(評論)降誕祭にー“虚しさ”に立ち向かう勇気が、神から癒しの恵みを受ける第一歩(LaCroix)

(2021.12.22 Publisher of La Croix International Mchael Kelly SJ )

   私、あなた、あるいは誰でも、クリスマスの作品ー今のもの、以前のもの、どれでもーは、常に、二つー「イエスの誕生についてマタイとルカの福音書に書かれた異なる物語の内容」と、「私たちの最近の、あるいは長期にわたる人生の記録」の組み合わせで出来上がる。この二つが、どのように交わるのか。私たちが自分自身の人生の旅と、イエス誕生の物語をうまく組み合わせないと、クリスマスの意味は深まらない。

 そして、何も持っていないなら、そのクリスマスの物語は、私たちにまったく効き目の無いものになる。ぴったり合うものを見つけるのは難しいかもしれない。私の場合、今、人生に最も影響しているのは、さまざまな状況のもとでさまざまな影響を与えた数人の友人の死だ。友人たちの死は私の注意を集中させるのに役立っている。それに最近追加されたのは、私自身の左足の切断だ。弱さに捕らわれ、身体的な無力感と衰退に関心が集まってしまった。

 動けなくなることが、愛おしさとかいたわりではなく、自由の束縛、無力感と時には屈辱的な他への依存をもたらし、それが肉体的な命が終わるまでの私の運命だ、という思い…  そうした私にとって、Dorothy Day (1897年11月-1980年11月、米国人ジャーナリスト、カトリックの洗礼を受けてからも 社会活動家、無政府主義者であることをやめなかった。米国のカトリック信徒の中で最もよく知られた政治的な急進派とされた)は象徴的な人物だった。このクリスマスに私が考え、祈るのを助けてくれるのは、彼女の著作、そして彼女についての著作をいくつか読むことだ。

 彼女について読んだり、彼女の人生について何かを学んだりして以来、Dorothy Dayは、私にとって象徴的な人物だった。彼女は客観的で、遠い、そして少し威圧的な存在だった。彼女の著作、コモンウィールで彼女の追悼記念日に彼女に対する思慮深い賛辞を読んだとき、私はこれらすべてを思い浮かべた。

 Dorothy Dayは、オーストラリアで反共産主義が激化した1950年代、ベトナム戦争が支配的な1960年代に瞬間凍結されたアイルランドのカトリックのサブカルチャーに出自をもち、それが私には、とても魅惑的に感じられた。共産主義者でシングル・マザーであることは私たちの間を隔てもいたが、共産主義者たちは私のような道徳的に愚かな者に、尽きせぬ魅力的な何かがあり、オーストラリアでのカトリック生活の間、感情的な制約の罠にはまった、それは、西欧を通して存在した第二次大戦後の文化の多くの部分と共通点をもっていた。

 私にはたくさんの仲間がおり、制約に縛られているのは私だけではなかったが、私たちの文化への参入を選択したことは、Dorothy Day を珍しい、普通でない“新兵”にした。そして彼女は、私と沢山の人々を、予想もしないような方向に連れて行った。彼女は生来の、確かな信心深さを持つ文章家で、取材と解説記事には神秘的とも言える鋭ささえ、持っていた。カトリックの信仰に対して一つのスタイルと接し方を作り上げ、それが、今後何十年もカトリック信徒について何を問うか予想させたーその何十年もの間、カトリック信徒たちが、現実の世界の挑戦を避けるために作り出したイデオロギー的隠れ家としての「熱心な祈りと瞑想の内面の生活」、使い古された決まり文句が、真剣な精査の激しい熱に耐えられずに蒸発してしまう…。

 それが、Dorothy Dayと彼女の旅を解放に導くものと見た私のような人間すべてにとって、解放の提示を受け入れる招待状のように聞こえる。だが、そうだったのか?実際にそうではなかった。抱擁されるというよりも、暗くて居心地の悪い片隅に、自分がいることに気づいたのだー私は自由になりたかっただけなのに。なぜ?それは、不快で受け入れがたい事実を持って、私に挑戦して来た。この経験を生かすために、自分たちについてとても多くの問いが必要だ。

 その経験は、彼女の自伝のタイトルである[The Long Loneliness]でうまく表現されている。経験は、誰にとっても、そこにある。自分自身で、経験の一つ一つを探求することを通して、それが分かる。そして、その経験の形は、私たちがクリスマスに誕生を祝うイエスの人生に、先取りされているー宿に空き部屋がなかったために「飼い葉桶」でお生まれになり、自分に関心を示す仲間は死刑にされる犯罪者と疑り深い処刑人しかいないゴルゴダで遺棄される人生だ。

 この経験をもとに何かを作るために、私たちは非常に多くのことを求められる。そして、最初に求められるのは、ただ立ち止まって、自分自身に耳を傾けることだー心の高まり、とても遠くに思われる喜びと平和への憧れ、平和と喜びを求めて落ち着きを失う不完全さ。「虚しさ」に立ち向かう勇気と自信を持つことは、クリスマスの癒しの恵みを求め、受けるために必要な最初の一歩となる。

 (イエスの誕生を記念する)クリスマスの日、さらに言えば(イエスの十字架上の死を黙想する)聖金曜日は、警察官や救急隊員にとって「厳重警戒の日」とされている。なぜか?私が思うに、それは、私たちが内輪で顔と顔を合わせ、私たちの人生がいかに空しいものであるか、すべての混乱が取り除かれた時、私たち皆の隠し事がどのようにあばかれるのか(を語り合うことになる、と思われているからではないだろうか)。

 私個人は外交的な性格で、創造力をかき立てるために、人々と関わることを求め、それを喜びとしている。その関わりが遅くなり始める時が訪れつつあるのを感じてもいる。”抗うつ薬”に頼るよりも、瞑想に入りことを選ぶ、私すべてを積極的に神の御手に委ねるー記憶も、理解も、意志も。そうしてイエスは、葛藤し、確信を持てない私の心の中に、お生まれになる…

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。

LA CROIX international is the premier online Catholic daily providing unique quality content about topics that matter in the world such as politics, society, religion, culture, education and ethics. for post-Vatican II Catholics and those who are passionate about how the living Christian tradition engages, shapes and makes sense of the burning issues of the day in our rapidly changing world. Inspired by the reforming vision of the Second Vatican Council, LCI offers news, commentary and analysis on the Church in the World and the world of the Church. LA CROIX is Europe’s pre-eminent Catholic daily providing quality journalism on world events, politics, science, culture, technology, economy and much more. La CROIX which first appeared as a daily newspaper in 1883 is a highly respected and world leading, independent Catholic daily.

このエントリーをはてなブックマークに追加
2021年12月24日