私たちに先立つものであると、教皇は8月2日の一般謁見における講話で、最後の晩餐でユダがイエスからパンの切れ端を受け取った話に触れながら説明した。「イエスは『愛』を前に進め、その深みへと導かれる […] 真の赦しは悔い改めを待つのではなく、受け入れられる前から、自由な贈り物として自らを差し出すことを、イエスはご存知です」。

 教会の使命は、この『愛』を証しすることだ。そのために、教皇レオは2025年6月7日のペンテコステ前夜祭でこう説明した。「私たちには強力な後援者も、世俗的な妥協も、感情に訴える戦略も不要だ。福音宣教は、常に神の業です。時にそれが私たちを通して行われるなら、それは福音宣教が可能にする絆のおかげなのです」と。 教会は、世との利益交換も、感情や過剰な自己主張に基づくマーケティング戦略も必要としない。福音宣教は「神の働き」だ。

 宣教の根幹は多様性の中の統一、すなわち「生きた交わり」だ。それは、2025年10月5日の宣教世界聖年において彼が強調したように、「力や非凡な手段によって押し付けない」信仰だ。

  「実際、からし種ほどの信仰さえあれば、想像を絶する業を成し遂げられる(ルカ福音書17章6節参照)。なぜならそこには、救いの道を開く神の愛の力が宿っているからです。この救いは、私たちが責任を担い、福音の思いやりをもって他者の苦しみに寄り添うときに実現するのです」。

 教皇レオ14世が6月29日の説教で示した信仰は、「マンネリ化、日常化、内的な刷新や新たな課題への対応意欲を伴わない古い牧会計画の継続傾向」に注意を払い、 そしてそれは「変化や新たな出来事、出会いや共同体生活における具体的な状況への開放性、そして信仰の兄弟姉妹が提起する問題や困難に応えるため、福音宣教への新たなアプローチを検討する用意」へと導く可能性を秘めている。

 それは他者を裁かず、自らを「完璧」と感じさせることのない信仰だ 。なぜなら、8月24日のアンジェラスで説明されたように、イエスは「信者の安心感」を問うからだ:

  「イエスは、言葉で信仰を告白すること、聖体祭儀を祝って主と共に食卓を囲むこと、キリスト教教義を深く理解することだけでは不十分だ、と告げています。私たちの信仰が本物となるのは、それが人生全体を包み込み、決断の基準となり、正しいことを行うことに献身する男女へと私たちを変え、イエスのように愛ゆえにリスクを冒す者とする時なのです」。

 教皇は9月3日の一般謁見で、キリスト教徒は十字架上の神―「勝利の英雄としてではなく、愛を乞う者として現れる神」の証人である、と語った。

  「彼は自らを宣言せず、非難せず、弁護もしない。ただ、自らには決して与えられないものを、謙虚に求めるのです。[…]これがキリスト教の逆説です:神は自ら為すことでなく、自ら為されることによって救う。力で悪を打ち負かすのではなく、愛の弱さを最後まで受け入れることによって救う。十字架上でイエスは、人間は力によってではなく、たとえ敵対者であっても他者への信頼に満ちた開かれた姿勢によって自らを現すのだと教えています」。

 

 

*平和への証し

 

 教皇に選出された日の最初の挨拶で上記のように述べた後、レオ14世は平和について頻繁に語り続け、キリスト教徒に具体的な証しを呼びかけている。「非暴力という方法と姿勢が、私たちの決断、関係性、行動を特徴づけるべきです」と、彼は5月30日に「平和の競技場」に関連する運動団体や協会に向けて語った。2025年6月17日のイタリア司教団との会談では、次のような希望を表明した。「すべての教区が、非暴力教育の道筋、地域紛争における調停の取り組み、他者への恐怖を出会いの機会へと変える受容プロジェクトを推進することを願います」。

 同時に、ペトロの後継者は再軍備に繰り返し警鐘を鳴らしてきた。6月18日の一般謁見終了時にもこう述べた:「戦争に決して慣れるべきではありません!それよりも、強力で洗練された兵器に頼ろうとする誘惑を拒絶しなければならないのです」。

 教皇レオ14世は、予防攻撃や新たな戦争の火種として利用される偽ニュースについて言及した。6月26日、東方教会支援会議(ROACO)の参加者を迎えた際にも同様の主張がなされている:

 「私たち人間は皆、人間としての責務により、これらの紛争の原因を検証し、真実のものを特定し、解決を試みるよう求められています。しかし同時に、感情操作や修辞に起因する虚偽の紛争を拒絶し、それらを明るみに出すためにあらゆる努力を払わねばなりません。人々は偽ニュースのために命を落とすべきではありません」。

 この演説には、現代の多くの人々が忘れ去った現実主義と歴史感覚に彩られた次の記述も存在する:

 「何世紀にもわたる歴史を経て、戦争行為が平和をもたらし、それを実行する者に跳ね返らないと、どうして信じられますか?[…] 軍事優位が問題を解決するどころか、より大きな憎悪と復讐心を煽るだけだというのに、武器増強の宣伝で世界の民衆の平和への願いを裏切り続けられるでしょうか?人々は、死の商人たちの懐に入る巨額の金に気づき始めています。新たな病院や学校を建設できるはずの資金が、既存の施設を破壊するために使われているのです!」

 ローマ司教が求める軍縮は、国家の指導者たちだけに向けられたものではない—富を「人間に対して向け、人々を破壊する武器へと変え、労働者を辱める独占へと変える」ことのないよう求めている(9月21日、バチカン聖アンナ教会での説教)—私たち一人ひとりにも向けられている。なぜなら、イエスが「手を解け」と招くとき、それはまず「心を解け」という招きから始まるからだ。2025年10月11日の平和のためのマリアの徹夜祭 の終わりに教皇レオが述べたように:

  「剣を置きなさい」とは、この世の権力者たち、民衆の運命を導く者たちに向けたメッセージだ:「勇気を持って武装解除せよ!同時に、いかなる思想、信仰、政策も殺戮を正当化しないことを私たち一人ひとりが認識するよう招く呼びかけでもあります。まず自らの心の武装を解かねばなりません。なぜなら、内に平和を持たないなら、他者に与えることはできないからです」。

 これは「異なる視点を取り入れ、より低い立場から世界を見るよう―権力者ではなく、苦しむ者の目を通して」という招きだ。

 10月10日、教皇レオは「教会援助会」への演説で、教皇フランシスコの言葉を引用し「宗教の自由、思想の自由、表現の自由、他者の見解への尊重なくして平和はありえない」と説明した。

*貧しい人々への愛

 

 10月9日に発表された最初の使徒的勧告『Dilexi te(あなたを愛している)』で、教皇レオは、苦しむ人々を助けることは「単なる人間の親切心の問題ではなく、啓示。社会の底辺に置かれ無力な人たちとの接触は、歴史の主と出会う根本的な道です」と説明した。貧しい人々への愛は「任意のものではなく、真の礼拝の要求です」と。

 「慈善活動を、あたかも少数者の執着ごとのように軽んじ、嘲笑する人たちがいる事実は、私を確信させます—福音書を改めて読み直す必要があることを。さもなければ、この世の知恵と置き換えてしまう危険があるからです」。

 そして「神の民のすべての成員は、たとえ愚か者や素朴者と思われるリスクを冒しても、こうした構造的問題を指摘し告発するために、様々な方法で声を上げる義務があります」。

 教皇レオは5月28日の講話で説明した。「礼拝の実践が、自動的に思いやりに繋がるわけではありません。他者への思いやりは、宗教的問題以前に、人間性の問題なのです!信者である以前に、私たちは人間であるよう召されているのです」。

 2025年6月10日の教皇大使たちとの会見で、教皇はこう語った:

  「あなたがたが駐在する国々において、教会が愛ゆえに常にあらゆることに備えていること、教会が常に末席の者、貧しい者の側に立つこと、そして神を信じる神聖不可侵の権利を常に擁護することを、すべての人々が知るよう、私はあなたがたに期待しています…  無実の人、現代の十字架にかけられた人たちの苦しみの前では、愛のみが信仰に値するのです…」。

 そして7月13日、教皇の別荘、カステル・ガンドルフォから、教皇は善きサマリア人の模範に従い、信徒たちに「通り過ぎる」のではなく、 「罪と苦しみと貧困に陥ったすべての人々」や「暴虐的な政治体制、貧困に追い込む経済、夢と命そのものを奪う戦争の犠牲となり、剥ぎ取られ、奪われ、略奪されたすべての人々」によって、私たちの心が「刺し貫かれる」ように、と訴えた。

 8月10日の正午の祈りでも述べたように、彼は慈悲の業を「私たちの存在の宝を託せる最も安全で有益な銀行です…  家族、教会、学校、職場において、愛をもって行動する機会を逃さないよう努めましょう」と表現した。

 9月20日の正義の聖年において、教皇は「生活条件があまりにも不公平で非人道的であり、容認できないほどであるために「正義を渇望し飢えている」多くの国々と人々の現実」から目を背けてはならない、と訴え、「正義なき国家は、国家ではありません」と全ての人々に言明された。

 2025年10月23日、大衆運動に向けて語ったペトロの後継者は、今日「排除こそが、社会的不公正の新たな姿です」と指摘した。「人口の1%という『ごく少数』と圧倒的多数との格差は劇的に拡大しています…  ペルーの司教として、私は『人々が悲しみ、喜び、闘い、希望を抱く中で共に歩む教会』を体験できたことを喜んでいます。これは、剥奪され、奪われ、略奪され、貧困に陥った人々の悲劇を真剣に受け止めない、蔓延する構造的無関心の解毒剤なのです」。

*移民たち、私たちの兄弟姉妹

 

 教皇レオ14世は、10月5日の宣教世界と移民の聖年の説教で、「数多くの移民の兄弟姉妹たちの物語… 暴力からの逃避行の悲劇、それに伴う苦しみ、成功しないかもしれないという恐怖、海岸線沿いの危険な旅路、悲しみと絶望の叫び。兄弟姉妹よ、安全な港を望みながら漂うあの船々、岸辺にたどり着こうと苦悩と希望に満ちたあの眼差しが、冷たい無関心や差別の烙印に遭遇してはなりません!」。

 また10月23日の大衆運動への演説では、安全保障について次のように述べた:

  「国家には国境を守る権利と義務がありますが、それは避難所を提供する道徳的義務と均衡を保たねばなりません。脆弱な移民への虐待は、国家主権の正当な行使ではなく、国家が犯す、あるいは容認する重大な犯罪です。これらの『望まざる者』を人間ではなくゴミのように扱う非人道的な措置がますます採用され、政治的に称賛さえされています。それとは対照的に、キリスト教は、『愛なる神』を指し示します。その神は、私たちを創造し、兄弟姉妹として生きるよう招いておられます」。

 

 

*創造への配慮への回心

 

 教皇は前任者フランシスコ教皇の環境回勅『ラウダート・シ』の足跡を辿り、創造への配慮について繰り返し語ってきた。7月9日に「創造のためのミサ」を捧げた際も同様だった:

  「ミサの冒頭で、私たちは回心、すなわち自らの回心を祈ります。この祈りに付け加えたいのは、教会内外を問わず、私たちの共通の家をケアする緊急の必要性をまだ認識していない多くの人々の回心を祈る、ということです。世界中で、多くの場所や国々でほぼ毎日のように起きている数々の自然災害も、一部は人間の過剰な行為と私たちの生活様式の結果です。私たち自身がその回心を経験しているかどうか問わねばなりません。どれほどそれが必要なことでしょう!」

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年11月9日

(評論)就任から6か月目に入り、教皇レオ14世は足場を固め、自らの道とスタイルを歩み始めている(Crux,AP)

(2025.11.7  Crux   Nicole WinfieldAssociated Press)

ローマ発―先月、バチカンを訪れたチャールズ英国王から、大勢のテレビカメラに囲まれた感想を尋ねられた教皇レオ14世は、淡々とこう答えた—「慣れるものです」。

 チャールズ国王はパパラッチ(スクープ写真を狙って有名人を追いかけまわすフリーカメラマン)に慣れた身だから、その境遇と自分を合わせたものだったのかも知れないが、この教皇のそっけない返事は、バチカン関係者が教皇に就いて最近注目していたことを裏付けるものにもなった。つまり、教皇職に慣れ、就任から半年を経て足場を固めつつある—ということだ。

 5月の衝撃的な教皇選出と夏場の急激な学習を経験した後、教皇の優先事項が明確になりつつある。そして、前任者である教皇フランシスコとの共通点と相違点が浮き彫りになっている。

 11月8日に教皇就任6ヶ月を迎えるにあたり、初のアメリカ人教皇のスタイル、本質、そしてカトリック教会をどこへ導くのかについて、これまでに明らかになった点をまとめてみよう。

*フランシスコ教皇との社会正義問題における継続性

 

 教皇は先月、就任後初めての使徒的勧告である貧しい人々に照準を合わせた『Dilexi te(私はあなたを愛している)』を発表し、フランシスコ教皇とこの問題で完全に足並みを揃えた。フランシスコは亡くなる前に、この文書の執筆を始めており、レオが引き継いで完成させた。

 その中でレオは、富裕層が「快適さと贅沢のバブル」の中で暮らす一方で、貧しい人々が社会の周縁で苦しんでいる現状を批判。貧困の構造的要因を解決する新たな取り組みを、強く訴えた。

 レオはまたフランシスコの環境保護の遺産を受け継ぎ、新たな祈りの形式「被造物の保護」を用いた初のミサを主宰した。ローマ北部のバチカン所有地を大規模太陽光発電所に変える、というフランシスコの野心的な計画を承認し、バチカン市国を「世界初のカーボンニュートラル国」とする可能性を開いた。

 レオがフランシスコに最も似ていたのは、10月23日にバチカンで先住民族グループや大衆運動の代表者と会談した際だろう。彼らはアルゼンチン出身のイエズス会士であるフランシスコ教皇が支援してきた人々だ。 フランシスコ教皇は社会の周縁に生きる人々を最優先し、「土地(tierra)、住居(techo)、仕事(trabajo)」という人間の基本的要件を求める彼らに寄り添うよう、教会を促していた。

 レオは謁見でフランシスコの言葉を繰り返しつつ、それに独自の解釈を加え、自身の名付け親である教皇レオ13世が産業革命の黎明期に労働者権利問題に取り組んだ事実を指摘。「フランシスコの言葉に呼応して今日私は言う:土地、住居、労働は神聖な権利である。それらを勝ち取る戦いは価値あるものだ。そして私はこう宣言したい—『私はここにいる、あなた方と共にいる!』と」と語った。

 両教皇の最高顧問であるミカエル・チェルニー枢機卿は、レオがフランシスコの政策を継承し、そのプロセスを推進している、と述べた。枢機卿は記者のインタビューで、政治の世界では「政権交代が断絶を示す場合もあるが、同じことが教皇交代にもあると考えるのは誤りです… 様式の差異は人物にあり、教えにあるのではありません」と強調している。

*レオの保守派との蜜月関係は続く

 

様式面では、レオが古風な教皇の在り方を好んでいることが明らかだ。最も日常的な場面を除き、赤いモッツェッタ(法衣の上着)と刺繍の施されたストールを着用している。準備された原稿に忠実に従い、典礼の遵守に規律を示し、フランシスコが時折見せたような機知に富んだ即興発言は控えている。

 この姿勢は、フランシスコの非公式な態度に反発していた多くのカトリック保守派の心を掴んだ。レオはフランシスコが福音に基づいて説いた社会正義の多くの要点を踏襲しているが、そのスタイルと身振りがこれまで概ね保守派の人々の支持を得ている。

 「私が耳にし、感じ取っているのは、彼が教皇職にもたらした成熟、規律、伝統に対する真の喜びです」と語るのは、保守派団体「Cardinal Newman Society」の創設者兼代表パトリック・ライリー氏だ。同団体は米国のカトリック系大学を伝統的教義の遵守度で評価している。

*旧ラテン典礼ミサが聖ペトロ大聖堂で”復活”

 

 多くの(保守派の)人々は、レオが聖ペトロ大聖堂の後部祭壇で伝統的なラテン語ミサを許可した功績を認めている。そのミサの司式者は、米国のカトリック右派の象徴的存在であるレイモンド・バーク枢機卿だった。

 フランシスコは2021年、この旧ラテン典礼によるミサを厳しく制限したが、バーク枢機卿は、それが教区内の分裂の原因となっている、としている。保守派・伝統主義者のフランシスコへの反発を煽り、古くからの典礼論争に新たな膠着状態をもたらした、とされる。だがレオは、伝統主義者との対話に意欲を示しており、緊張緩和の可能性を示唆している。

 「私たちは教皇を愛し、彼のために祈っています」と、伝統主義者の年次巡礼中にラテン語ミサに参加したクリスティーナ・ティニョは語った。彼女と共にいたのは夫と、自宅で教育を受けている娘。娘も母親に倣い、頭にレースのベールをまとっていた。

*新たな道を切り開く意思

 

 フランシスコとの継続性を保ちつつも、レオは独自の道を歩み、必要に応じてフランシスコの路線を”正す”ことさえある。

 方針転換の一例として、レオはバチカン銀行に財務権限を集中させたフランシスコの2022年法を廃止した。そして、新たな法令を発布し、聖座の投資委員会が財務的に合理的と判断した場合、バチカン以外の銀行を利用することを認めた。

 レオはまた、聖職者による性的虐待の被害者のグループとも面会した。面会後、グループ代表が語ったところによると、バチカンに対し世界的な「ゼロトレランス」(虐待者を絶対に容認しない政策)の採用を求ていることに対し、教皇は被害者たちとの対話を行うことを約束した。フランシスコは個々の虐待被害者とは定期的に面会していたが、擁護団体や活動家グループとは距離を置いていた。

 

*新たな習慣が中絶問題への言及を誘発

 

就任半年を迎え、レオの個人的な習慣も”仕事中毒の引きこもり型”だったフランシスコとは一線を画しつつある。

 レオは月曜午後と火曜をカステル・ガンドルフォの教皇別荘で過ごす習慣を身につけた。ここでは休息を取り、敷地内のテニスコートで試合も楽しめる(秘書と対戦する)。

 メディアの要望に応え、毎週火曜夕方、外に集まる記者団を前に数問の質問に応じることを承諾。ガザ停戦から故郷シカゴでの移民取締り一斉摘発まで、あらゆる事柄について質問に応じている。

 記者団とのやり取りで、当初は控えめな回答が目立った。イタリアの政治風刺芸人マウリツィオ・クロッツァはこれを鋭く揶揄するテレビコントで取り上げ、「レオ」という名は「影すら恐れるような教皇には似つかわしくないのでは」と皮肉った。

 しかし時が経つにつれ、レオは次第に調子を取り戻しているようだ。最近の火曜夜の質疑応答で、米国の堕胎論争に言及し、堕胎反対派に対し「生命尊重」の真の意味を問いただしたのに対しては、保守派の間に一時的な警戒感が広がった。

 より正式な場では、ヨルダンのラニア王妃が「レバノンへの訪問は、本当に安全だと思いますか」と聞いた際にも、彼は大胆な対応を見せた。レオは今月末、初の外遊でレバノンとトルコを訪問する予定だ。

 公式の謁見後、レオの書斎で記念写真撮影中だった。ラニアとレオのやり取りは、バチカンのカメラのホットマイクに拾われていた。「まあ、行くつもりです」とレオは淡々と答え、カメラに向かって微笑んだ。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。
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2025年11月8日

(解説)英国王が500年ぶりに教皇と共に祈りを捧げ、カトリック教会と英国国教会の親密さが確認された(Vatican News)

Father Martin Browne with King Charles III and Queen Camilla Father Martin Browne with King Charles III and Queen Camilla   (@Vatican Media)

*国王は、様々な行事を通して、カトリック教会との親密な関係を可視化することを希望された

 

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年10月24日

・「貧しい人たちをどのように愛し、共に働くかが問われている」使徒的勧告『Dilexi te』でル・メトー師語る

Frédéric-Marie Le Méhauté, OFM, presents ‘Dilexi te’ in the Holy See Press Office on 9 October 2025.

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Q:この文書の主な見どころは?

A:貧しい人々への献身に関する神学的分析が非常に重要だと思う。私たちは時に、こう考えます―「そうだ。教会に行き、イエスを敬い、ミサに参列し、善良な人間であるためには貧しい者を助ける必要がある」と。つまり、貧しい者への献身を「信仰の結果」と見なすのです。

レオ14世教皇はここで、「貧しい者への献身、貧しい者と共に生き、貧しい者のように生きることこそが、啓示を受け取る場所であり、福音を受け取る場所だ」と教えています。貧しい者との出会いを通してでなければ、それを成し遂げる場所は他にありません。私にとってこれは非常に、非常に重要です。私は、「キリスト教徒だから、貧しい者を気にかける」のではない。まず第一に貧しい者を気にかけ、それから啓示を受ける。そうして初めて真の神が誰であるかを知るのです。

Q:フランシスコ会士であるあなた自身、貧しさの誓いを立てておられる。誓約した、あるいは自ら選んだ貧しさとは、多くの人が自らの意思に反して日々苦しむ貧しさとは、どう違うのか?

A:若い修道士だった頃、非常に重要な経験をしました。ホームレスの人々と働くグループに参加し、「私は修道者です」と自己紹介した。その後、一人の男性が近づいてきて、「それが何を意味するのですか」と尋ねました。私が「貞潔、従順、貧しさの誓いを立てた者を意味します」と説明すると、彼は私の首筋をつかんで言ったのです。「貧しさについて説教するな。お前には何も分かっていない」と。

私にとってこれは非常に強い体験であり、今もなお、私の人生と神学研究の中で鮮明に生き続けています。私は貧しい人々と共に働くが、彼らの生活の実態は知らない。橋の下で眠ることの現実も、空腹の現実も知らない。本当に知らないのです。だから私は彼らの声に耳を傾けなければならない。彼らが自らの人生を、そして福音書をどう読んでいるかを私に説明できるように。私にとって『選ばれた』貧しさとは別のものです。それは力を持たない人々に、空っぽの手で近づく方法です。

Q:あなたは先ほど、「キリスト教徒はある意味で、貧しい者のように生きるよう召されている」と言われましたが、どういう意味でしょう、どうやって実践すればいいのでしょうか?

A:私にとってそれは一種の方向性であり、人生における「落ち着きのなさ」とも言えます。自分自身の関係や金銭などに閉じこもらないことを意味します。誰かが「壊れたガラスを、部屋に置いておくべきだ」と勧めました。「外で眠り、生きている人々がいることを忘れないためだ」と。この「落ち着きのなさ」を持って生きれば、人と出会い、共に歩み、導かれる機会を得られると思います。

貧しい人々に教えに行くこともできます。おそらく私たちは何かを教えることができる。福音を理解する手助けをすることなどです。同時に、「自分が全てを知っているわけではない」ことを自覚して、彼らのもとへ行く必要があります。私たちが知らないことを彼らに尋ねなければなりません。彼らが人生をどう見ているか、福音をどう捉えているかを説明してもらうのです。

 

 

Q:最後に、この使徒的勧告から人々が何を持ち帰ることを希望しますか?

A:「貧しい者を恐れるな。彼らは真の福音を与えてくれる」ということです。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年10月10日

(『Dilexi te』解説)ペテロは「貧しい者こそが福音の核心」であることを私たちに思い起こさせる(Vatican News )

Pope Leo XIV shares festive lunch with the poor of the Diocese of Albano LazialePope Leo XIV shares festive lunch with the poor of the Diocese of Albano Laziale  (ANSA)Editorial

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年10月10日

・Cruxの教皇単独会見ー”シノドスの道”で示された前任者の遺産に対するレオ14世教皇の三段階アプローチ

(2025.10.3  カトリック・あい)

 教皇レオ14世がCruxと行った単独インタビューは『León XIV: ciudadano del mundo, misionero del siglo XXI』(「レオ14世:世界の市民、21世紀の宣教師」の意)にまとめて、ペンギン・ペルー社からまず、スペイン語版が刊行されたが、その中で、前任者のフランシスコ教皇が始められたシノダリティ(共働性)、すなわち”シノドスの道”の歩みについての言及が注目されている。以下にCruxの John L. Allen Jr.編集長の記事を紹介する。

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  英語など各国語版も刊行予定のこの本のシノダリティ(共働性)に関する考察は、注意深く読むと、教皇レオ14世が敬愛しつつも不可避的に論争を呼ぶ前任者、教皇フランシスコの遺産を扱う際に、三つの明確な側面からアプローチする傾向が浮かび上がる。

 

*「シノダリティ」は「祈りと省察を通じて、教会のあらゆる構成員が発言権と役割を持つこと」

 

 第一に、教皇レオ14世は、前任者の「シノダリティ(共働性)の理念の本質に、揺るぎない忠誠を誓っている。

 教皇は「シノダリティ(共働性)とは、『態度』であり、『開放性』であり、『(互いを)理解しようとする意志』です。現代の教会においてこれは、『祈りと省察を通じて、教会のあらゆる構成員が発言権と役割を持つこと』を意味します」とし、「この姿勢は、現代世界に多くのことを教えることができるでしょう… 先ほど分極化についてお話ししましたが、シノダリティ(共働性)は一種の”解毒剤”、現代世界の重大な課題に取り組む方法だ、と考えます」と語った。

 一方で「司教や司祭の中には『シノダリティ(共働性)共同体性によって権威を奪われる』と感じる者もいるかもしれません…しかし、シノダリティ(共働性)の本質はそこではない。おそらく、権威に対する認識の焦点がずれていたり、誤っていたりするのでしょう」とも指摘。

 同時に、おそらく「アルゼンチン出身の教皇に由来すると見なされるもの」に対して一種の拒否反応を示すカトリック信徒たちを念頭に置きつつ、教皇は、シノダリティ(共働性)という概念自体が、深い根を持つことを穏やかに示唆している。

 そしては、「この”シノドスの道”は、(一昨年、昨年の二回にわたった)世界代表司教会議(シノドス)総会よりずっと前から始まっています。少なくとも中南米では… 私は先に経験したことを話しました」と語った。このインタビューの初めの方でラテンアメリカに参加と対話の精神が育まれたことについて語った箇所を指している。

 

*第二バチカン公会議が先駆けた”シノドスの道”の歩み

 

 さらに、「シノダリティは教会に大きな機会をもたらし、教会が世界と関わる機会を提供すると思います… 第二バチカン公会議の時代から、これは重要なことであり、まだやるべきことは多くあります」とし、現代脚光を浴びている”シノドスの道”の歩みが、実は第二バチカン公会議によって先駆けられたもの、ということを示唆している。

 フランシスコ教皇個人に対する評価はさておき、彼が体現した理念の多くは、時に特異な形で表現されたとはいえ、実際には、教会内に深く広く根ざした、本質的に非イデオロギー的な潮流に由来している、という主張だ。

 

*「霊における対話」の”円卓会議”に固執しない「柔軟な対応」が必要

 

 また、教皇は、シノダリティ(共働性)の理念を保持することが、必ずしもフランシスコ自身が構築した全ての構造・手続き・制度を継承することを意味しない、とほのめかしてもいる。

 「対話と相互尊重を実現する方法は数多く存在します」と教皇は語った。つまり、昨年のシノドス総会で用いられた手法、例えば「霊における対話」を促進するとされる”悪名高い”円卓会議(一部の参加者は解放感を得たが、他の参加者は「空虚で焦点が定まらない」と批判している)に固執する必要はない、という意味だ。

 教皇が示唆したのは、シノダリティ(共働性)の精神を保持しつつ、その実現方法については「柔軟に対応すべきだ」という点である。「人々を集め、その関係性や相互作用を理解し、出会いの機会を創出することこそが、教会として生きる上での重要な側面だ」と語った。

 

*「三段階アプローチ」は、「本質への忠誠」「深い教会的ルーツへの注目」「方法論における柔軟性の保持」

 

 こうして前任者に対するレオ教皇の「三段階アプローチ」、すなわち「本質への忠誠」「過度な個人崇拝を避けるための深い教会的ルーツへの注目」、そして「方法論における柔軟性の保持」が、浮き彫りとなる。

 これは、前任者が「先見の明を持つ人物であると同時に、批判の的でもあった」ことを理解している教皇にふさわしい、均衡のとれた慎重な姿勢だ。フランシスコの足跡を永続させるには、押し進めるだけでなく、”剪定”も必要ではないか、という洞察である。これはレオの「思考に対する鋭い洞察」であり、「Ciudadano del mundo, misionero del siglo XXI」から得られる収穫に向けた初穂に過ぎない。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年10月3日

・Cruxの教皇単独会見ー「性的少数者カトリック信徒」問題で受け入れ姿勢を引き継ぐ一方で、「男女の結婚に基ずく伝統的家庭観」堅持表明

 (2025.9.18  Crux  Senior Correspondent  Elise Ann Allen) 

  教皇レオ14世教皇は7月30日、バチカン市国サンタ・ウッフィツィオ宮殿の自室で、Crux 上級特派員 Elise Ann Allenとの独占インタビューに応じ、LGBTQ(性的少数者)のカトリック信徒への対応について、前任の教皇フランシスコと同様の姿勢―教義変更なしの受容姿勢―を貫くことを表明した。

 「私が伝えたいのは、フランシスコ教皇が『todos, todos, todos(すべての人々、すべての人々、すべての人々)』と明言した姿勢です。誰もが招かれるが、特定のアイデンティティの有無で招くのではない。神の子として招くのです」と教皇は語った。

 この発言は、Penguin Peruから18日に発売された『León XIV: ciudadano del mundo, misionero del siglo XXI,(レオ14世:世界の市民、21世紀の宣教師)』のための2回目でなされたもの。教皇は、「現在、LGBTQ+コミュニティとの具体的な関わりをもつ計画はありません」とし、「男性と女性の結婚に基づく伝統的家族観」を堅持しつつ、「包摂の重要性」を強調した。

 そして、性的指向への西洋の「執着」と呼ぶ現象を指摘し、フランシスコ教皇が一昨年と昨年の二回招集されたSinodality(共働性)に関する世界代表司教会議(シノドス)総会に参加した東方の枢機卿が「西洋世界は性的なものに固執し、執着している」と嘆いたことを明らかにしたうえで、「一部の人々にとって個人のアイデンティティは性的アイデンティティそのものだが、世界の他の地域では、相互の関わり方において、それは主要な問題ではない」と語った。

 この発言が「今も頭から離れない」とされ、「シノドスで明らかになったように、LGBTQ問題に関わるいかなる議題も教会内で分断を生む… 教会内で分断を助長したり、分断を継続させたりしないよう努めています」と述べる一方で、「誰もが招かれているが、特定のアイデンティティの有無で人を招くわけではない」という教皇フランシスコの姿勢を推進しようとしていることを明確にした。

 そして、「皆が皆歓迎される。互いを知り、互いを尊重しましょう。やがて他の具体的な問題も浮上し対処されます」と述べた。

 また教皇は、「多くの人々が、同性愛問題に関する教会の教義変更を望んでいる」と指摘しつつ、「教会が特定の課題について述べる内容を変更する前に、まず私たちの態度を変えなければなりません」としたうえで、「教会が教える性に関する教義、結婚に関する教義が(変わることは)まずありえない。少なくとも近い将来には、ありません」と語った。

 「フランシスコが教皇だった時と同様に」、「家族という価値」について語り続ける意向を示し、それは「男性と女性が厳粛な誓約を交わし、結婚の秘跡によって祝福されることです」と述べ、「そのように言うことさえ、一部の人々は不快に思うであろうことは理解しています」としつつ、北欧の教会組織が既に「互いを愛する人々」への儀式的な祝福を組織し、同性婚を支持する手段としていることを批判。

 「こうした行動は、教皇フランシスコが承認された文書『フィドゥシア・スプリカンズ』に反します… この文書は基本的に、全ての人を祝福できるが、祝福を儀式化する方法を探すべきではない。なぜならそれは教会の教えではないからです」と述べ、「それは彼らが悪い人間だ、という意味ではありません。しかし、自分と異なる他者を受け入れる方法、人生で選択をした人々を受け入れ尊重する方法を理解することは、極めて重要です」と語った。

 続けて教皇は、「LGBTQ+の問題が、同性結婚の正式な承認やトランスジェンダーの承認を求める声とともに、ホットな話題になっていること」を認め、「個人は受け入れられるでしょう」と述べ、定期的に告解を聴く司祭たちは、「あらゆる種類の人々」から、「あらゆる種類の生活状況や選択」について話を聞き、判断を下すことはない、としつつ、「当面は、教会の教えは現状維持です」と付け加えた。

 LGBTQ+ 問題に関する質問への答えの中で、教皇は、教会の教えを変えることなく、歓迎と尊重の姿勢を主張したほか、「彼らが伝統的な家族と呼ぶもの」を支援しなければならない、と述べた。

 「家族とは、父親、母親、そして子供たちです。ここ数十年間、時には苦しみを味わってきた社会における家族の役割は、再び認識され、強化されなければならないと思います」と述べ、「現代社会を二分する二極化は、多くの人が貧しい家庭環境で育ったことが一因ではないか」と疑問を投げかけた。

 そして、「家族は個人が互いを愛し尊重する方法を学び、異なる考えを持つ者と共に生き寛容になる方法を学ぶ最初の場であり、同時に交わりの絆を形成する場所なのです。それが家族です。この基礎的な構成要素を取り除けば、他の方法でそれを学ぶことは非常に困難になるでしょう」と述べ、「父と母との素晴らしい関係があったからこそ、今の自分があると強く信じています」と強調。

 「両親は40年以上にわたり非常に幸せな結婚生活を送っていました。今でも皆でこのことを話題にします。兄弟たちとの間でもそうです。私たちは今も非常に親密です。たとえ政治的立場が極端に離れていても、異なる場所にいてもです」とした教皇は、成長期に経験した強固で健全な家庭生活が「現在の私の在り方、そして今こうして自分らしくいられることそのものにとって、極めて重要な要素になっています」と述べた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年9月19日

・Crux 独占会見ー教皇、性的虐待被害者への対応の遅れに不満表明、真摯な対応を強調

(2025.9.18 Crux Staff)

 ローマ発―教皇レオ14世はこのほど行われたCruxとの単独会見で、性的虐待という「真の危機」にカトリック教会が直面し続けていることへの質問に答えられ、「被害者は深い敬意をもって扱われねばならない。虐待によって非常に深い傷を負った人々は、その傷を一生背負い続けることもあるのです」と語られるとともに、被害者案件への対応の遅れに不満を表明。同時に、虚偽の告発が司祭の人生を破壊しうる危険性も指摘された。

 教皇の発言は、Penguin Peru 社から18日にスペイン語版が発売されたCrux記者、Elise Ann Allenの教皇単独会見をまとめた「 León XIV: ciudadano del mundo, misionero del siglo XXI,(Leo XIV: Citizen of the World, Missionary of the 21st Century」 でされているもの。

 教皇はその中で、性的虐待問題への教会としての対応について、「何よりもまず、司祭、司教、信徒、修道者、男性・女性、カテキスタなど教会関係者によって人々が被った痛みや苦しみに、真摯で深い感受性と慈愛を育まねばなりません」と訴えられた。

 また、虐待事件における被疑者の権利への注目も高まっていることに注意を向けられ、「 人々はますます声を上げ始めています。『被告にも権利があり、その権利が尊重されていない』と多くの人が確信しています」とし、「虐待の申し立てを行う人々の90%以上が真実を語っていること」を強調。「彼らは作り話をしているわけではありません」と語られた。

Pope tells Crux: Abuse victims deserve compassion and justice, but beware false allegations

 その一方で、教皇は、「何らかの虚偽の告発が証明された事例があることも事実。人生を台無しにされた司祭たちもいます」と述べられた。

 そして、性的虐待への対処として、「加害者を処罰し、被害者に金銭的補償を提供することが重要だが、それだけでは不十分… 金銭的和解をしたり、虐待が判明した司祭を解任したからといって、被害者の傷が癒えると思うのは、ナイーブすぎる」と述べられた。

 「被害を受けた多くの人々が深い傷を負ってきた。私たちは可能な限り彼らに寄り添い、支えようとせねばなりません。教会に留まりたいと望む者たちもまた、教会の一部なのです」とする一方、「苦しみのために教会を離れた人々もいます。その選択は尊重されねばならない」と語られた。

 また教皇は、性的虐待スキャンダルへの教会の対応について、被害者や批判者から広く表明されている不満—法的手続きの進展が遅すぎること—を認めつつも、「その解決策は、必ずしも明確に定まっているわけではない。法律は全ての人々の権利を守るために存在しますが、全ての権利を尊重する信頼できる司法制度を構築するには時間がかかります」とも指摘。

 続けて、「世俗の司法制度が必ずしも迅速であるわけではない。私は、イタリアに住み、ペルーに住んだこともありますが、米国でさえ、裁判所に持ち込まれる多くの訴訟は判決が出るまで数年、いや何年もかかります。これは紛れもない事実です」と認められた。

 そして、「根本的に、全ての人の権利が重要ですが、被害者が名乗り出て告発し、その告発が仮に正確であったとしても、それは推定無罪を無効にするものではない。司祭たち、あるいは被告人も保護され、その権利は尊重されなければなりません」とも語られ、こうした発言が「被害者にとって、さらなる苦痛をもたらす可能性」を認めつつ、「迅速かつ確実な処罰と適正な手続きの保証とのバランスを取る必要性が、教会を板挟みにすること」も指摘された。

 さらに、「教会は新たな法整備を試みてきた。手続きを迅速化しつつ…被害者とその苦痛に応え、教会からの何らかの対応を通じてその苦痛が認められる権利を保障すると同時に、被疑者も尊重するもの。被疑者の権利保護もまた課題です」としつつ、「教会は、被害者への寄り添いを継続的に改善すべきです。人々の苦痛に寄り添う最善の方法を学ぶ上で、私たちの多くはおそらくまだ初心者。この分野では専門家の支援が今後も必要」であることも強調。

 続けて、「虐待問題からの回復が極めて重要」である一方、「教会がこの問題に完全に飲み込まれないこと」も重要とされ、「教会には福音を宣べ伝える使命があります。神に感謝すべきことに、教会に献身する大多数の人々―司祭、司教、修道者―は誰も虐待したことがない。ですから、教会全体をこの問題だけに集中させるわけにはいきません。それは世界が求める教会の使命に対する真の応答とは言えないからです」とも語りつつ、「教会には他にも多くの人がおり、彼らが経験していることに対して寄り添われる権利があります。教会は彼らとも共に歩まねばなりません。これは私が対処の道を探ろうとしている数多くの課題の一つに過ぎないのです」と語った。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年9月18日

・教皇、Cruxとの独占インタビューで、シノダリティ(共働性)、ウクライナ和平、世界の分極化、ワールドカップについて語る

(2025.9.14   Crux Staff)

   Crux編集部注:これは、Crux の Senior Correspondent 、Elise Ann Allenによる二部構成の教皇レオ14世とのインタビューの最初の抜粋だ。インタビュー全文は、Allenの新刊本『レオ14世:世界の市民、21世紀の宣教師』に掲載され、スペイン語版がペンギン・ペルー社より9月18日から書籍店とオンラインで発売される。英語版およびポルトガル語版は2026年初頭に発売予定だ。

ローマ発 ― Crux の Senior Correspondent 、Elise Ann Allenによる長時間にわたるインタビューで、レオ14世教皇は、史上初の米国生まれの教皇であり、ペルー国籍を取得した初の教皇としての自身のこれまでの歩みや思いについて語られた。また、サッカーのワールドカップでの応援チームのことから、教皇職への理解やウクライナ和平、シノダリティ(共働性)へのビジョン、世界を分断する二極化といった問題についても、考え方、これからの取り組みを明らかにされた。

 教皇は、2回にわたり1時間半ずつ行われたインタビューの後半で、教皇フランシスコが始められた”シノドスの道”を「態度、開放性、理解しようとする意志」と定義され、これは「教会を構成する全員が、祈りや省察…プロセスを通じて、声と役割を持つことを意味します」と説明。「この姿勢こそが、現代世界に多くのことを教えられるものだと考えている」と強調された。

 また、世界で進む分極化の問題については、「この問題を取り上げ、議論することは、一種の解毒剤になりうる、と言えるでしょう。現代世界が直面する最大の課題に取り組む方法だと確信している」と述べ、「もし私たちが福音に耳を傾け、共にそれを深く考え、互いに耳を傾け合いながら共に歩み、神が今日私たちに何を語っておられるのかを探ろうと努めるなら、そこには、私たちにとって得るべき多くのものがあります」と語られた。

 ペルーでの豊富な経験をもとに、教皇は、次のように教会の未来について希望を述べられた。 「”シノドスの道”の歩みは、少なくともラテンアメリカにおいては、先の世界代表司教会議(シノドス)総会よりずっと前から始まっていました。ラテンアメリカ教会の一部は、普遍教会に真に貢献してきました。過去数年の経験を基盤とし、共に教会である方法を見出すことができれば、大きな希望があると思います」。

 以下は、インタビューの一問一答の最初の抜粋。

 

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*米国初の教皇、ラテンアメリカの視点を持つ二人目の教皇であることは

 

問(Allen):あなたは二つの側面を併せ持たれています。米国初の教皇であると同時に、いわばラテンアメリカの視点を持つ二人目の教皇でもあります。どちらの側面により強くご自身を重ねておられますか?

答(答):「両方とも」だと思います。私は明らかに米国人であり、米国人としての自覚を強く持っています。しかし同時に、ペルーとペルーの人々を深く愛しており、それも私のアイデンティティの一部です。司牧生活の半分をペルーで過ごし、そこで得たラテンアメリカの視点は非常に貴重です。

 このことは、ラテンアメリカにおける教会の生活に対する私の理解にも表れていると思います。それは、教皇フランシスコとのつながり、教皇フランシスコが教会に抱かれいたビジョンに対する理解、それを、今日の教会、そして明日の教会にとって真の預言的ビジョンとして、それをいかに継続して伝えていくか、という点において、重要な役割を果たしている、考えています。

 

*ワールドカップで応援するチームは

 

問:シナリオ:サッカーのワールドカップで米国がペルーと対戦します。どちらを応援されますか?

答:良い質問ですね。おそらくペルーを応援するでしょう。感情的な絆があるからです。イタリアの大ファンでもあります… 野球では、私がホワイトソックスのファンであることは知られていますが、教皇としては全てのチームのファンです。家庭でも、私はホワイトソックスのファンとして育ちましたが、母はカブスのファンでした。ですから、どちらかを完全に排除するようなことはできませんでした。スポーツにおいても、そうしたことに対しては、オープンで対話的な、友好的な、怒りに満ちたものではない競い合う姿勢を持つことを学びました。そうでなければ、夕食を食べさせてもらえなかったかもしれませんからね!

*ペトロの後継者として、他者の信仰を確かにする役割を果たしたい

 

問:教皇としてのご就任から数か月が経ちましたが、教皇の役割をどのように捉えられていますか?

答:まだまだ学ぶべきことは山ほどあります。その中で、司牧的な側面については、比較的スムーズに受け入れられたと感じています。とはいえ、あらゆる年齢層の方々からの反響の大きさに驚かされています… 私は、どなたであれ、どのような背景をお持ちの方であれ、皆様を尊重し、お話を伺うように心がけています。

 教皇になっての全く新しい側面は、世界の指導者としての立場に置かれることです。非常に公的な立場であり、世界各国の政府首脳との電話会談や会談内容が広く知られる、ということです。教会の声が重要な役割を担うこの時代にあって、聖座が、外交の世界で長年、果たしてきた役割について多くを学んでいます…

 こうした実務面での経験は全て私にとって全くの新境地です。長年、時事問題に関心を持ち、常に関連のニュースには目を光らせてきましたが、教皇としての役割は確かに、私にとって新たなものです。日々、多くのことを学び、とても挑戦的な立場に置かれていると感じていますが、圧倒されることはありません。この点においては、私は非常に早く、”深い水”の中に飛び込まねばなりませんでした。

 教皇として、ペトロの後継者として、他者の信仰を確かなものとするよう求められていること、それが最も重要な部分ですが、これも神の恵みによってのみ、起こり得ることであり、他に説明のしようがありません。聖霊こそが唯一の答えです。なぜ私がこの職務、この奉仕に選ばれたのか? それは私の信仰ゆえに、私が歩んできた道ゆえに、イエス・キリストと福音に対する私の理解ゆえに、私は「はい、ここにいます」と応えたのです。他者の信仰を確かなものとする役割を果たせればと願っています。それがペトロの後継者にとって最も根本的な使命だからです。

 

 

*ウクライナ和平交渉の場を数度にわたり提案してきたが…希望は捨ててはいけない

 

問:あなたが強く訴えてこられたのは「平和」、様々な紛争における平和の実現ですが、現在では、ウクライナ情勢が特に大きな問題です。現時点でバチカンがその和平実現への仲介者となることは、どれほど現実的でしょうか?

答:平和を訴える聖座の「声」と、仲介者としての役割とは区別すべきだと考えます。後者は前者と大きく異なり、現実性も低いでしょう。私がこれまで繰り返し訴えてきたのは、キリスト教徒や善意ある人々の声として「平和こそ唯一の答えである」と声を上げることであり、多くの方々にそのメッセージは届いていると存じます。この紛争に限らず、長年にわたり双方の犠牲者を出してきた無益な殺戮を前に、人々は「別の道がある」と気づく必要があるでしょう。

 バチカンを仲介者として考えること、例えば、ウクライナとロシアの和平交渉をバチカンあるいは他の教会の場所で開くことを、これまで数度にわたって提案した際にも、その意味するところを私は十分に認識しています。

 聖座は、ウクライナ戦争が始まって以来、困難を極める状況下においても、いずれの側に立つのなく、真に中立な立場を維持すべく尽力してきました。私の発言の一部は様々な解釈がなされましたが、それは構いません。しかし現時点では、現実的な側面が最優先事項ではない、と考えます。戦争当事者たちに「もう十分だ」と言わせ、対立解決の別の道を探るよう促すには、様々な関係者が強く働きかける必要があるでしょう。

 私たちは希望を持ち続けています。決して希望を捨ててはならない、と強く信じています。私は人間性に大きな期待を寄せています。確かに負の側面も存在します。悪意ある者もいれば、誘惑も存在します。いかなる立場のいかなる側にも、善意の動機とそうでない動機は共存しています。それでもなお、人々に高い次元の価値観、真の価値を見据え続けるよう促すことが、変化をもたらすのです。希望を持ち続け、人々に「別の方法で進みましょう」と訴えかけ、努力を重ねるのです。

 

*国連が多国間の調整機能を失う中で、二国間対話が不可欠になっている

 

問:聖ペトロ大聖堂のバルコニーでの教皇としての最初の演説で、「平和と架け橋の構築」についてお話しになりました。どのような「橋」を架けたいとお考えでしょうか。政治的、社会的、文化的、教会的、それらの橋とは具体的にどのようなものですか。

答:まず第一に、橋を架ける方法は、主に対話を通じてです。この数か月間で私が実現できたことの一つは、多国間問題について世界的指導者たちとの対話や訪問を少なくともある程度行えたことです。理論上、国連こそがこうした諸問題の多くを扱う場であるべきです。

 残念ながら、少なくとも現時点では、国連が多国間の問題において人々を結集させる能力を失ったことは広く認識されているようです。多くの人々が「二国間対話を行わねばならない」と語っています。なぜなら、多国間問題が進展する上で様々なレベルで障害が存在するため、物事をまとめるためには、二国間の対話が不可欠だからです。

 私たちは、人類が暴力や憎悪を克服する可能性を、常に自覚しなければなりません。暴力や憎悪が私たちをますます分断しているのです。現代は「分極化」という言葉が頻繁に使われる時代ですが、それは誰の役にも立ちません。仮に誰かの利益になるとしても、他の人々が苦しんでいる状況ではごく少数でしょう。だからこそ、こうした問いを投げかけ続けることが重要だと考えます。

 

 

 

*世界の分極化は、「人の命」についての高次の感覚の喪失が関係しているかもしれない

 

問:「分極化」は、教会内外を問わず今日の流行語となっています。この問題をどう解決できるとお考えですか?

答:確かに問題を提起し、議論することは一つの手段です。しかしより深い考察を始めることが極めて重要だと考えます。なぜ世界はこれほど分極化したのか?何が起きているのか?この状況に至った要因は多岐にわたると思います。私自身、全ての答えを持っているわけではありませんが、結果の一部には確かに現実が見えます。

 2020年の危機と新型コロナの世界的な大感染が分極化に影響を与えたのは確かですが、その始まりはもっと以前にあると思います… おそらく、「Human Life(人の命)とは何か」という高次の感覚の喪失が関係しているかもしれません。それは人々の様々なレベルに影響を与えています。人生、家族、そして社会の価値です。そうした価値観を見失った場合、もはや何が重要なのでしょうか?

 さらにいくつかの要因が重なりますが、特に重大だと考えるのは、労働者階級の所得水準と富裕層の収入との格差が継続的に拡大している点です。

 例えば、60 年前には、CEO の収入は労働者の 4 倍から 6 倍程度だったかもしれませんが、私が最後に見た数字では、平均的な労働者の 600 倍にも達しています。昨日、イーロン・マスク氏が世界初の 1 兆ドル資産家になるというニュースがありました。これはどういう意味をもち、どういうことなのでしょうか?もし、もはや価値のあるものがそれだけであるなら、私たちは大きな問題を抱えていることになります…

 

 

 

*シノダリティ(共働性)は、教会のすべての構成員が、祈り、熟考、プロセスを通じ、発言権と役割を持つことを意味する

 

問:【”シノドスの道”について】 Sinodality(共働性)の概念は、多くの人にとって依然として理解が困難であり続けていると思います。これをどのように定義されますか?

答:Sinodality(共働性)とは、「理解しようとする姿勢、開放性、意欲」のことです。現在の教会について言えば、それは教会のすべての構成員が、祈り、熟考、そしてプロセスを通じて、発言権と役割を持つことを意味します。それを実現する方法は数多くありますが、「対話」と「相互尊重」が重要です。人々を結びつけ、その関係性や相互作用を理解し、出会いの機会を創出することは、教会として生きる上で重要な側面です。

 これに脅威を感じる方もいます。司教や司祭の方々が「Sinodalityは自分の権威を奪う」と感じることもあるかもしれません。しかし、Sinodalityの本質はそこにはありません。おそらく、ご自身の権威に対する認識が、やや焦点が定まっていない、あるいは誤解されているのかもしれません。

 Sinodalityとは、私たちがどのように集い、共同体を形成し、教会として交わりを求めるかを表現する方法であり、その結果、制度的な階層構造ではなく、「私たち皆で」「私たちの教会」という感覚を第一の焦点とする教会が生まれるのです。司祭、信徒、司教、宣教師、家族など、それぞれの召命を持つ一人ひとりの信者がいます。与えられた特定の召命を持つ一人ひとりが果たすべき役割と貢献すべきものがあり、共に教会として成長し歩む道を探るのです。

 これは現代の世界に多くを教えられる姿勢だと考えます。先ほど分極化について話しましたが、これは一種の”解毒剤”と言えるでしょう。現代世界が直面する最大の課題に取り組む方法の一つだと確信しています。福音に耳を傾け、共にそれを深く考え、互いに聞き合いながら共に歩みを進め、神が今日私たちに語られることを探求するなら、そこには大きな恵みがあるのです。

 前回の世界代表司教会議(シノドス)総会以前から、少なくともラテンアメリカで始まったこのプロセスが、今後も継続されることを心から願っています。ラテンアメリカの教会の一部は、普遍的な教会に真に貢献してきました。過去数年の経験を基盤とし、共に教会である方法を見出すことができれば、大きな希望があると思います。

 教会を民主的な政府のようなものに変えようとするのではなく―今日の世界の多くの国々を見れば、民主主義が必ずしも万事の完璧な解決策ではないことは明らかです。しかし、教会のあり方を尊重し理解した上で、「私たちは共にこれを成さねばならない」と宣言すること。これこそが教会に大きな機会をもたらし、教会が世界と関わる可能性を開くのです。第二バチカン公会議以来、この点は極めて重要であり、未だ成すべき課題は数多く残されています。

 

 

2025年9月15日

・ガザの子供たちは親に聞く、「次はどこへ行くの?」とー現地で活動する修道士が語る

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年9月11日

・「ガザ地区は非人道的な状況、飢えと渇き、猛暑で命を落とし続けている」フランシスコ会聖地管区のファルタス神父が訴え

Fr. Ibrahim Faltas describes the crisis in Gaza and BethlehemFr. Ibrahim Faltas describes the crisis in Gaza and Bethlehem  (AFP or licensors)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年9月5日