(評論)多額損失発生事件、性的虐待裁判の長崎教区で大司教辞任-なぜ今なのか(「カトリック・あい」)

(2021.12.29)

 東京教区と並んで日本のカトリック教会のリーダー的存在で、来年2月まで日本の司教団の代表を務めている長崎教区の高見大司教が、教皇フランシスコに辞表を提出し、受理された。司教定年は通常、75歳とされているので、すでに今年の3月にこの年齢に達していた高見大司教の辞任は当然と言えば当然だが、なぜ今なのか、疑問を持つ教会関係者は、とくに事情を知る関係者の中に少なくないのではなかろうか。

 長崎教区は今、単に教区だけでなく、日本の教会の信頼にも関わる二つの”問題“を抱えている。一つは、2億5000万円という、教区の予算規模6億円弱から見れば紛れもなく”巨額“といえる「詐欺的行為への投融資」(2020年6月26日付け文春オンライン)による損失発生とその後の不明朗な処理、もう一つは、教区司祭に性的虐待を受けた信徒女性の損害賠償裁判である。

 この二つとも、一般の社会常識から判断する限り、その組織のトップおよび直接関与した人物が、問題が明らかになった段階で辞任、あるいは、最近の世界の教会の流れであれば、独立の調査委員会を設置して、客観的に事実経過を解明し、それを元に再発防止のための徹底した対策を立て、実施にこぎつけた段階で辞任のいずれかが、妥当な責任の取り方ではないか。

 しかし、残念なことに、今回の辞任のタイミングは、そのいずれにも当てはまらないように見える。「教区の問題だから、教区の司祭や信徒が納得しているのだからいいだろう」あるいは、「大司教様は十分に苦しまれた。これ以上、苦しませるのはやめるべきだ」と言うような声も聞こえてきそうだが、この問題への対応は、一教区に留まらない、日本のカトリック教会への信頼を揺るがしかねない。それだけに、厳正な対応が求められているのだ。

 高見大司教は、中村補佐司教の大司教着座の来年2月23日前まで、教区管理者として責任ある地位に留まる。問題を先送りせず、この間に、長崎教区だけでなく、日本の教会関係者が納得いくような形で,責任を果たすことを、心から願いたい。

*2億5000万円の”投融資“多額損失問題

 2億5000万円の“詐欺への投・融資”の顛末は、2020年6月20日付けの文春オンラインで、詳細に報じられ、日本中に知られることとなった。

 その全文は文春オンライン(https://bunshun.jp/articles/-/38634)で閲覧していただきたいが、丹念な取材をもとに、詳細かつ長文にわたるため、概要を説明すれば、次のようになる。

 長崎教区の前事務局長の司祭が、教区会計担当の法人事務所長だった2013年に、アラブ首長国連邦フジャイラの石油ターミナル事業関連の投資話を持ち掛けてきた会社社長に、教区の資金から複数回に分けて1億5000万円を貸し付け、さらに現地法人設立のためとして1億円を投資した。だが、会社は2016年に倒産し、投資資金は戻らず、貸し付け金1億5000万円は倒産前に1800万円が返済されたのみ、という。

 そして、この報道から2か月余りたった2020年9月1日付けの長崎教区報「カトリック教報」で 「元会計責任者が無断で教区の資金2億5000万円を無断で流用し、うち約2億3000万円が未回収である」ことを認め、「会計上の重大な不手際だった」と謝罪した。

 このことを報じた9月2付けの朝日新聞は、「高見大司教は、これまでの取材に対し、司祭が『教会のためになると思っていた』と話していることから、警察に被害届は出さない、と説明している。教区報によると、教区として返済請求を続ける一方、高見大司教や司祭らが欠損の補填に努めるという」とし、さらに、宗教法人の投資失敗について、高野山真言宗の元幹部が内規に反した高リスク金融商品への投資で約4億円の損失を出したとして、法人と総本山が元幹部に損害賠償を求めて提訴、2018年に和解した、という最近のケースを挙げていた。

 教区の対応を公開情報で見ると、これから約1年後の「カトリック教報」2021年8月1日付けで、「前教区会計の重大な不手際によって発生した損失について」と題する報告を掲載し、「資金の回収については、現在弁護士と対応を協議しているものの、相手方が海外在住という事情もあり、全額の回収は難しいものと思われる」と、事実上、回収の断念を表明。

 「回収不能により発生する損失については、今後、前教区会計からの回収金、教区長はじめ顧問団による補填金、および教区司祭や信徒らによる自主的な寄付金などの収入により補填することとしている」と、”詐欺話“に乗った会計責任者、その上司として監督責任があるはずの教区長=高見大司教が拠出するだけでなく、むしろ、損失発生に責任のない一般の司祭や信徒が事実上の主体となって「自主的な寄付金」で損失の穴埋めをする、という方針が示された。

 これについて、共同通信が8月21日付けで、この内容を伝えたうえで、「不正の穴埋めに、寄付金が使われるのは納得できず、反省の色も見られない」という「ある関係者」の話を載せて、教区指導部の姿勢を批判している。

 教区報には、こうした事態の再発を防ぐ措置として、教区本部の会計監査に信徒を加え、会計業務に関するルールを定めた「経理規程」の作成、特別会計の性質に応じて、目的・財源・運用リスクの許容などを定めた規定の制定もしくは改定を、「できれば2021年度中に完成させる」などを発表しているが、そのようなことは当然の対応であり、関係者が責任を果たした、とはとても言えない。

 まして、共同通信が報じたように、損失発生について十分な経過説明やそれに基ずく総括、反省も満足にされないまま、当初は、主として元会計担当や大司教が損失補填をするかのような印象を与える説明をしておきながら、「前教区会計の重大な不手際」の一言でかたずけ、信徒の”特別献金“などで損失の穴埋めをする、というのは、とても、一般の社会常識では通用しまい。

 ある情報によれば、前会計担当者と大司教が穴埋めに拠出した額は500万円にとどまっており、残りは責任の無い他の司祭、実際はかなりの部分を信徒の”特別献金“でまかなう算段、との見方もある。

 教区の会計が一人で、教区の年間予算の半分近くにも相当する資金を勝手に投資や融資に回す、ということ自体、常識では考えられないことであり、本当にそうだったのか、という疑問もわく。

 仮にその説明が事実であれば、一般企業や団体なら、「業務上背任」で刑事上の責任を問われ、民事上も損害賠償請求をされるはずの事案だ。教区長の監督責任も問われよう。また、詐欺に遭ったので、会計担当や教区長に責任が無い、というのであれば、相手を詐欺罪で告訴し、同時に損害賠償請求の裁判を起こすのが筋である。最低でも、まず、警察に被害届を出すのが常識だろう。犯人が海外にいるのなら、国際刑事警察機構(INTERPOL)を通じて国際手配することも可能だろう。「海外にいるから」というのは、責任逃れの言い訳ではないか。

 朝日新聞が高見大司教からの取材として報じている「会計担当の司祭は『教会のためになると思っていた』と話していることから、警察に被害届は出さない」などという言い訳は、一般社会ではとても通用すまい。

 繰り返すが、この問題は、カトリックの一教区の問題ではない。日本の教会の信頼に関わる問題である。このまま、”詐欺事件”の経緯を明確にせず、公正な責任も取らないまま、損失は信徒に多くの負担をかけて穴埋めして”解決“、となれば、事情を知る多くの日本人は「教会というところは、不都合な真実から目をそらし、問題をあいまいなまま時がたつ、というやり方が通用する、世の中の常識が通用しない、ところなのだ」と改めて失望することになるだろう。

*司祭による信徒女性への性的虐待問題

 欧米を中心に司祭、修道者など聖職者による未成年者や女性などへの性的虐待がいまだに次々と明らかになり、多くの信徒の心身を傷つけているばかりか、信徒の教会離れの要因にもなっていることに、教皇フランシスコは強い危機感を抱かれている。これを規制するルールを導入したうえで、厳正な執行を世界の教会指導者に繰り返し求めておられる。

 そうした中で、日本のカトリック教会でも、確認される限り、被害者の人数は欧米などに比べれば少ないものの、高位聖職者の危機感は薄く、”伝統的“な隠ぺい体質もあまり変わっていない。

 現在、被害女性が長崎教区を相手取って損害賠償を求める裁判を起こしているのは、その代表的なものと言える。

 この女性が、地元の長崎新聞(2020年12月14日付け)に語ったところによると、彼女は問題司祭と家族ぐるみで長い付き合いがあったが、2018年5月、他の司祭からの依頼で、アルコール依存症に苦しむその司祭を見舞うため、司祭のいる長崎県内の教会を訪ねた。

 司祭館に入り、散らかった室内をかたずけようとしたところ、突然、司祭に後ろから覆いかぶされ、無理やり体を触られた。しかし、目の前に包丁があり、抵抗すれば殺されるのでは、との恐怖心から、「やめてください」と言うのが精いっぱいだった。

 余りの理不尽な行為に、警察に被害届を出そうとすると、思いとどまるように促され、「最後までしてないんだから」「信徒は司祭の言うことを聞くのが当たり前」とまで言われた彼女は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症、自分を責め、何度も自殺を考えたという。

 教区に訴えたことで、大司教区もいったんは、司祭のわいせつ行為の結果、女性がPTSDを発症したことによる損害に対して、賠償金を払う、という示談に応じた。だが、2020年2月に長崎県警本部が、その司祭を強制わいせつの疑いで書類送検したものの、長崎地方検察庁が証拠不十分として不起訴処分にしたことで、事態は一変した。

 不起訴処分が発表された際、大司教区は報道機関に対して「これ以上の調査は難しい」としたうえで、「(女性に対して)今後も誠意を持って対応する」と説明していた。だが、その後開かれた長崎教区のある会議の議事録に、高見大司教が「女性のことは『被害者』と言えば誤解を招く。『被害を受けたと思っている人』などの表現が望ましい」と述べたと記録されているのを被害女性が知って、「このままでは、被害が隠蔽されてしまう」とショックを受け、症状がさらに悪化した。

 また、この女性を支えた、教区の性的被害担当の女性職員も、別の司祭からパワハラを受けてPTSDを発症し、休職に追い込まれた、という。

 女性は、長崎教区の司祭から性的被害を受け、司教区のその後の対応でPTSDが悪化した、として、司教区に対して550万円の損害賠償を求める訴訟を長崎地方裁判所に起こし、2021年5月までに3回の口頭弁論が行われている。

 教区側はこれまでの公判で、高見大司教の発言について、示談の事実を知らない知人記者の言葉を紹介したに過ぎない、と説明しているというが、女性側は、司教区が果たすべき注意義務を踏まえ、「仮に、他人の発言を引用しただけでも、違法性がある」と指摘している。

 以上の報道に対しても、教区側から、その内容について公式に抗議するなどに対応をした形跡はない。報道は、他の報道機関や、関係者の話とほとんど変わらないことから、これをもとに判断すれば、自己に対する厳しさを欠き、相手に対す思いやりを欠き、裁判にまでなっても、まだ自己の正当性を主張して、さらに相手を傷つける、人に愛と思いやりの道を説く聖職者にあるまじき行為ではなかろうか。

 このような長崎教区の性的虐待被害者への対応は、すでに他教区にも影響を与えている。バチカンの指示を受けて日本の各教区は性的被害の訴えを受ける窓口を設けているが、それを利用せず、被害者たちが結成した会に新たな被害の相談を持ち込む例が数件出ている、という。教区の対応に不信を持ってしまったのが原因、との見方も関係者の中にある。

 長崎地裁の裁判は、5月以降、開かれたという報道がされていない。一説には、原告の被害女性のPTSDがさらに悪化したことが背景にある、とされている。

 このような状況を見るにつけ、思い起こされるのは、車を暴走させて若い奥さんと赤ちゃんをひき殺した通産省工業技術院(現・産業技術総合研究所)の元院長の振る舞いだ。

 元院長は死傷事故を起こした当初から、遺族への謝罪の言葉を一切せず、警察、検察の調べに対して「自分はブレーキを踏んだ、車が悪い」と言い続け、遺族に何重もの苦しみを味わわせた。あげくに、禁固5年の実刑判決を受けた後で、ようやく型通りの謝罪を弁護士を通して行い、改めて遺族の怒りを買っている。そうした元院長の自らの”晩節を汚す“行為に、どうして心からの謝罪の言葉が無いのか、と遺族に同情し、心を痛めた人は少なくない。

 それほどひどい行為ではない、同等に扱うな、との声があるかも知れない。だが、被害女性にこれだけの苦しみを味わわせたまま、舞台を去っていくことが、当事者はもちろん、日本の教会にとっても、大きな禍根を残すことになる、信頼を傷つけることになる、ということを強く認識し、適正な対処をすることが求められる。

 ”投融資“多額損失問題への対処と合わせて、日本の教会のために、あえて苦言を呈したい。

(「カトリック・あい」)

 

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2021年12月29日